ステップファザーにできること

発達障害の娘とやんちゃ息子の父によるステップファミリーの話

料理をさらに楽しい時間にするには「一人で」「音楽を聴きながら」

相変わらず料理を続けているとんぼである、ごきげんよう。

 

あまりにきつかった料理も、少しハードルを下げて対応している。朝はパンやフルグラをだし、夜は私が食べられる料理をメインで家族にも出す。

 

この対応によってほとんどストレスフリーで料理を続けていられるのだが、せっかくだから料理を楽しい時間にしようと色々とやってみている。

一人で料理をする

今まで家族がいる時間に料理をしようという前提で考えていた。その方が私にとっても都合がいい。一人の時は私のために、家族がいる時は家族のために時間を使う。

 

これが一番だと確信していたが、料理の時のイライラを考えるとむしろ一人の時に料理をした方がいいかもしれないと考え始めている。

 

結局、マルチタスクなのがイライラさせるのだ。

 

料理なんて大したことない、話をしながらでも料理はできる。でも子供達の話は料理しながらできるものではない。私の視線を欲しがるからだ。

 

スポンジボブのタイトルが出たら「なんて書いてあるの?」と聞いてくるから、わざわざ手を止めてテレビに目を向けないといけない。

 

何かブロックで遊んで完成した作品は、実際に見てリアクションをとらないといけない。

 

耳で聞いて口で答えるだけの会話なら別にやってやらんこともないが、”料理の手を止めて”まで対応するのは完全にマルチタスク。気分が悪くなる。

 

子供達がいる時間に料理をするというのは、あまりいい選択ではないのかもしれない。今まで何度となくイライラしているから、もう諦めた方がいいのかもしれない。

 

◆子供達の休日にも親が穏やかに過ごせるような映画の時間を作りたい話

先日書いたこちらの記事のように、妻が子供達と一緒に映画を見ているとか、私に目もくれない状況でなければ、難しいのだろう。

 

というわけで、もう今後は一人の時間に料理をするようにしたい、というかそうしている。

 

邪魔もされないし、集中してできるし、イライラしない。ストレスフリーなら、いくらでも料理をしてやってもいい。

 

誰も私の邪魔をしないならね。

音楽を聴きながら料理をする

だいぶ前に書いた記事では、オーディオブックを聴きながら料理をしようとか書いていた。 

◆Bluetoothイヤホンで家事中にオーディオブックを聴こう

 

げ、これを子供たちがいる時間に、料理しながら聞くとか気が狂いそうだと今は思うのだが、当時よくやっていたな。

 

まぁでも一人ならこれもありだ。誰にも邪魔されない時間に、料理をしながらオーディオブックを聞く。イライラしないし勉強になる。素晴らしい。

 

そして勉強も大事だけど人生には楽しみも大事である。この料理の時間も楽しみに変えられるのでは?というわけで、最近は料理中にヘッドホンで音楽を聞いてたりする。

 

愛用しているのはこちらのノイズキャンセリングヘッドホン。くっそ高いんだぞ。

 

集中力をあげるために買った仕事用のヘッドホンであるが、料理の時に音楽を聴くのにもいい。雑音を消し、大音量で音楽を聞く。

 

リズムに乗りながら、歌を歌いながら、ダンスを踊りながら料理を作る。AppleMusicで好きな歌を探して聞く。テンションが上がる。

 

こんなに楽しいことはないかもしれないと感じるほどに、料理が楽しい時間になる。おすすめしたい。

誰もいないからこそ楽しめる

これができるのは、一人の時間だからだ。家族がいたら話が聞こえなくなるからヘッドホンは難しいし、聞けたとしても視線が気になって踊れない。

 

だからこそ一人の時間を確保して、何も考えずに誰の目も気にすることなく歌をくちずさみながら料理をする。これ、結構よくないですか?

 

気分が乗ったら音楽聞いて、勉強したかったらオーディブック聞いて。たまに自分のブログを音声化して聞いて。

 

こうやって、料理の時間も楽しい時間にしていきたいもんだね。

 

発達障害の娘の暴力で心底むかつくのは勉強不足だからに他ならない話

今朝も娘の攻撃に耐え切ったとんぼである、ごきげんよう。

 

少し新しい考えを取り入れて子供達へのイライラを力に変えつつあるのだが、その前になんで私がこんなに娘に叩かれるとむかつくのか。

 

筆記開示にて分析するとわかったことがあるので紹介していく。

とにかくむかつくという話

今まで散々娘に叩かれている話を書いてきた。もうすぐ8歳で20kgオーバーの娘だから、力も強いし体も重い。

 

パチパチ軽く手を振り回すぐらいならまだいい。でも他にもあるんだよ。思いっきり叩かれたり後ろから押されたり体当たりされたり足を踏まれたり皿を投げられたりペンを投げられたり。

 

普通の子育てしてたらまず経験できないことが毎日のようにあるのだ。激レア体験だな、うらやましくないですか?

 

そして叩かれた私がどういう感情を抱くかといえば、怒りである。誤解を恐れずに書くと、殺意に近い怒りを覚えているようだ。

 

今までは、この怒りを見ないふりをしてきた。

 

いつもは穏やかな娘だから問題ない

こういう障害を持っている子だから仕方ない

私の対応がおかしかった、別の方法を考えよう

 

このように何とか流してやってきたのだが、実際はどす黒い怒りがうずまいている。

 

私はそこまでされるようなことをしたか!?

 

こう思ってしまうんだよ。わかっていても、攻撃されたらむかつくもんはむかつく。

 

攻撃だけじゃない。朝に靴下渡したら無表情で遠くに投げて知らん顔。カバンを渡したら地面に叩きつけて無視して歩いていく。ご飯を出したら皿ごと投げられる。

 

ぜひ世界中の人に体験してほしいぞ。私に技術さえあれば、VRで娘の攻撃が体験できるゲームを作りたいくらいだ。

心の声を言語化する

さて、今回は別にむかつく話をしたいわけじゃないんだ。むかついてむかついて仕方がない私の心の声を分析してみた結果の気づきが本題である。

 

一言でいえば「むかつく」であるが、じゃあ何がそんなにむかつくのか。娘の暴力に対する私の心の声はこうだ。

 

なんで今叩かれたんだ?私が何かしたか!?

 

なんでこれくらいで叩かれないといけないんだ?!

 

なんでなんでなんでなんで!

 

うむ。つまり、私は娘の行動が理解不能なのだ。まったく意味がわからない。

 

なぜさっきまで笑っていたのに今叩いてきたのか。なぜ今朝、カバンを持ちたがらずに私を叩いてきたのか。なぜ手を出すほどのことじゃないのに手が出るのか。

 

やっと気づいた。私は娘のことをわかっているようで、何もわかっていない。わかっているという根拠のない自信があるだけだ。

 

ただ数年一緒に住んだから、毎日接しているからわかった気になっていた。私が一番詳しいだろうと、対応に苦慮しながらも上手くやれているという自負すらあった。

 

そんなことはない。無知に等しい。さらに無知であることを私が認識していない。

 

少なくとも、自分が子供の頃を思い出せば感情が理解できる息子とは違うのだ。娘は言葉を上手く使えないし、考え方も感じ方も私とまるで違う。物理的に違うと言ってもいい。

 

こういう子だからの一点張りではもはや無理である。耐えられないし対策のしようもない。私は無知で勉強不足だった、この一言に尽きる。

知的謙遜を手に入れようの会

知的謙遜とやらを高めると人は成長できるらしい。知識に関して、自分にはまだ知らないことがあると、何を知ってて何を知らないのかちゃんと理解できていることが重要なんだと。

 

この知的謙遜の能力が低すぎるのだ。自分が知ってることも知らないことも把握してないくせに、無駄に自信だけがある。

 

これでは前に進めないので、娘に関しての知識を精査して勉強していきたい。障害関係の本なんて山ほどあるのに、今まで数冊しか読んでないんだぜ。甘えてるわ。

 

くそが、家庭内暴力ごときで私を殺せると思うなよ!!

 

子供達の休日にも親が穏やかに過ごせるような映画の時間を作りたい話

祝日だった昨日も息子にぶちぎれていたとんぼである、ごきげんよう。

 

昨日は虫の居所が悪かったのもあるのだが、朝から最低な気分で息子の発言にイライラして仕方がなかった。結局私だけ家に残り、妻と子供達だけで出かけていったよ。

 

一応朝・昼・晩御飯と用意したからいいでしょ?という話は本題ではなく、少し休日の考え方を変えてみたいという話をしたい。

休日は普通にしんどい

親になって感じるのは、休日はとてつもなくしんどいということ。

 

朝早くに子供達は起きてバタバタ走り回り、兄弟喧嘩して泣きついてきたり、あれしたいこれしたくないとわがままも多く、最終的に親も子供もイライラして喧嘩する。

 

結局家にいたらお互いに不快感しかなくなるので、どうしようもないから外に出かける。

 

これが大体のパターンである。であるが、朝から外に出ればいいってもんでもない。料理もある。掃除もある。一日中遊んでいればOKというわけにはいかないのだ。

 

まー大抵喧嘩するよね。そりゃ一日中一緒にいたら、親友だって喧嘩ぐらいするんじゃないか。子供相手だから尚更だ。

 

同じ場所にずっと一緒にいたら本当に気が狂うから、しゃーなしで出かける。でも長いこと出かけるのも疲れる。そんな気分じゃない時もある。

 

だから少し、落ち着ける時間を作ってみたい。

Amazonプライムってよいよね

うちはHuluとAmazonプライムに入っている。特にAmazonプライムは子供向けの映画が多い印象で子持ちにはおすすめ、安いし。

 

今まではとにかく外に出よう外に出ようとしていたが、子供達もそこそこに長いアニメを見られるようになってきた。映画を楽しめるようになってきた。

 

娘は気分次第で集中できないこともあるが、体調さえ悪くなければ1~2時間なら見てくれたりする。

 

なら、動画見ようよ。誰か一人だけが見たいやつじゃなくて、家族みんなで見られるもの。

 

それなら私も妻も子供達の相手をしなくてもいいし、話もしなくていい。みんなでぼけーっと映画見て笑ったりしてるだけで時間がすぎる。しかも面白い。頑張らなくていい。

 

妻も毎日働いてのせっかくの休みなんだから、少しは座って楽したらいい。子供達もそう。それだけで結構な時間が潰せるし、穏やかに楽しい時間が過ごせるのだ。

 

こんなにいいことあるか?わざわざ外に行かなくてもいいんだぜ。

 

ちなみに昨日は妻と子供達3人だけで映画を見ている間に、私は買い物にいって料理を作っておりました。私は気楽だし妻も楽だと思ったんだけど、どうなんでしょう。

 

一緒に映画見るのもきついって言われたら、この話は終わりです。

結局ぶちぎれて終わる

このように考えた結果、昨日は朝に映画一本、夕食を食べながら一本映画を見ていたぞ。はながっぱの映画とか、犬のサイボーグの映画とか。

 

こんな感じで、休日に自宅でゆっくり映画を見る時間を作っていきたいと考えている。一日中じゃないし、親も一緒にという前提で。割といい案じゃないか。

 

親と子供達で相談して見たい映画を決めるから、人と話し合う練習にもなる。何よりそれを見ている間の親は休める。

 

結局昨日は映画も見て飯も食ってさぁ出かけようか!って時に、どこに行くかで息子がわがまま放題でカチンときてしまったので終わったけどさ。

 

それはそれとして、結構いい時間だったと思うんだよ。息子は寝る前もめちゃくちゃ楽しそうだったし。その楽しそうな声を聞いた私が怒りで寒気がするくらいだったから、相当幸せだったはずなんだよ。

 

親が休めて子供が楽しいなら、こんなに素晴らしいことないじゃないか。

 

”頑張ればできる”ことは”できないこと”と判断して生きていく話

頑張ればできることばかりで1日を埋めた結果、うつ病になったとんぼである。ごきげんよう。

 

最近やっとわかった。できることとできないことを区別するとはなんなのか。わかっちゃったんだよ!なので見解を書いてみたい。

頑張ればできる、はできること?

うつ病治療の大事なポイントとして『ツレがうつになりまして』で紹介されていた、できることとできないことを区別すること。

 

これって中々に難しいと今になって気づく。

 

自分でいうのもなんだが、私はそこそこに優秀な人間だ。別に何もしなくても学生の頃から成績もよかったし、どこの職場に行っても覚えは早く仕事も早い。

 

介護職でもっともきついと言われるタイプの施設に未経験で入って地獄を見ながらも乗り越えた。なかなかできることじゃないんだぞ。未経験であんなとこ行くやつなんて頭おかしいんだぞ。

 

つまり、やればできる人なのだ。その能力がある。

 

まぁこんな人なので、できちゃったんだよ。ステップファミリーのお父さんとして、家事も育児も勉強も、すべてこなせてしまった。

 

朝5時に起きて瞑想して勉強して、子供達送迎して夕方まで勉強して、子供達と風呂に入って料理作って洗濯してとか。今までやったことないのにできちゃったの。普通に。

 

そりゃきついよ。頑張っているよ。でも、できるんだから仕方ない。イライラするしストレスもたまるけど、毎日続けられるレベルなんだから仕方ない。

 

と思ってたら、ある時から突然体が動かなくなってしまったのである。

 

おかしいな、これくらいできるんだけどな。何で体が動かないんだろう、仕事量としては大したことないんだから、もっとできるはずなのに。

 

当時はそう思っていたが、今は少し違う。私にとってできることばかりの日常は、正確には頑張ればできることばかりだったのではないか。

 

頑張ればできるってことは、無理してるってことだ。毎日毎日無理をすれば、そりゃ体も動かなくなるわなという当たり前の見解である。

”頑張ればできる”を日常から排除する

今後は過去の失敗を生かして、頑張ればできることはできないことと判断し日常から排除る。よほどの緊急時や代替案がないなら仕方がないが、基本的に無理はしない。

 

無理をしても続かない。先がない。この先何十年と続く人生なのだから。

 

例えば先日の土曜日。子供達が帰ってくるのが17時半だが、妻の帰宅は18時半。1時間、妻がいない時間がある。

 

「1時間早く帰ってこようか?」と妻が言ってくれたのに、私は断ってしまった。大丈夫だと、ややきついが1時間くらい何とかなるだろうと。

 

そこでふと思う。これ、頑張っているなと。そこまできつくはないとしても、少し無理している。できれば妻に帰ってきてほしい。しかも帰ってきてもいいと妻が言っているのだ。

 

ならばと、今回は妻に早く帰ってくるようにお願いすることにした。以前なら「一人でいける」と判断した案件だが、もう頑張らないぞ。妻がいた方がいいに決まってるじゃん。

 

また先日自然公園に歩きに行った時にも、いつもなら必ず目的地まで行くようにしいてるが途中で引き返した。単純に歩くのがきつかったから。

 

できることとできないことを区別するってそういうことじゃないか?と思うのだが、どうだろうか。

ずっとできないわけじゃない

最後に言いたいのは、別にこれらがいつまでもずっとできないわけではないということ。

 

頑張ればできることを、少しずつ慣らして頑張らなくてもできることに変えていけばいいのだ。

 

先日書いた子供達と遊ぶ習慣化の話もそうだ。

◆きつくて疲れる「子供達と遊ぶ時間」を少しずつ習慣化していきたい話

 

夜に毎日1時間遊ぶのは正に頑張ればできることだった。これを少しずつ少しずつ遊ぶ機会を作って、時間を伸ばして、頑張らなくてもできることに変えていく。

 

人生何があるかわからん。頑張ればできることを毎日やらないといけない状況に追い込まれる可能性もある。

 

あらゆる理不尽な状況にも対応できるように、日々成長していきたい。そんな気付きの話であった。

 

無意味だが楽しい時間を2時間作っただけで毎日が輝き始めた話

日々自分がどうやったら前に進めるか考えているとんぼである、ごきげんよう。

 

今回は先日書いた、この記事の続き。

◆やりたいことは息抜きにならず。超無意味な楽しい時間を作りたい話

 

楽しい時間を作ってみて数日で、これまで感じたことがないほどに人生が輝き始めたので少し紹介していきたい。

無意味だけど楽しい時間を作ってみようの会

私は絵に描いたような効率厨。自分の目的を果たすためなら、余暇も楽しみも何もかも全て捨ててもいいと思っている。

 

でもそれじゃ上手くいかなかった。とにかく時間があったら仕事!勉強!というやり方では心身がもたない。短期間ならまだしも、この生活は何年も続けられない。

 

結局、子供達と遊んだり最低限の家事をやりつつ余った時間をすべて仕事につぎ込んだ結果、私はうつ病になってしまったのである。

 

他にも色々あるんだろうけどね。そもそもよく知らない子供達と一緒に住み始めたステップファザーだし、加えて娘には叩かれて物も投げられる。まさにS級案件。

 

これを乗り越えるためには、どうしたって癒しが必要なのだろう。1日のスケジュールがすべて”頑張っている時間”となっている状況を変えなければならない。

 

何より毎日が楽しくない。結婚してから「楽しかった!」と終えた日などほとんどない。あるのは頑張った感と疲労感だけ。

 

というわけで、数日前から毎日無駄だけど楽しい時間をとることにした。夕方に1時間、寝る前に1時間の計2時間。子供達が休日だったとしても、最低でも夜の1時間は遊べるように設定してみた。

 

やることといえば、今はもっぱらゲームだ。ゲームゲームゲーム。ゲームがやりたくて仕方がないから、ゲームをやる。

 

アクションゲーやり、音ゲーやり、格ゲーやり、パズルゲーする。

 

なんの意味もない。クリアしなくてもいい。長く続けられなくてもいい。キャラも私も成長しなくてもいい。

 

ただその時に楽しそうだと感じたゲームをやるだけ。うわぁ、超無意味。まじでこんなことやってる場合じゃないと思う。

楽しかったと思える1日

以前の私ならそう、まさに「こんなことやってる場合じゃない」と絶対にやらなかったことだ。TDLに行った新婚旅行すら楽しめなかったんだぜ、重症だよ。

 

でもいいんだよ。やってもいいんだよ。この無駄で楽しい時間が私には必要なんだって。この先の人生、私の目標を達成するためには絶対に必要な時間なんだって。

 

そう考えれば、遊ぶことに一切の罪悪感を抱かない。焦燥感もない。これこそが全速力であり、急がば回っているのだ。

 

今はアプリ全盛期なのもありがたい。無料ゲーなんて探さなくてもいくらでもある。1日に2時間程度じゃ遊びきれないくらいに山ほどゲームがある。

 

こうやって毎日数時間ゲームをする時間を作ってたったの数日なのに、心が軽くなっている。朝から晩までゲームしているわけじゃないのに、少しゲームができる時間があるだけで世界が輝きだした。

 

夜寝る前に、妻に言ったよ。

 

「今日、すげー楽しかったわ」

 

妻はふーんという感じだったが、この言葉がどれだけ重いか。私以外にはわからんだろうさ。

長けりゃいいってもんじゃない

無意味だとしても楽しい時間が少しあるだけでこんなに毎日が変わるなら、ぜひ今後も続けていきたい。続けないといかんよ。休みは必要だよ。

 

現在はまだ調整中だけども、試しに長めにゲームしてみたところ普通に頭が痛くなって気分が悪くなった。長けりゃいいってもんじゃないんだね、目も疲れるし。

 

寝る前に明るく激しいゲームやると睡眠に悪影響を及ぼしそうなので、ゲーム以外で何かやりたいことあるかも考えて取り入れていこう。

 

まー毎日の楽しみは超重要ってこったね。無意味なことを予定に入れたら逆にスムーズにいくとはわからんもんだ。

 

手軽なストレス対策により、うつ状態になりかけても立て直せている話

育児ブログのくせに子供達のことを一切書く気がないとんぼである、ごきげんよう。

 

今回もまたストレスの話。ストレス対策といっても様々で、中長期的な効果があるものやすぐその場で効果が表れるものもある。

 

このブログでいつも書いているのは、筆記開示や自然と触れるといったものばかりだが、応急処置的なストレス対策も結構やってたりする。

 

少し紹介してみたい。

些細なきっかけでうつ状態になる

以前にも少し書いたのだが、私は日常的によくうつ状態になったりする。

◆些細なきっかけでうつ状態になるためネットを断つことに決めた話

 

これは自分がうつ病だと認識しなければ、気付くこともできなかったと思う。何かのきっかけによって、突然気持ちが沈んでいくのだ。

 

うつ病の人ならわかるのだろうか、この感じ。今まで普通に、穏やかな精神状態だったはずなのに、ちょっとした一言で世界が終わったような気分になる。

 

このきっかけというのが日常に散らばっていて、ネットを見てるとそういうことが多いので見るのやめよう!というのが上の記事。

 

でも現実は、ネットを見なくてもこのきっかけはやってくる。子供達に対する怒りとはまた違うもので、特に妻が多いかな。

 

言語化すると、大抵はこんな感じ。

 

必要とされていない

愛されていない

孤独

邪魔者

役立たず

いない方がマシ

 

みたいな、負の感情が全身を包み込むような。お、めちゃくちゃ心の病気っぽいね。やるじゃん。

 

具体的には、冗談で妻に言った言葉で明らかに妻が気分を害したとか。私が絶対だと思った意見を頭から否定されたとか。

 

おそらく人によってうつ状態になるきっかけは違うのだろうが、私は「拒否された」と感じた時にうつ状態になりやすいようだ。うーむ、まだ愛されないと生きていけないんだね。

うつ状態を速攻で立て直す

何度か書いているように、このうつ状態に切り替わったことが自分ではっきりわかる。相手のどの言葉で、どういった反応で、自分がどう感じてうつ状態になったのかがわかる。

 

わかったところでどうなんだ?って思うじゃないか。でもね、認識できるなら制御できるんだよ。

 

まず妻に嫌な顔をされた瞬間に、ずずーんとどん底に落ちていくじゃないか。そこから私の応急処置が始まる。

ストレスレベルをはかる

まず真っ先にストレスレベルを測る。今の状態がどの程度のもんか、数値をつける。1~10の間でどれほどのストレスか客観視する。

 

だいたい8とか9とか。まぁどん底だよ。死にたいよ。

呼吸を落とす

続いて呼吸を落とす。4・4・4で吸って止めて吐いてを繰り返すなど。以前は短時間しかやらなかったが、今は1分くらいは呼吸を落として様子を見ている。

 

これだけで少し落ち着いたりする。

メンタルクリアボタンを押してみる

メンタルクリアボタンというストレス解消法があると知ってから、うつ状態になったら必ずやっている。

 

手の中にある架空のボタンを押したら、ネガティブな感情が消え去るという想定でボタンを押すというもの。数字を数えて呼吸しながら色を想像するとか、そんな感じ。

 

どうせ呼吸は落とすのだから、ついでにやってみたりする。あまり劇的な効果を感じたことはないが、なぜか気に入っている。

自分を俯瞰で見る

で、かなり効果があると思われるのが、自分を俯瞰で見ること。今の自分を、外から見たらどんな感じか想像するのだ。

 

幽体離脱して自分を見る感じ。これいいぞ。なんとなく集中して、ふと気づいたらうつ状態が和らいでいる。これは必ずやっている。

楽しい記憶を思い出す

さらに楽しい記憶を思い出す。確か14秒だけでも、楽しい記憶を思い出すとストレスが軽減するらしい。

 

いつも思い出すのはBUMP OF CHICKENのライブに行ってDannyを聞いた時のこと。これ思い出すと、確実に笑みがこぼれるので誰にも見られない状態ならやっている。

ストレスレベルを再度測る

ここまで3分くらいで終わる。で、最後にストレスレベルを測ると、ゼロにはならないが3前後くらいまでは落ちてたりする。

 

気分は軽くなっていてうつ状態は解除されている。解除されていないこともあるが、8割くらいは成功するぞ。

筆記開示+セブンコラムやる

寝る前にこのネガティブな感情がどんなものだったか書き出してみる。余裕があればセブンコラムにてバランスのとれた思考を考える。

 

妻は私を嫌っているわけではない、私の意見が気に入らなかっただけで、それ以上でもそれ以下でもない、など。

 

仕上げは必要だよね。

不要なうつ状態は防げている

以上が、応急処置的にとっているうつ状態への対策である。実際これらの対策によって、うつ状態を何度も即回避しているぞ。

 

ただこれは些細なきっかけでうつに襲われた時の話。不安になったり落ちる必要がない、うつ状態にならなくてもいいと頭でわかっている案件の対策だ。

 

疲労困憊で子供達のイライラ発言が続いたらこんなもんで怒りは止められないし、逃げられず対策すらできないことも多い。

 

先日もあった忙しさによるストレスは元凶を何とかしないとどうしようもなかったし、あと普通に朝は体が動きません。それに一日中だるいです。

 

ずっと続く大きなストレスもあれば不意に襲ってくるストレスもあるということさね。私が思ってた以上に、ストレスは奥が深いのだ。

 

とりあえずは、この突然のうつ状態を8割方回避できているのってのは素直に喜ばしいことだと思うね。

 

ストレス対策の参考にした書籍 

 

無理難題を抱え込んでストレスが限界だとを体が教えてくれていた話

できることとできないことを区別して、少し落ち着いてきたとんぼである。ごきげんよう。

 

子供達と毎日1時間遊ぶこと。料理を朝昼晩と完璧に作ること。これらを一旦手放してみた結果、わかりやすいくらいに肩の荷が降りた。ピリピリ感が消えている。

 

相当なストレスだったことが今になってわかる。しかもそれは体に現れていた。

ここ数週間の不調を省みる

半年ほど前にも、ストレスによって体の変化が起きたと書いた。これは白髪や粉瘤などなど。

◆子供達との関係性の悪化や引っ越しによるストレスで起きた身体の変化

 

体に影響が出るほどのストレスを抱えていると自覚してたらまだいいのだが、今回も「大丈夫」だと思っていたからね。

 

今思えばおかしな点が多々あったので、いくつか書いてみたい。

白髪が増えた

上の記事でも白髪が増えたと書いているが、つい2週間ほど前に自分で髪を切った時は、思わず「うそだろ?」と声を漏らしてしまうほどの白髪の量に驚いた。

 

鏡を見れば全体的に白髪がポツポツあるし、前髪にすら白髪が混じっている。増えすぎだろ、怖いよ。

 

白髪は伸びるスピードが黒髪より早いらしいのだが……今わかることは、ここ数ヶ月のストレスはすごかったということだけ。こんなにわかりやすく白髪って増えるもんなんだね。

 

まだ33歳なのに、苦労してるんだね。

便秘になる

また非常にわかりやすかったのが便秘だ。料理を徹底的に始める前までは、調子がいいわけではないが悪いわけでもなかった。

 

何より私は体にいいものしか食べていない。加工食品はほぼゼロだし、昼は果物メインで、夜は肉と野菜と卵とさつまいも。

 

ココアも飲んでるしプロバイオティクスも飲んでるし、ボーンブロスだって飲んでいる。これで便秘になるわけない。おかしい。

 

でも出ないんだよ。全然出ない。出たとしても、コロコロした明らかに不健康なやつしか出ない。

 

あまりに出ないので食べる量が少ないのかと疑って、義母の家で試しにたらふく食べてみたがそれでも出なかった。三杯くらいおかわりしたんだけど。

 

なのに、料理と子供達と遊ぶことを諦めた翌日にはするっと出たのだ。これはもうストレス性の便秘としか思えない。

 

こんなに直接的に体に悪影響及ぼすんかい。怖いわ。

肌が異常な乾燥する

上で書いた通り、体にいいものしか食べてないんだから肌が綺麗になる以外に道はない。それなのにどんどん悪くなっていく。

 

肌がめちゃくちゃ乾燥して、洗っても洗っても角質が取れずに白く残っているような。ちょっとした吹き出物も出てきてさらにうんざり。

 

ほぼ完璧な食事だろ!肌が荒れるわけない!

 

と思ったら、荒れるんだよね。ストレスの影響もあるだろうし、ストレスの影響を受けて便秘になったからというのも大きな原因だろう。

 

こちらもストレスから解放された今は改善に向かっている。おそろしや。

夜に何度も目がさめる

眠りが浅いのか深いのかいまいちよくわかっていないのだが、ここ数週間は本当に何度も夜中に目を覚ましてトイレにいった。

 

23時に寝たら0時にトイレいって、4時にトイレ行って、6時にもいく。

 

尿意を感じたままだと眠った気がしない。だがトイレ行くのも面倒くさい。行こうか行かまいか迷っている浅い眠りのまま睡眠時間を無駄にしている感じ。

 

これも改善する気配が見られた。今日は一度も起きなかったぞ。本当に久しぶりだ。

体の声を聞こう

以上が最近感じたストレスによる体の変化である。

 

上で紹介したようなちょっとした悪い方向への変化があった時に、素直にこれがストレスだと認識できればいいんだけども。なかなかそうはならない。

 

白髪も時間差があるし、便秘は食事のせいかもしれないし肌もそう。夜のトイレだって睡眠の質が低いだけだろう。

 

他の原因を疑って、ストレスで限界だという考えにすんなり至らないのだ。 

 

やっぱり思っちゃうんだよね。私は大丈夫だと。まだまだいける、何のストレスも感じていないと勘違いしてしまう。

 

今後は、こういった体の声にも耳を傾けてみたい。こんなに良質なご飯食べてるのに便秘や肌荒れなんておかしいのだから。

 

少しでも調子が悪いなと思ったら、ストレスを真っ先に疑うくらいでちょうどいいかもしれないな。

 

◆克服可能なコンプレックスは努力によってサクッと消してしまいたい話

◆やりたいことは息抜きにならず。超無意味な楽しい時間を作りたい話

◆そこそこに楽しいはずの料理が重荷になっていた原因を取り除こうの会

きつくて疲れる「子供達と遊ぶ時間」を少しずつ習慣化していきたい話

平日の夜に子供達と遊ぶ時間を作って何度も失敗しているとんぼである、ごきげんよう。

 

ステップファミリーとなって2年半。子供達と一緒に遊ぶことは私にとって最重要項目の一つ。何度となく挑戦してきた。

 

土日はかろうじて一緒にでかけているが、平日の夜に遊ぶのは驚くほどに定着しない。なんでこんなに失敗するのか。考えてみたい。

一緒に遊ぶのは疲れる

単純に、子供達と遊ぶことが私にとってかなりのきつい仕事である。なんというか、介護の仕事をしていた時に近い。保育士ってこんな感じなのかもしれない。

 

スイッチを一つ入れないと遊べないし、子供達の好き勝手な言動・行動に対するリアクションにも気を使ったりする。

 

娘が絵を描いているのを隣でみるとか、息子がゲームやってるのをアドバイスしながら隣でみるとか。身体的なきつさはそうないのだが。

 

でも疲れるんだよ。決して面白くはないんだよ。

 

すごくパワーを使う。子供達と面と向かって遊ぶことに集中するというのは、そう簡単なものではない。子供は大人の私が決して面白いと思えない遊びを延々とやり続ける傾向があるからだ。

 

例えば娘と真似っこゲームをする。娘がジャンプしたり手を大きく動かすのを真似すると、娘はすごく喜んで、もっとやってもっとやってという感を出してくる。延々と終わらない。

 

息子でいえば、意味のないじゃんけん勝負を何度となくやりたがるし、いつまでも終わらないしりとりして嬉しそうだし、ドラゴンボールのマニアックな質問をひたすらやってきたり。

 

楽しい時もあるが、疲れることの方が多い。いつまでこれやんだよという、もういいだろという思いが強くなる。そもそも体が重いのもあるけどさ。

 

だが子供達の遊びを無理やり止めて、私がやりたい別の遊びにするというのは違うのだ。子供達が喜ぶ遊び、子供達が楽しいと思える時間にしたいだけだから。

 

理想と現実のギャップが激しいということさね。やりたいけど、きつい。疲れる。以前も書いたが、これは筋トレみたいなもんなんだよ。

 

筋肉むきむきの体は手に入れたい。でも毎日筋トレするのはまじでしんどい。これよ。あたし、これだと思うわ。

子供達と遊ぶことも習慣化で考えてみる

昨日は料理のしんどさを解消する話を書いた。 

◆そこそこに楽しいはずの料理が重荷になっていた原因を取り除こうの会

 

料理や家事と違って気付きにくかったのだけど、子供達と遊ぶことも同じように習慣化できるのではないか?

 

これまで失敗してきたのは、やり方がおかしいからだ。習慣化するための道筋として、明らかに間違っている可能性がある。

 

だって、最初の目標がこれだぜ。

 

「夜に1時間弱子供達と遊ぶ時間を作ろう!」

 

これは無理だって。今まで運動も何もしていなかった人が、「今日から毎日42.195km走るわ」とか言いだしたら止めるっしょ?ガリガリの私が今日から週7で筋トレすると宣言したら鼻で笑うでしょ?

 

こんなんやる前から続かないってわかるじゃん。無理に決まってるじゃん。

 

それなのに子供達と遊ぶという、人間関係的なものになると盲目になってしまうんですね。無茶な目標だとは微塵も思わず、できるものだと、それが理想なのだと突っ走ってしまった。

 

これが今までの敗因であるな。

ベビーステップで始めたい

この問題も料理の問題と一緒である。子供達と1時間遊ぶのは、今の私には時間が長すぎて抱えきれないのだ。

 

でも、少しだけなら遊べる。1分だけなら、30秒だけなら遊ぶことは苦にならない。少し話しかけるくらいなら何ら問題にならない。

 

だからまずは習慣化と同じように、「子供達と遊ぶ時間」もベビーステップから始めていきたい。いくつか案も書いておく。

 

・娘にアンパンマンの絵を一つだけ書いて渡してみる

・息子とじゃんけんを一回だけやってみる

・息子に「今日学校どうだった?」と聞いてみる

・娘の隣に数秒だけ座ってみる

・息子の隣で10秒だけ一緒にYouTube見る

 

こんな感じで、風呂上がって娘のトイレトレーニングしたら何か一つめちゃくちゃ簡単なものから始めていくというのを今後のメインの方針とする。

 

一瞬だけでも子供達と一緒に過ごす時間を作って毎日続けていけば、遊ぶことに対する拒否感も消えてくるはずだ。で、少しずつ時間を伸ばしていくような。

 

うむ、見事な計画であるな。苦痛にならない範囲から始めていこう。

 

そこそこに楽しいはずの料理が重荷になっていた原因を取り除こうの会

料理を引き続き継続しているとんぼである、ごきげんよう。

 

つい昨日、やることが多すぎてストレスが爆発したことを書いた。

◆目に見えてうつが悪化するため料理も子供達の相手も今はまだ無理な話

 

子供達と遊ぶことと、料理をすること。これら二つがきつすぎて、パンクしてしまったという話。この後日談を交えながら、今後の料理について書いていきたい。

月曜日の朝

日曜に「もう無理だろ」と料理も子供達と遊ぶこともすべて諦めた。無理なもんは無理、できないことは切り捨てることにした。

 

そう決めただけで心が軽くなる。私がやっていたことが、どれほど私の心に負担をかけていたかがわかる。あぁ、しんどかったんだね。

 

妻にもしばらくはまともな料理しないし子供達とも遊ばないよと告げて、肩の荷が降りる。

 

で、その翌日の月曜日は三連休の最終日。心は軽くなったが相変わらず体は重い。子供達より数時間遅くふらふらーと起きた。だるい。でもやる気はゼロだから気が楽だ。

 

しばらくすると昼ごはんがないことに気づく。妻がやると言ってくれたが、なんとなく断って私が作ることにした。

 

あれもこれも!とテキパキ動かなければ、負担にはならないだろう。美味しいものを作る気もない、急ぐ気もない。だらだらと適当に料理をして終わり。楽勝だ。

 

やってみると、料理自体はそこまで苦ではなさそうだ。むしろ楽しいくらいで、台所の片付けも気にならない。

 

さらにその夕食も適当にうどんを作ったりとか、明日のご飯を炊くなど最低限の料理ができた。

 

何のストレスも感じない。当たり前のように体が動く。料理に集中する気もないし子供達の相手をする気もゼロなので、話しかけられてもイライラしない。

 

あぁそうか、私は料理が嫌いなわけじゃないのか。ただやることが多すぎただけなのか。

 

そう結論づけた。

まずは作業量を減らして様子を見よう

問題点として大きいのが、昨日も書いた通り料理にかける時間が長すぎたことだろう。

 

・妻や子供達の朝ごはん

・妻と子供達の夕ご飯

・妻の弁当

・自分の昼ごはん、夕ご飯(家族と別、朝食なし)

 

これを一気に抱え込んだことが間違いだった。最終的な理想としてはすべてこなせるようにするとしても、今の私には無理なのは明らかだ。

 

細かい問題点もある。うつ病のためか、朝の私は体がほとんど動かない。早起きなんて不可能だ。ならば朝食は前夜に準備するしかない。

 

これがきっついんだよ。夕方に家族の夕食作って、自分の夕食作って、妻の弁当作って、それから明日の朝食だ。おにぎりとかパン焼くとか。

 

料理を切り替える度に洗い物がでるし、家族の食事後の皿洗いもある。台所の片付けもあるし、ゴミ捨てもある。

 

こんなに夜は忙しいのに、時間を切り詰めて子供達と遊ぶ時間まで作っていた。まじで頭おかしい。本当にしんどい。

 

一体いつ終わるんだこれは。先が見えない。今思えばそんな苦痛があったのだ。気づかなかったよ、人間って面白いね。

 

さて、これから私がやることは簡単だ。

 

苦痛にならないレベルの料理からはじめて、慣れたら少しずつ手を広げていく。

 

例えば夕食は、子供達にも私と同じパレオ的な加工食品一切なしの肉野菜炒めをおかずにあげてみる。そうすれば料理が一品減る。

 

慣れてきたら週に一回くらい、子供達が食べたいものも作ってみる。ラーメンとかね。

 

また朝ごはんはとりあえず市販のパンやヨーグルト、シリアルなどの前準備がいらないものにしてみる。夕食がいい感じになってきたら、朝も週に一回パンを焼いてみることから始めるとか。

 

要はキャパシティの問題だよね。急には広がらないから、負担にならないように慣らしていくしかないってことだ。

美味しい料理は人生の楽しみになりえる

以上、今後の料理についての考える会であった。思えば結婚してからずっと、料理や料理中の子供達の対応でイライラしてばかりだ。

 

これがうつ病の原因とさえ言えるかもしれない。それでも、なんでこうも私が料理にこだわるかといえば、料理が人生の楽しみになりえるからに他ならない。

 

仕事や学校が終わって帰宅したら、めちゃくちゃ美味そうな食事が用意されてたらテンション上がらない?それが1日に楽しみになるでしょう?

 

だから家族はもちろん、私にも美味しい食事が毎日あったらいいなぁとは思うのだが。なかなか道は険しいな。

 

今のところ、作業量さえ抑えれば毎日レトルトという悲惨な状況にはならなそうで安心している。やりたくなかったら絶対やらないからね。

 

次回は、子供達と遊ぶことについて考えよう。

  

目に見えてうつが悪化するため料理も子供達の相手も今はまだ無理な話

三連休で地獄を見たとんぼである、ごきげんよう。

 

あそこまで落ちるのはなかなかない。明らかにうつ病のバイオリズムとは質の違う感じ、うつが悪化していっている感じ。

 

あ、こりゃやばいやつだ!と察したため、活動を再度ゆるめにすることにした。

調子こいて料理をしていたら

数ヶ月前にうつ病だと認識してからは、料理は相当に手抜きになった。レトルト系やカレーのような大量に作れるもの、または市販のパンを朝ごはんに出したり。

 

この対策によって私の仕事が激減して楽になっていたのに、ちょっと元気になったので料理に手を出してしまった。

◆完全に手抜きになっていた料理が少しずつ復活しつつある話

 

このあたりか。1ヶ月もならないつい最近のことだ。でさ、一度やっちゃったら、継続したいって思っちゃうんだよ。頑張っちゃったんだよ。

 

で、料理を色々やってみたところ、息子が「これ飽きた」「○○きらい」とか偉そうに言ってくるのがかなりのストレスだと判明する。

 

ならば美味しいご飯を作るしかないと、文句を言わせない料理を作り出す。例えばラーメンが食べたいと息子から要望があったので張り切ってこんなん作った。

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チャーハンと餃子とラーメン。餃子と生ラーメンは市販とはいえ大変なんだぞ。そりゃうまいよ。喜ぶよ。毎日美味しい料理を作って、翌朝のパンを焼いたり妻の弁当を準備したり。

 

さらにパレオダイエットをしている私と家族では食べるものは違う。上のラーメンなんて絶対食べられないから、自分の食事も別に作らなければならない。

 

こうして台所に立つ時間が増えるとまた別の問題が出てくる。夕方、暇な子供達が料理中の私の周りをうろちょろし始めるのだ。

 

これがまた曲者。私はマルチタスクが大嫌い。本当に嫌い。

 

料理や片付けに集中している私に話かけるな。邪魔するな。

 

そう思いつつも、子供達に丁寧に対応することの方が重要だ。イライラしながらも相槌を打ったり、話を聞いたりする。

 

それもすぐに限界がきた。

◆妻と喧嘩して自身が自分の人生の責任を背負う覚悟がなかったと知る

 

この記事で書いた通り、私が料理している間の子供達をなんとかしてくれという怒りが爆発する。爆発したが、結局この怒りは私の理想を押し付けているだけ。

 

ならば自分で解決するしかないと、子供達がいない時間に料理をし始めた。さらに退屈な子供達を見て不憫になったので、空いた時間で子供達と遊び始めた。

 

この時点でかなりきつい。少し料理を始めただけだったのに、いつの間にこんなにやることが増えたんだ?

 

そしてこの三連休の日曜日の朝。私のストレスは抑えきれないものとなる。朝起きて片付けして料理を始めたら、当たり前のように暇な子供達がうろちょろし始めたのである。

 

平日は対策をとっていたが土日までは想定外。だって三食あるんだぜ。どうしたって台所に立つ時間が増える。常に暇な子供達もいる。

 

イライラして仕方がない。でも私がやりたいからやっていることなのだ。この問題は、私が変わるしかない。

 

やることは一つ、土日も対策をとろう。前日の夜に三食分の食事を準備しておけば、常に子供達の相手ができる。ちょっとくらい夜更かししてもOKだろう。

 

そう決めて、どのようなスケジュールにするか事細かく考えていたのだが。その時すでに、体は重く、気分は悪く、頭が痛い。

 

子供達とも妻とも会話をしたくない。相槌も打ちたくない。遊びに行く予定だったのに、私一人だけ自宅に残った。

 

寝室でぼけーっと横になって、やっと気づいたよ。

 

これ、無理だわ。

できることとできないことを区別する

いつか見た『ツレがうつになりまして』で言っていたことを思い出す。うつ病には”あとで”が大事。

 

あせらないこと。

とくべつ扱いしないこと。

できることとできないことを区別すること。

 

私はいつの間にか、できないことまで抱え込んでいた。無理して、頑張って、体と心を痛めつけてまで頑張っていた。

 

いやね、ずっとできないわけじゃないんだよ。今の私には無理なだけ。美味しい料理を作って、子供達と遊んで、休日も一緒に出かけて。

 

こんなん急にあれもこれも手出したらそりゃ自殺コースだわ。なんで調子に乗っちゃったんだろう?なんでできると思っちゃったんだろう?

 

とはいえ、今回挑戦してみてわかったこともある。それは、料理一つとっても実際にやってみるとそれなりの弊害があるということ。

 

そもそも朝昼晩ご飯に自分の食事と作業そのものが多すぎる。子供達には好みがあるし文句も言ってくる。子供達がいる時間に料理をしたら暇な子供達に絡まれる。そしてこれらが異常なストレスになりえる。

 

何も考えずに手を出すと痛い目に見るやつだったわ。甘く見ていたわ。一歩ずつ、少しずつ歩みを進める案件だと思い知ったぜ。

一旦白紙に戻しましょ

そんな失敗談である。もううんざりしているので、料理についても子供達と遊ぶことについても一旦白紙に戻そう。

 

料理はまた超手抜きに戻して、子供達にも元気がないから遊びませんと伝えよう。無茶をしない日々に戻して、一度落ち着こう。

 

で、元気になったら。今度は子供達がいない時間に、少しずつ料理を再開しよう。週に1回から始めるとか、朝ごはんだけ作ってみるとか。

 

料理は別に嫌いじゃないんだよ。ただやることが多すぎただけ。無理難題を抱えこんでパンク寸前なだけ。やり方を考えれば何とかなるだろう。

 

逆に子供達と遊ぶのは心底嫌だったみたいなので、少しずつ慣らしていく必要がありそうだ。筋トレみたいなもんだね。

 

まぁいいや。笑いもせず相槌も打たずに無視する父親が台所に立っているより、レトルトでも笑ってご飯食べた方がまだマシだろうさ。

 

子供達に健康被害が出るより先に、私が自殺するかもしれんからな。

 

やりたいことは息抜きにならず。超無意味な楽しい時間を作りたい話

三連休があると事前に記事のストックが必要になってしんどいとんぼである、ごきげんよう。

 

最近は子供達の話よりも自分のメンタルやストレス対策の話ばかりしている気がするが仕方がない。これが今もっとも熱いことなのだから。

 

さて、前回子供達と遊ぶ時間を作ったところで、何も面白いことがないと書いた。つまらないと、世界が色褪せていると。これだね。

◆子供達と夜に遊ぶ時間を作ってたった4日で体が動かなくなった話

 

この打開策として楽しい時間を作りたい。だが、楽しい時間を作ることすら今までに何度か失敗してたりする。

 

楽しいことをするだけなのに失敗するって、一体どういうことなんだろう?考えてみたい。

すべてにメリットを求める効率厨・とんぼ

これまでも生活の中には楽しみの時間が必要だと書いてきたとんぼ。そんな時間を作るために、自分がやりたいことをやれるように計らってきたつもりである。

 

でもなんか違う。私がやりたいことって、よく考えたら別に楽しくないことが多い。ギターをうまくなりたいとか、歌がうまくなりたいとか、滑舌を綺麗にしたいとか。

 

これらは確かにやりたいことで趣味に近いものではあるのだが、このような趣味を続けた先の見返りを求めていたりする。

 

歌が上手くなったら自分が好きになれるだろうし自慢できるだろう。ギターもそうだし、滑舌がアナウンサーのようだったら色々とメリットがある。

 

そう、メリットがあるのだ。今後の人生に確実にプラスになるだろうことを見越しているからこその”やりたいこと”なのだ。

 

確かにこれらの趣味を続けることは力になるのだろうが、じゃあ毎日これらを練習する時間が楽しいのか?心から楽しめる時間か?息抜きか?と問われると、そうでもない。

 

好きな時に歌う。好きな時にギターを弾く。これは確かに息抜きだけど、練習の時間を作っちゃったらそれはもう息抜きにならない。むしろノルマに近い。

 

それだけで1日のすべてが埋まってしまったら、一体どこで息抜きをするんだ?潰れてしまうのが目に見えているではないか。

 

今まで私が”楽しみ”だと認識してやろうとしていたことは、純粋な楽しみではないし息抜きにもなっていなかった可能性がある。

 

だからどんだけ楽しい時間を増やそうとしても、何も面白くないのだ。楽しみの定義がおかしいんだよ。

無意味さを絶対視したい

楽しみに何かしらの利益を求めていることが一番の問題点だと思われる。

 

楽しんで楽しんで、結果的に利益を得たのならいい。ただ基本的には、利益や見返りを求めない方がいいのだろう。

 

何の意味もない。今後の人生においてまったく役に立たない。毒にも薬にもならず、自慢もできない。しょーもない。

 

でも、楽しい。

 

これじゃないか?これこそが楽しみであり、娯楽であり、息抜きなんじゃないか?

 

例えば代表的なのがゲーム。ゲームは娯楽だ。むしろやらない方がいいかもしれない。時間の無駄とすら思えるかもしれない。

 

だが好きなのだ。正直言ってゲームが大好きだ。ゲームがやりたい。ゲームを思う存分楽しみたい。やりたいやりたい!

 

これほどやりたくて好きなのに、何のメリットも見出せないためプレイすることはほとんどない。手を出しても、意味がないから気分が悪くてすぐにやめてしまう。

 

先日紹介したドラクエウォーク。

◆ドラクエウォークが田舎でも遊べてウォーキングのお供になりえそう

 

これも面白くて仕方がなかったのに、生活の邪魔になると判断し二週間で削除してしまった。楽しい時間だったはずなのに。

 

このように、メリットがなければゲームすらできない効率厨なのが私だ。自ら楽しい時間を捨てて捨てて捨てまくってきた。メリットがないからと、息抜きの時間を叩き潰してきた。

 

これじゃ精神崩壊するし世界も色褪せるわ。無意味だけど楽しい時間ってのは生活に必要なんだよ。むしろ無意味だからこそ意味があるんじゃないか?

 

そう思うんですが、いかがでしょう?

効率厨なりに無意味な時間を作りたい

私の効率厨っぷりは異常で、休憩すらもメリットがなければできない。

 

うつ病の治療という名目があるから最近は昼に率先して寝ることも多いが、それがなければ日中に長時間の昼寝をすると最低の気分になる。

 

日常的な行動のすべてこんな感じ。いつからこんな効率厨になっちゃったんだろう?ネットの影響っぽい。

 

こういう考え方の人なので、あえて超絶無意味な時間を1日の中に組み込むことが重要なのだと今は思う。

 

あとは実際にどこに組み込むか、どれくらい時間をとるか、何をするかという話になってくるが、とにかくこの時間は死守したい。日常的なノルマに侵入されない時間にしたい。

 

とまあ細かいことは置いといて。

 

私もゲームやっていいんだよね!?スプラとかモンハンとかライバルズとかCoDとか、毎日やっていいんだよね!?この時間って毎日、今後もずっと必要だよね?!

 

まじで!?超嬉しいんだけど!!こんなに喜ばしいことここ数年ないんですけど!!

 

とりあえず今は、大手をふってゲームができることを喜びたい。ゲームに飽きたら何すっかな。うへへ。何してもいいんだって。

 

スケボーする?やりたいと思ったこと一度もないけど!

 

おぉ、ひさびさにテンションあがるな。今まで無駄だ無駄だと捨てまくってきたものを拾い集めていこう。

 

無意味な時間だからこそ意味がある。結局効率厨なのは変わらんが、無意味な時間が必要というのは盲点だったぜ。

 

子供達と夜に遊ぶ時間を作ってたった4日で体が動かなくなった話

だるいだるいとんぼである、ごきげんよう。

 

今これを書いているのが金曜日の夜。今週は月から木まで、1時間程度子供達と遊んだ。娘とは一緒に暴れまわったり、息子とはゲームをしたり。

 

◆夜に子供達と1時間ほど遊ぶ時間を作ったら二人ともとても喜んでる話

この記事でも紹介したが、これをやったところ、わかりやすいくらいに体に影響があったんだよ。

そもそもきつかった先週の話

先週の私は忙しかった。娘が学校を休んだり、娘の病院受診に1日付き合ったり、妻が帰ってこない日があったり。日曜日もほぼ半日は娘の学校のイベント。

 

イレギュラーな予定が多くて気が狂いそうになるほどの怒りを覚えた。

 

その翌週が今週だ。普通に月曜日からだるい。きつい、眠い。何もしたくない。そんな状態ではあるが、見切り発車で子供達と夜に遊ぶことにした。

 

そうなると色々とやることが増える。まず、夕食の時間を前倒しにしないといけない。

 

17時ごろから夕食を作り始めて片付けまでやって、自宅で娘を迎え、その後息子を迎えに行く。3人で風呂に入って、娘のトイレトレーニングをする。

 

それから娘か息子と1時間ほど遊んだら、夕食の配膳、寝室の準備、片付け、朝ごはんと弁当の準備。

 

全部終わったら自分のストレス対策に入る。翌日の予定をたて、筆記開示をしてセブンコラムを書き、30分本を読んだあとで1日の行動を振り返って、寝る。

 

はっきり言おう。

 

超きつい。

 

いやまじで、夕方から1日が始まるかのような忙しさ。久々に筆記開示やりたくなくて仕方がなかった。

 

まじできつい。翌日は朝から送迎だから、多少は早めに眠らないと朝に地獄を見る。きつすぎる、もういやだ、逃げ出したい。つらい。なんでこんなにやることが詰まってるの?

 

結局朝起きるのがきつくて、送迎いった後も寝るしかない。そしたら日中ほとんど寝てるかだらだらしてるかでブログを書くのも夕方になり、それが終わったら多忙な時間の到来。

 

◆それでも体は動かない、とんぼのうつ病奮闘記

こちらの記事で紹介した自然に触れるとか、笑顔を探すとか。今までは余裕でやっていたのに、子供達と遊ぶ時間を作った瞬間にめちゃくちゃきつくなった。やりたくない。

 

いやだいやだ!何も面白くない!

 

そう思っていたら、当たり前のように体が動かなくなりました。

金曜のとんぼ

月〜木と子供達と遊び続けて、金曜日の朝には自分でもびっくりするほどに体が動かなくなった。悪夢を見ながら浅い眠りの中で、妻や子供達が起きていくのが聞こえる。

 

起きなければ。そう思っても体が動かない。頭は冴えてきても、体が動かせないのである。やっちまった、また頑張ってしまった。

 

以前にも同じような感覚に陥ったことがある。必要なことばかりで生活のすべてを埋めてしまって、何の楽しみもない1日が続く。

 

そうなると私の体は面白いように動かなくなる。ストレス対策でのほほんとうつ病を回復させるつもりが、気づいたらめちゃくちゃ頑張っている。

 

自分の時間を削って頑張って、その反動で自由な時間は眠るだけ。何も面白くない、世界が色褪せて見える。なんでこんなにつまらないのか。

 

とまぁ、たった四日間子供達と遊んだだけでこうなってしまうんだぜ。面白くないですか?

これからどうするか

この失敗については過去に経験済みだし、なんとなく自分でも解決方法がわかっている。これは生活のバランスがおかしいだけなのだ。

 

私にとって非常に重要で、絶対に毎日やりたいことは主に二つ。

 

ストレス対策(うつ病対策)

家族が自由で穏やかな時間が過ごせる空間を作ること

 

これだけなのだが、この二つって別に私がめちゃくちゃ楽しいわけじゃない。やりたいからやっているのは確かだが、テンションがあがることばかりでもない。

 

つまり、楽しさが足りないのである。全てから解放されて、重要性も何も考えずに、何の意味もないけど楽しいことをやる時間が必要なのだ。

 

というわけで、”無意味かもしれないが楽しいことをやる時間”を予定に追加することにした。

 

今までやりたいことと楽しいことを勘違いしていた節がある。ゲームがまさにそれ。夕方に1~2時間ほどあれば十分な息抜きになりそう。

 

この時間を追加することを決めただけで、少し体が軽くなったので相当な効果が期待できるんじゃなかろうか。

 

あまり無茶するもんじゃないと反省している。ただ、やらなきゃわからんこともある。調整調整じゃ。

 

夜に子供達と1時間ほど遊ぶ時間を作ったら二人ともとても喜んでる話

自らの理想を具現化したいとんぼである、ごきげんよう。

 

先日書いたこちらの記事。 

◆妻と喧嘩して自身が自分の人生の責任を背負う覚悟がなかったと知る

 

このあとの私は早速、夜に子供達と遊ぶ時間を作り始めた。だいぶ前にも挑戦して続かず失敗しているが、今回はどうだろうか。

 

忘れないように、その全貌を簡単にまとめていく。

細かいスケジュールを考える

夜に暇してる子供達と遊ぼうと考えた時に、様々な障害がある。それは夜がとても忙しいということだ。

 

以前は私が料理や片付けをする役で、妻が子供達と遊ぶ役にしていた。その子供達と遊ぶ役も私がやるというのだから、なかなかに厳しい道である。

 

ただやることは簡単だ。要は今まで料理をしていた時間以外に、料理する時間を設ければいいだけ。

 

そこで、今までは夕方まで自分の好きなようにだらだら過ごしていた時間を切り詰め、子供達を迎える前に夕食を作り始めることにした。

 

料理が中途半端に残っていると、子供達と集中して遊ぶことができない。レンジでチンしたら食べられるくらいの状態まで作ってしまうのだ。

 

実際にやってみると、そう難しいものではない。17時頃から始めれば、息子を迎える時間までに1時間はある。

 

片付けをする余裕すらあるね。で、子供達を迎えてお風呂にいれて娘のトイレトレーニングが終わったら、そこから1時間弱。子供達とがっつり遊ぶのである。

別々で遊ぶ

我が家では娘と息子のテレビの日を曜日ごとに分けている。好きなテレビを見られる方はいいのだが、見られない方は暇で仕方がない。

 

そのテレビの日じゃない方と私が遊ぶのである。

娘と遊ぶ

月曜日は娘と遊んだ。久しぶりに”忙しくない状態”で遊ぶので、何をしていいかもわからん。とりあえず二人で絵を描いたり、ブロックをしたりした。

 

あれやろうこれやろうと言って無理やり遊びを選んだこともあってか、娘は無表情で私に付き合っているという感じ。難しい。

 

水曜日は月曜の反省をいかして、娘のやりたいことをやってみようという試み。娘は真似っこゲームが好きなので、娘の動作を真似してみる。

 

すると物凄い食いつきで、楽しすぎてヨダレが垂れるほど喜んでいた。声を出して、満面の笑みで笑いながら一緒に走り回ったり踊ったり。

 

あそこまで声出して娘が笑っているところ久々に見たわ。

 

よっぽど楽しかったのか、あれ以来私の名を呼ぶことが心なしか増えた。こうやって関係性を良くするというのもあるんだね。知らなんだ。

 

暇つぶしとしては上々だな。

息子と遊ぶ

火曜日は息子と遊んだ。息子は5歳でYouTubeが大好きだ。いわゆる動画勢というやつで、ゲームをやったことがないくせに知識だけがある。

 

以前は、こいつの好き勝手にさせてたまるか!という怒りもあったものの、今は少し違う。朝から晩まで頑張ってんだよ、息子は。

 

やることも全部やり終わった夜なんだから、息子にとっての楽しい時間にした方がいいんじゃないか?

 

そう考えて、息子がやりたいことを希望通りそのままやる方針である。火曜はマイクラをやった。二人で。

 

息子は無駄に知識だけはあるが、結局ほとんどやったことがないからぐだぐだ。それでも楽しそうであった。

 

木曜日は最近はまっているらしいドラゴンボールのゲームがやりたいというので、ドラゴンボールレジェンズをインストールして一緒にプレイ。

 

チュートリアルが丁寧なのはいいのだが、丁寧すぎて幼稚園児の息子には難しい。これで面白いのか疑問だったが、遊び終わったあともずっとゲームの話をしていた。

 

料理中の私にもしつこく話しかけてきたので、遊びの時間は終わりだと妻に怒られていてしょんぼりしていたぞ。

 

これもまぁ成功と言っていいだろう。

一緒に遊べる存在になろう

というわけで、子供達と今週は毎日遊んだ話であった。

 

スマホアプリをプレイさせすぎるのも微妙かと思うんだが、どうせ中高生になったら自分で落としまくって遊ぶのだ。

 

その時に初体験で、誰にも教えられずに課金しまくる廃人になる可能性もある。それなら、親が一緒に遊べる時期に教えておくのも悪くない。

 

何より子供たちがやりたいっていうなら、1日1時間くらいならそう悪い影響もないんじゃなかろうか。楽しみがないことの方が悪影響かもしれんし。

 

とりあえず、子供達が二人だけで遊べる感じではないので、少しは親の私と一緒に遊ぶ時間を作ってみようという試みであった。

 

はて、いつまで続くだろうか。疲労困憊で、金曜日の時点ですでに体が動かないんですが。

 

克服可能なコンプレックスは努力によってサクッと消してしまいたい話

気付けば自分が嫌いになっていたとんぼである、ごきげんよう。

 

自分というと、ここでは主に見た目や印象、喋り方の話。久しぶりの人や初めましての人に会ったりすると、極端に自分を恥じていることに気づく。

 

これがまたとんでもないストレス源なので、少し対策を考えたい。

自己受容は大事だが

自分の見た目は好きではない。服装も、髪型も、肌も、声も、体も。若かりしころはそれなりに好きだったのに、気づいたら酷いもんだ。

 

とはいえ、基本的に他人からどう思われても関係がないというのがアドラーを愛する私のスタンス。他人の考えを私が決めることができない。私に変えられないことを思い悩んでも仕方がない。

 

ありのままの自分を受け入れること。自己を無理やり肯定するのではなく、受け入れること。ありのままの自分を受け入れた上で前に進んでいくのが重要だと。

 

えぇ、まぁこれが理想なんだけども、ありのままの自分を受け入れてくださいと言われただけで、自分を恥じなくなるほど私はちょろくない。

 

みっともない姿を人に見られたら死ぬほど恥ずかしいし、何言ってるかわからない滑舌の悪さが気に入らないし、肌が荒れているのに顔を近づかれると本当に気分が悪い。

 

自己受容は難しいのだ。それに自己受容できてたらうつ病になんてなってない。これを前提にして前に進むのは相当にしんどい。 

 

そりゃ受け入れざるをえないものもあるかもしれない。身長とか、顔とか。でもそうじゃない。私が嫌いなものは自分で改善できるものばかりだ。

 

それならば、自己受容の精神を手に入れるよりもサクッと努力して解消しちゃう方が簡単だよね?早いよね?

 

解消したら自信もついて自己受容感も高まるだろうし、何より解消できるコンプレックスを放置している状況も気に入らん。

 

というわけで、やってみよう。

一体自分の何が気に入らないのか

完全なる自分語りとなるが、自分の気に入らない点、また改善できる点をあげてみる。

髪型が気に入らない!

常に寝癖みたいな髪型をしている自分が気に入らない。これ受け入れろったって無理だろ、だって寝癖なんだもん。

 

ひきこもり体質なので、あまり親しくない人とがっつり話すのが得意じゃない。そうなると美容室なんて行かなくなる。自分で髪を切るようになる。

 

今では数ヶ月に一度、すきバサミでばっさばっさ自分の髪を切っていくだけ。もう10年以上このスタイル。

 

これいい加減なんとかしたほうがいいな。髪型で人の印象がほとんど決まると言ってもいいくらいだから、もう少し伸びたら美容室に行ってみよう。

 

無職だから嫌なんだよ。無職に仕事の話しないでほしい。

肌が気に入らない!

私は自分の肌が汚いと思っている。10年ほどまえには、肌荒れ対策に全力を注ぐ感じのブログを書いてたりもした。サプリを10種類ぐらい飲んでた時期も。

 

なんやかんややっても結局肌が綺麗にならないまま結婚して子供までできてしまった。妻が私の肌を受け入れた上で結婚したのだから、もはや今更感も漂っている。

 

でも嫌なんだよ!私はスーパーハイビジョンに映っても耐えられるような、綾瀬はるかのような肌になりたいんだよ!

 

昔は洗顔方法やサプリメントなど小手先のことばかりしていたが、仕方がない。食事制限と運動という切り札を使って、なんとか肌を綺麗にしたい。

 

また最近、皮膚科にて液体窒素でシミ(イボ?)を焼いてもらった。保険で消せるなんて嬉しい。

 

一つずつクリアしていきたい。

服が気に入らない!

もともと集中力を高めたいという目的もあって、服は数が少ない方がいいと捨てまくった。その結果、ほぼいつも同じ格好に。

 

スティーブ・ジョブズみたいに突き抜けてればいいんだけど、私は自分の格好がみすぼらしくて嫌だった。どこに行っても、どんな時も同じ服だから。

 

ものすごいストレスだったので、妻に頼んで最近ジーパンを買ってもらったぞ。嬉しい。少しずつ増やしていきたい。

滑舌が気に入らない!

親が早口だった影響で私も早口で、その早口に滑舌がついていってない。わかるんだ。誰かと話していても、自分が何言っているか伝わっていないだろうことが。

 

というわけで、少しずつ滑舌訓練を始めている。リップロールや、ハミングなど。上達したらラジオやるぞ。

ひょろがりが気に入らない!

若い頃からずっとひょろがりのとんぼ。筋トレをした時期もあるが続かなかった。

 

今はまだメンタル的にも筋トレができる状態ではない。数日動けなくなりそうだからやめておくけど、体が大きくなると自信もつくだろうし筋トレにはメンタル改善効果もあるはず。

 

もう少しうつ症状が軽くなったら始めていきたい。

やれることはすべてやってから

といった感じのクソみたいな自分語りの会となった。これだけ書いてきて、言いたいことは一つ。

 

解消できるコンプレックスをまず解消しないと、自分を受け入れるのが難しいということだ。そりゃね、他人なんて関係ないよ、私は私だよとスルーできたらどんだけ楽か。

 

それが今の私には無理だから、地道に一つずつ潰していくしかない。自分のコンプレックスを努力によって解消して、自己受容を高めていくしかない。

 

解消できないコンプレックスなんて山ほどあるだろうから、解消できるものはちゃちゃっと潰しておきたいね。

 

ちなみに、私にとってうつ病はコンプレックスじゃないぞ。無職なのはコンプレックスだけどさ。

 

それでも体は動かない、とんぼのうつ病奮闘記

今日も今日とて体がだるいとんぼである、ごきげんよう。

 

自分がうつ病だと認識し始めたのが2019年の5月の中旬ごろ。であるが、実際に体が動かなくなり始めたのはその2年前。2017年の7月ごろかな?

 

長い間、自分の不調がメンタルの問題だと認められずにスルーしてきた。だが認めた今は、全力で対策を取っていたりする。

 

少しずつ対策を増やしてきて4ヶ月目。そろそろうつ病包囲網が完成しそうなので、ここらでまとめて紹介してみたい。

とんぼのうつ病奮闘記

5月に「とんぼはうつ病じゃないか」と指摘されて衝撃を受けてから、自分なりにストレスを排除しようと動き始めたところから始まった。一つずつ紹介していく。

仕事辞める

うつ病でも仕事はやめるな、というのが一般的な見解っぽいが、私は自宅でしょぼい仕事しかしていなかったので速攻でやめた。

 

体が動かないのに無理やり仕事してた部分も大きく、さらに日曜日なんかはもう最悪。仕事もしないといけないのに、子供達と遊びにもいかないといけない。

 

仕事仲間にも気を使うし本当の地獄だった。好調ならそこそこ楽しい仕事だったはずだが、仕方ない。

疲れたら寝る

寝ちゃいけないと思っていたのは以前の話。自分がうつ病だと認めれば、寝ることすら治療の一環である。堂々と昼間から寝られるし、それを妻に報告できる。

 

何より眠いのだ。夜に8時間眠ろうがとにかく朝に体が動かない。はいつくばって寝室から出てきて送迎に行っていた。

 

これとか、当時はただの眼精疲労だと判断したが精神的なものだと思われる。

◆眼精疲労がやばすぎて8時間眠って運動してコーヒー飲んでも眠い話

  

とりあえず今は眠かったら何もせずに寝ることを優先している。運動や自然と触れ合うなどなどストレス対策は数あれど、眠かったらまずは寝る!

 

これが一番だわ。眠っても体調が良くなるとは限らないが。

筆記開示始める

我が家族に対して、腹の底から憎しみを感じていたので筆記開示を始めた。毎日20分。

 

筆記開示を少しさぼっただけで、家族への怒りが溜まることも判明済み。そのため、どれだけ眠くても疲れていても、筆記開示だけは寝る前にやっている。必要とはいえ、普通にきついぞ。

 

筆記開示はストレス対策として効果が高いので、おすすめである。

◆子供達への深い怒りと憎しみが筆記開示で完全に消えたことを報告する

 

つい最近は、筆記開示のあとにセブンコラムも一本書いている。これも必要だが、夜が忙しくて嫌なんだよ。

◆認知行動療法セブンコラムを8週間やってみたら心が穏やかになった話

ネット見るのやめる

 休養中のため仕事をしなくていいとなると、当然暇な時間が増える。増えるとネットを見ちゃうよね。ニュースにYouTube、SNSなどなど。

 

これらすべて見るのやめてます。もう一月くらい見ていないので何も知らない。先日病院に行った時に久しぶりにワイドショーを眺めてたら、数分で気分が悪くなる要素が出てきた。

 

まだ早いな。うつ状態を引き起こすものからは距離を置きたい。

◆些細なきっかけでうつ状態になるためネットを断つことに決めた話

自宅を徹底的に片付けた

うつ病で体が動かない時間があるとはいえ、それでも私のやるべきことは少なからずある。料理や送迎、このブログも。

 

やらなきゃいけないんだから、できるだけストレスフリーにしたい。そこで、自宅をがっつり片付けた。

◆身近なストレスを排除すべく徹底的に片付け・改造した二日間を語る

 

私はまったく体が動かない時と、すこぶる元気な時が定期的に入れ替わるタイプ。一度やってしまえばそれでOKなことを元気な時にやってしまうのが重要だな。

食事制限を始める

体は動かない。子供達にストレスがたまる。イライラする!と思ったら暴飲暴食ばかりしていたので、これも改めている。

 

現在一月半くらい経つだろうか。加工食品をほとんど口にいれず、体に良さげなものばかり食べている。さつまいも、魚、フルーツに野菜などなど。

 

体重は減ることはないが、肌は綺麗になっているぞ。どちらかといえば、体重というより肌を綺麗にしたいから続いている感じ。

見た目を整える

気付けば、自分の見た目が死ぬほど気持ち悪くなってしまって仕方がない。

 

うつ傾向が入ってからかな、見た目にまったく気を使わなくなった結果、自分の姿形が気持ち悪い。肌も汚い。服もいつも同じ、髪もぼさぼさ。吐き気がする。

 

あまりに嫌悪感がすごすぎてストレスが半端ない。人にも会いたくない。というわけで、見た目を整え始めている。

 

服を買ったり食事制限したりなど。そこそこにマシになってきているぞ。

自然と触れ合う時間を作る

以前は毎日ウォーキングしながら自然と触れ合っていたが、現在は疲れているなら大人しく自宅にいることにしている。きつい時はちょっとした階段あがるだけで息が切れるもの。

 

それでも自然に触れ合う時間を少しでも作るべく、室内に観葉植物を増やしていつでも目に入るようにして、元気がない時でもベランダで座って遠くの山を眺めるようにしている。

 

元気なら登山、普通なら自然公園、きついならベランダという感じ。歩くのはきついが、自然を見るだけならいつでもできる。

予定系

未来の不安が毎日あって仕方がないので、毎日寝る前に翌日のスケジュールを立てることにした。朝から寝るまで。細かく。

 

予定通りできないことも多々あるが、やる気がある時は助かる。次にやることが決まっていると、迷っている間に何もしなくなってしまうリスクを排除できる。

 

あとは子供達が帰宅したあとに、何があるか、何をするかという不安が日中に襲ってくるので、不安になる時間を作ったり。これはいいね、素晴らしい。

◆子供達を夕方に迎える前にその後の心配する時間を作るといい感じな話

笑顔を探す練習をする

子供達や義母、また学校の先生など、人のネガティブな表情ばかり察知して自分のメンタルを攻撃しているので、笑顔を探す練習をし始めた。

◆笑顔を探す練習アプリ『Mood Mint』を徹底的にやり始めた話

 

二週間くらいになるかな、毎日25分やり続けている。笑顔やポジティブな画像を選ぶのがかなり早くなったぞ。

 

怒っている顔すら笑顔に見えてしまうという成長ぶり。果たしてこれでいいのか?

読書する

こちらも始めて十日くらい。

◆ストレス対策だから堂々とフィクション小説を読んでも問題ない話

 

小説読むのがストレスにいいということで、読み始めたもの。宮部みゆき氏の本を一冊読了して、今はハリーポッターを読み返している。

 

寝る前に読んではいるが、寝る前にやることが多すぎて微妙かもしれない。とりあえず時間を検討しながら続けたい。

行動活性化療法

あまりに毎日が楽しくないので行動活性化療法というものも始めている。自分が1日でやった行動に、楽しさとか重要度とかをつけていくやつ。

 

書いていくと面白いもんで、私にとって重要度が高いものはほとんど楽しくないものばかり。楽しくもないし重要度が低いものも多い。笑えるぞ。

 

少しずつバランスを整え中。

それでも体は動かない 

他にも細々した対策をやっているが、これだけでも色々やっているでしょ?もともとこういうのが好きなのだ。効果があるならとりあえずやってみる、実践派のとんぼである。

 

だが、こんだけやっても私の体は定期的に動かなくなる。昨夜も8時間は寝たのに、今朝は体が動かなかった。7時半に起きて7時40分に子供達を送迎だ。きつすぎる。

 

帰宅後、悪夢を見ながら4時間寝て、つい今しがた起きてこれを書いているという悲惨な状況。こんだけやってもすぐに良くなるもんではないんだよね。うつ病はしぶといのだ。

 

とはいえ上で紹介したものはすべて、実際にやってみるとそう時間はかからない。

 

無職で休養に全力を注いでいるので、どれだけ体が動かなくても毎日こなせるものばかり。というか、ほとんど何もできないところから一つずつ増やしてきた感じ。

 

5月6月は体が動かない日が多く寝てばかりいたが、今では土日を頑張ったら数日ダウンして、水曜日くらいからは元気が出てくる流れ。

 

最後に瞑想加えたらこれ以上ストレス対策やんなくてもいいかもしれないが、仕事を始めたとしてもこういったストレス対策は継続していきたい。

 

仕事の時間はできる限り短時間で生産性を高めて、家族との時間やストレス対策・娯楽の時間を十分にとるというのが理想やね。

 

何もしてないように見えて、結構頑張っているんだぞ。頑張れが禁句のうつ病なのに頑張っているんだぞ。

 

一歩間違えたら自殺コースだわ、震えがとまらん。