亡き父と残された家族の思い
私の父は2017年に逝去した。
大腸ガンになったが余命宣告を大きく上回って元気に過ごし、最後は自宅で看取ることができた。
末っ子の私としては最大限のことはやれたなと思っているし、もし死後の世界があるのであれば安らかに過ごして欲しいなと思う。
しかし、一つ引っかかることがある。
それは父が亡くなって1ヶ月経った頃。父について家族と話すことがあり、その時の私の姉、長女の発言だ。
「お父さんは地獄に落ちて当然だよ」
実の父親だぜ、虐待されたわけでもないのにそこまで言うか?と驚愕した。
少なくとも私は父が嫌いにはなれなかった。ダメ人間の傾向はあるにはあったが、父だって人間だ。別にそれで地獄に落ちて当然だとは思わない。
そんな末っ子と「地獄に落ちて当然」という長女。一体何が違うのか?
今後子供たちを教育する上での重要な気付きが得られそうなので考察していきたい。
収入が少なかったが好きに生きた父
私が父に似てるなーと感じるのは、父は好きなことをやりたい人だったということだ。
「天ぷら屋をやりたい」と家族を巻き込んで始めたはいいが、朝に早起きすることができず(ここが人間臭いね)に妻任せ。
その妻は子供が4人もいていっぱいいっぱい。親戚に借金もするが店は繁盛せず、数年で店じまい。
店じまいをした後父が何をしようとしたか分かるだろうか?就職すると思うだろう?
父が選んだのは、
ダンボール拾いである。
絶対に働きたくないという意志の強さが伝わってくるな。母は「バカじゃないの」と一蹴したらしいのだが、実際にダンボール拾いをやってみた父。
大方の予想通りほとんど収入が得られず、母に尻を叩かれて強制されるままにタクシードライバーとなったそうだ。
当時は毎日ビールを何本も飲みタバコも吸っていた父。毎週のように飲みに歩き飲酒運転で三度ほど捕まっている。
これだけ書くと本当にクソ野郎にしか見えないが、まあ人間的にはひょうきんな素人の明石家さんまという感じだった。
死ぬ前日も変な顔で人を喜ばせようとしていたし、写真も変なおじさんの写真ばかり残っている。
とにかくそんな感じなので給料はほとんど家にいれず、大黒柱は母だったようだ。子供だった私にはよくわからなかったが。
さらに借金漬けになった父
収入が少なかったのもあるが、天ぷら屋から始まった親戚の借金は数百万レベルだったようだ。
親戚のおじさんとおばさんが何度も借金の取り立てに来てたのを覚えている。母は仕事だったし、父は逃げ回って家に帰ってこなかった。
我々子供たちに対応できるわけもなし、鍵を閉めて家にこもっていた
「こわいねー、また来たよ」
と兄弟で言い合っていたのを覚えている。
今思えばお金を返さない我々に非があるのだが、子供にはそれもわからない。とにかく怖かったという記憶だけだ。
そして父は親戚への借金だけでなく、サラ金で数百万レベルの借金も誰にも知られぬ間に作っていた。
これには母も大激怒。大激怒するが、お金を払うためには働くしかない。
そして夜勤を続けて、居眠りで事故を起こしてしまったのである。
ちなみに父も何もやっていなかった訳ではない。あとから聞いた話では母に頭を下げて謝り、稼ぎの多い単身赴任に行ったりもしていた。二人で頑張ったんだろうと思う。
どうにもできず長女を頼った母親
親が借金に困っていた時の私は中学生くらいか。ほとんどお金の知識もなく責任感もなく危機感も何もなかった。自分のことだけで精一杯だった。
おそらく長女は違ったのかもしれない。私の四つ上なので当時は高校生だ。お金のことも世間のことも私より遥かに知っていただろうし長女としての責任もあったろう。
一つ思うのは、母が長女に頼りすぎたのではないか?ということだ。
サラ金にお金を返しに行くのが一人では無理だった母は、制服姿の長女をつれて消費者金融を回っていた。何度も何度も、長女は借金を返しにサラ金屋に行かされている。
そして母は長女に対し父の文句を言いまくっていた。恨みつらみを言いまくっただろう。私にも言っていたし、死んだ今でも父のお金問題に対して涙を流しながら文句を言ってくる。
私は「まあそういうこともあるよね、人間だからね」と右から左に流しているが、長女はまた感じ方が違うのだろう。
それから数年後、長女と父の仲は悪くなった
借金漬けの生活は父と母の努力、そして長女の協力よってなんとか終わった。
そのあとか。父は病気になって仕事をやめ家にいることが多くなり、そして気づいた時には長女と父の仲はもうこれ以上ないくらいに悪くなっていた。
「お前、今日は仕事何時からなんだ?」
と毎日定番のように聞く父。
「うるさい!話かけるな!」
と普通の会話すら突然怒り出す姉。
本当にあの言い方は憎しみがこもっているように感じた。父はそれにもめげず毎日のように話しかけていたが、長女は無視したり舌打ちしたりとまともに取り合う気はなかったようだった。
何でそんなに嫌ってるんだろうか?と不思議に思っていたが、当時の私はこれまた自分のことに精一杯で特に深く考えることなく時は過ぎた。
父が死んでなお、父を憎む長女
そして父は他界し、その後にあの「地獄に落ちて当然」発言があったのだ。
それ以来あまり深入りしないようにしているが、長女と父の関係は根深い問題だなーと思っている。
おそらく私がどうこうできる話ではない。弟にどうこう言われてもムカつくだけだし、何より姉を改心させたいわけでもないのだ。
父を憎むのは姉の自由なのだから。
私がここで言いたいのは、
なぜ姉はこんなにも父を憎んでいるのか?
ということ。
憎んでいるというと語弊があるかもしれないが、それ以外に言葉が見つからない。死んだ父が地獄に落ちて当然だと言うのだ。
逆に末っ子の私は父が好きである。
それはなぜだ?この教訓を生かすにはどうすればいいだろうか?
夫婦の問題を家族の問題にしてはいけない
色々と書いてきたが、現段階での私の結論はこうだ。
父と母が抱える問題を、子供にまで背負わせちゃいけない。
これまで書いてきた通り、父は完璧な人間ではなかった。ダメ人間だったろう。
それでも四人の子供を生み育て、マイホームも建て四人の子供全員五体満足で成人まで育てあげている。
幼少期に親に捨てられ、子育てなんて何もわからなかった父なりに精一杯頑張ったはずなのだ。
家族に迷惑をかけた部分は多かったかもしれない。責任を取る気もないし逃げ回ることも多かったかもしれない。
そして母だって人間だ。旦那が借金漬けで逃げ回っているのだ、子供に頼るのも仕方なかったのだろう。
母は父の文句を子供に言い続け、そして本来親がやるべき負担を子供に押し付ける形になった。それは父の尻拭いだと私たち子供は理解していた。
誰が悪いとは言わないが、結果的に夫婦で解決すべき問題を子供にまで広げてしまったのが長女と父の間にある問題のように思う。
子供だって10歳を過ぎれば話もわかるし手伝いもできる。むしろ頼られることを喜ばしいとさえ思ったりもする。
それでも親だけで解決しなければならない問題もきっとあるのだ。親の問題で子供にまで負担を強いるようなことをしてはいけないのだ。
こうした背景を考えれば、長女が父を憎むのも当然ではないのか?
勝手に作った借金で母親を困らせ家族を困らせ、自分に、家族に負担を強いる父親を憎むのは極自然な流れのように思える。
むしろ私が父を嫌いになっていないのがおかしいくらいだ。
それでも私が父が好きなのは、きっと長女に守られていたからなのだろう。
同性の親に強く共感するというのも少なからずあるだろうが。
今でも実家に行くたびに母親から父親の借金の愚痴を聞かされたりもするが、私の父への思いは変わらない。
長女の憎しみが、いつか消える日がくるのだろうか。
ここまで長々と書いてきたが、この話を今後に活かすにはどう考えるべきか。
一つ言えるのは、親を誰かを憎むことにパワーを使うのは無駄だ。関係のない親の問題で子供を煩わせ邪魔をしてはいけない。
ならば今の私にできることはなんだ?
それは、
自分の尻は自分で拭くこと!子供に妻の愚痴は言わず、夫婦仲良く過ごすこと!
これが、まあ暫定の答えじゃないっすかね。
日頃から夫婦は仲良く、また親の問題は親が解決していかなければならないと思うステップファザー なのでした。
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