ステップファザーにできること

発達障害の娘とやんちゃ息子の父によるステップファミリーの話

ステップファザーの虐待についてステップファザーが語る

誤解を恐れずに言えば、ステップファザーをやってると虐待するステップファザーが多いことを理解できたりする。

 

虐待を肯定するわけではないぞ。

 

今回は、ステップファザーとなって2年近く経った私の考えを述べていこう。しばらくお付き合い頂ければ幸いだ。

ゼロの親子関係 

ステップファザーにとって妻の子供は、最初ただの他人だ。血の繋がりもなく積み上げてきた時間も何も無い。

 

妻は愛していても子供は愛していないというのが普通だろう。

 

だが虐待をしたステップファザーだって、最初は妻の連れ子を愛そうと努力をしたはずなのだ。

 

自分の子供として愛してみようと、家族になろうと頑張ったはずなのである。

 

だがそれはそう簡単なことではない。

 

私は幸い子供たちの年齢が幼くすんなり父親として受け入れられたが、これがもう二、三年遅かったらまた違う結果になっていたかもしれない。

 

愛そうと決心した相手を自動的に愛せるわけではない。

 

愛の定義は人によって違うが、私の考えでは愛とはそんな簡単なものではない。

 

昨日今日会ったばかりの子供を愛せるわけがない。

 

ステップファザーは神でも聖人でも何でもないのだ。そこらにいる人と変わらない凡庸な一般市民なのである。

 

それでも愛してみようと決意したステップファザーは、努力する。

 

当然、子供との関係を良好にしようと考えて行動するし自分にできることを試みる。

 

一部例外もいるかもしれないが、大抵努力しているはずだ。私も努力した。

 

しかし子供というのは、こちらが努力したからといって「パパ大好き!」なんて言ってくれることはない。

 

普通に嫌われることもあれば叩かれることもあるし、何をやるにも「ママの方がいい!」なんてこともあるだろう。

 

子供からすれば当たり前のちょっとした発言でも普通に傷つく。

 

同じ屋根の下で愛そうと思った子供に拒否されたら、傷つくのだ。

 

「そんな覚悟で子持ちと結婚したの?」

「その程度で凹んでるの?」

 

そう世の人たちは言うかもしれない。私も言われたことがある。

 

だがやってみなければわからないことは多い。

 

拒否から生まれる孤独感。邪魔な存在のような感覚。

 

これだけよくしてるのに、何でお前はわかってくれないんだ!という怒り。

 

これらは積もり積もってストレスになり、うつ病になったり虐待したりその前に限界だと別れを決意してみたり。

 

普通の子育てですらノイローゼになる人がいるのだ。

 

愛を育んでいこうとするステップファザーには、それよりもさらに厳しい道が待っている。

 

通常であれば、長く一緒に生活を送って得られる思い出やそこから育まれる愛もステップファザーには何もない。

 

何も知らない頃の覚悟なんてのは易々と砕かれてしまうだろう。

子供には子供の考えがある

そしてもう一つ大事なことは、子供にだって子供の考えがあるということだ。

 

「お前たちを愛したい」

 

と突然現れたおっさんに言われても、子供からすれば

 

「いや、私は別にお前のことなんて愛したくないし、愛されたくもないけど」

 

そう思うのは別に不思議なことではないし、子供の考えも尊重せねばならない。

 

愛するのは私の勝手だが、子供が私を愛してくれるかどうかもまた子供の勝手なのだ。

 

親がどれだけ努力しようが尽力しようが愛を示そうが、それに応えるかどうかは子供次第なのである。

ステップファザー にできること

ステップファザーにできることは一つだけじゃないか。

 

子供たちを認めること。子供たちの人格や言動、行動を認めて尊重する。

 

そうして初めて子供が心を開くのではないか。

 

永遠に心を開かないかもしれないし、それは私たちが決められることではない。結局、根気強く接していくしかないのだ。

 

子供に父として認められてない状況で、一般的な父親の強権を発動すると反発は必至なのもまた当然と言える。

 

とはいえ、何をどう努力してもその状況が変わらないのに努力を続けることは相当に難しいことだ。

 

愛を育むどころではないし、お互いに嫌いになるのが自然な流れだろう。

 

 

不穏な関係はお互いの負担になり、父親が子供を力でねじ伏せようとしても何ら不思議ではない。

 

良いか悪いかという話ではなく、人はそんなに強くないという話だ。

私の現状

ありがたいことに、私はステップファザーとして今のところ上手くやれている。

 

妻のおかげというのも大きいし、子供たちが小さかったというのもとても大きな要因だろう。

 

だがそれでもイライラすることはある。

 

上手くいかないこともあるし「何でこんなにやってんのにお前たちは」と思うこともある。

 

無意味に叩かれ絵本を顔に投げられたりすると、顔を引っ叩いてやりたくなることだって正直ある。

 

そして生みの親である妻ですら、相当にストレスがたまってもう限界じゃないかってくらいに怒っている時もある。

 

だから虐待する人が悪いと他人事のように断罪するのは簡単だが、誰だってその可能性があるんだと認識することが大事なのではないか。

 

私にだって妻にだって、虐待して子供の人生や可能性を潰してしまう可能性があるのだ。

 

それを肝に命じて、常日頃から自分や家族のメンタルケアをすること。

 

何か引っかかりや問題があるのであれば妻と話し合うこと。

 

そうやって一つずつ解決していけるような姿勢で過ごさなければならない

 

それがステップファザー の虐待について私の思うことである。

本音としては

……え、そもそも子供と良好な関係を築く必要なくね?

 

という考えもありはする。虐待はしないにしても、わざわざ好かれようとするとか、父親として認められる必要はないんじゃないか説だ。

 

仲良くしよう、愛そう、愛されよう、良き父であろうとするから関係がこじれることも多いだろうしね。

 

私はどちらかといえばこの考えに近い。

 

ステップファザーってのは子供には手が出せないところから突然物知り顔で生活に入り込んできた異物なのだ。

 

子供からすれば叩き潰すのが最善策じゃないか?

 

より良い父親であればベストだが、最低でも子供の人生の邪魔にならないような存在として、私にできることをやっていきたい。

 

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