娘が重度の発達障害であり知的にも遅れがあると話をすると、たまに言われることがある。
「でもそういう子って、天才的な才能とかあったりするらしいよ」
いやいやいやいや。
いやいやいやいやいや。
これはフォローのつもりなのか?障害を持つ娘でも希望があるよ!という話なのだろうか。
おそらく良かれと思って言ってくれているのだろうし事実も含まれているだろう。ただ私は思う。
え、別に天才じゃなくてもよくね?
天才である必要はない
天才ではなくとも娘は娘だ。苦手なこともあるし出来ないこともあるし、ささやかながら得意なこともあったりする。
何か突出した才能があろうがなかろうが私も妻も娘を愛しているのだ。
娘が好きなことやって納得のいく人生を送ってくれたらそれでいい。
そりゃ天才で一花咲かせて経済的に自立したら飛び上がるほどに嬉しいはずだが、天才でなくとも生きててくれたら嬉しいのである。
それなのに「重度の障害児でも天才かもしれないという希望があるよ」的なフォローの言葉をかけられると、そういうことじゃないんだけどなぁと思ってしまう。
何も変わらない
うむ。こんなことを書いていると、
うわっ、障害をもった子の親ってめんどうくさっ!話しかけないでおこう!と思われそうなのでこれくらいにしておこうか。
ただ、障害児の親になって思うのだ。健常児も障害児も変わりゃしない。
外から見たら「大変そう」とか「色々苦労してるんだね」と思われるかもしれない。
当然娘に発狂しそうになるくらいムカつくこともあるが、どちらかといえばムカつくことが多いのは健常児の息子の方。
まあ、正直どっちもどっちだし、健常児だろうが発達障害児だろうが私が言いたいことも変わらない。
好きなように生きて好きなように死んだらいい。お前の人生だろう。
割と面倒臭い親になったなと自覚しているぞ。
それでも親は親
そ、それはそうと見てくれ!我が娘の絵を!!!
こんなピカソ顔負けの絵を描く6歳児だ!
え、これもしかして天才じゃねーか!?才能溢れてない!?
誰かパトロンになってくれる人はいないだろうか!?
とまあ偉そうなことを書きながらも、娘の何かしらの天才的な才能が開花するかも!と少なからず期待してしまう自分がいるのも確かだ。
確かダウン症で書道家の女性をいつかテレビで見た。お金も稼いでいたし、一人暮らしも工夫しながらやっていた。
あんな風にテレビに出るほどの才能がなくても、お金は稼げるだろうし一人暮らしも工夫次第でできるかもしれない。
どんな成長を遂げたとしても、娘が自分の力で何かを成し遂げて自立できるまで拙いながらもサポートしていけたらなと思う。息子もね。
結局、自分で言うのはいいが他人から言われたら引っかかることってあるよね、という単純な話だ。
私には地雷が多いぞ気をつけろ!
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