ステップファミリーとなって一年半、まだまだお父さん初心者の私は毎日のように未知のストレスに遭遇する。
そして今朝も、カチンときたことがあるのでお伝えしたい。
朝ごはんの直後
それは朝、納豆ご飯を食べ終わった息子がぼけーっとテレビを見ていた時のこと。こんな感じで。
妻が息子に言ったのだ。
「もう出かけるからテレビ見てないで準備してね」
と声をかけたあとの息子の発言だ。
「くちふいて」
文字だけで見ると、もしかしたら何も感じないかもしれないがその言い方がとても偉そうだったのだ。
私目線で息子の「くちふいて」を翻訳してみるとこうなる。
「準備するも何も僕がまだ口拭いてないだろ。早く拭けよ」
このように、口を拭いてもらうのが当然かのような言い方で私はカチンときた。目の前にティッシュもあるのに、なんだこいつはと。
「偉そうだな、王様か君は。イライラする言い方するね」
とはっきり伝えた。というまあ、どうでもいい話である。そしてこんなどうでもいいことでカチンとくることが毎日あるのが育児である。
こんなんとかもそうだね。
◆素直に言うことを聞いていた息子の「なんでー?」にイラっとする話
◆腹痛で幼稚園を休んだのにすこぶる元気な息子に怒りがあふれ出る話
断ってはいけないという先入観
だがこの件で一つの気付きを得たのだ。それをここで発表したい。
むかつくなら、頼まれてもやらなきゃいいのだ!
とても単純なこと。でも、気づきにくいこと。
「くちふいて」と言われて、言われたように口を拭かなきゃ!という意識があるからこんなにも言い方がむかつくのだ。人に頼む言い方じゃないだろうと。
しかし考えてみれば単純だ。人に頼む物言いではないのなら、断ればいいのだ!
「え? やだよ。人に頼む言い方じゃないもん。私は君の奴隷ではないよ」
これだ。これが私の答えだ。何より自分で口拭けるのだ。何でわざわざ私がやらなきゃいけないんだ?
丁寧に頼まれたとしても断ってもいい。断ってもいいのだ。
私に愛されていないと感じるかなと危惧して無意識に断るのに抵抗があった。それに「親ってのは文句を言いながらやるもんだろう」という思いもあった。
だがそれは全て私の思い込みではないか?
頼みごとを断られたからといって愛情を感じないわけじゃないし「文句を言いながらも手伝う」のだって絶対的な正解でもないだろう。
私は勘違いしていたのである。絶対に断ってはいけないのだと。
外食でよくあるケース
例えば外食に行った時もそうだ。私が頼んだ定食の中に茶碗蒸しがあって、それを見て食べたいという息子。
親は、空腹を我慢してでも子供にあげなきゃいけない
そんな思い込みから、「一口もあげたくない、自分で全部食べたい」と思いながらも茶碗蒸しを丸ごと渡してしまったこともあった。
その後息子は自分のメニューと茶碗蒸しで「食べ過ぎたー」とうぷうぷしており、苦しそうだった。
私は量が足りなくてこんなに空腹なのにふざけんな!!!!
と口には出さないまでもイライラしてた。だが違った。
茶碗蒸しは私が食べてよかったのだ!
それは子供たちが親の頼みを断っていいのと同じこと。親がこうしなければならない、という思い込みが私のストレスを増大させることに気づく。
くだらない考察
「くちふいて」発言からここまでの考察ができるのはすごいことじゃないか?暇なのか?
思えば、「くちふいて」という発言は妻に向けられたもので、私はこの話に一切関係のない横から首を突っ込んできた部外者だったな。驚くほどに部外者だ。
まあ、そういう日もあるよね。