我が息子は4歳でもうすぐ5歳。
次の4月から幼稚園に入るという年齢で、今は保育園に通っている。
その息子が先日、突然こんなことを言い出した。
「僕は、小さいから幼稚園はバツがついてるんだよ。僕は幼稚園には入れないんだよ」
ちょうど寝かしつけの時間だったので、妻と私の二人でじっくり話を聞いてみることに。
何でそんなことを突然言うのかと、友達に言われたのかと聞いてみると
「ううん、僕が自分で言ってるんだよ、僕は幼稚園はバツがついてるから入れないんだよ」
ん?何だこの話は?
考える私と妻。
詳しく話を聞いていけば、保育園で小さいから女の子みたいだと馬鹿にされたとか、そんな話であった。
うちの息子は早生まれ。他の子供たちと比べたら比較的体が小さいのだろう。
もしかしたら周りの女の子たちよりも小さいということで劣等感を抱いてしまったのかもしれない。
そのため、私たちは息子を励ますことにした。
「息子よ、君は皆より小さいかもしれないが、いずれ大きくなる。私も小さかったが、小学校や中学校では一番大きかったぞ」
そんな体験談を話しながら、私はとんでもない事実に気が付いた。
……いや、こいつ、もしかしたら大きくならないかもしれないぞ。
妻は147㎝だ。元旦那もそう大きくなかったそうだ。
そう考えれば、小学校に入っても一番先頭の前ならえで腰に手をあててるかもしれない。
中学生に入っても小さいままガバガバの制服を着ているかもしれない。
息子が大きくなるかなんて誰にもわからないのだ。
そんな重大な事実に気付いた私は、大きく方向転換をした。
「お、大きくなるかもしれない。でも、息子よ。君が大きくなっても、小さいままだとしても、私は君のことが好きだよ」
そんな風に言い換えた。そこに妻ものってくれて、息子も前向きになれたのか安心して眠りについたようだった。
うむ。子供を認めるということから学ぶことは多いな。
だが今回の本題はそこではない。このあとの話だ。
この息子との会話がなかなか面白かったこともあり、妻が保育園のお便り帳に書いていいかなー?と聞いてきた。
別にいいんじゃない?そう軽い気持ちで答えた。
「ちょっと自信がなくなっていた息子でしたが、みんなで励ましてニコニコしてました!」
というほのぼの話で終わるはずだったのだが、事態はそう単純ではなかった。
その翌日、保育園から帰ってきた息子のお便り帳には先生がこう書いていたからだ。
「保育園のお友達に、○○(息子)は小さいから幼稚園に行けないって誰かイジワル言ったのかと聞いてみましたが、『誰も言っていない、○○(息子)が自分で言い出したんだよー』とのことでした。息子さんも不安だったんでしょうね」
これを見た時、うわぁ……失敗した、と頭を抱えた。
全てが解決したほのぼの家族話を書いたはずが、先生は犯人捜しをしてしまったのである。
この話は正直、周りの大人に関係がない。
子供たちの世界の話で、小さいと言われてどう捉えるかも、小さいと言われてどんな反応するかも子供自身が決めることだ。
それを周りの大人が出しゃばって「こんなこと言ったの?」と咎めるような行為は、4~5歳の子供たちにはもう不要だろう。
彼らは彼らで自分たちの納得のいくように行動をとるはずだし、上から説教されて強制的に反省させても彼らが変わることはない。
まさか息子も親がそれをお便り帳に書くとは思ってなかっただろうし、そしてそれを先生が友達に直接聞くなんて想定していなかったろう。
さらに最初、このお便り帳の記述を見た妻は怒っていた。
「息子が嘘をついてた、何でこんな嘘ついたの?」
そう責められて、息子はもごもごし、何も答えられないようだった。
だが違うのだ。息子は確かに言っていた。
「僕が自分で幼稚園にバツがついてるって言ってるんだよ」
意味がわからない話だったが、これは本当のことだったのだ。
おそらく友達に小さいとバカにされたことはあっても、幼稚園に入れないというのは自信をなくした息子が自分で言い出したことなのだ。
そしてそれすら私の憶測だ。お友達が嘘をついてるのかもしれない。
何が本当なのか、周りには判断のしようがない。
ここは全て息子に任せるべき時だったのだ。
息子の考えを、息子の立場を、我々は尊重すべきだったのである。
それなのに、何も考えずにお便り帳に書き、首を突っ込む形になってしまって本当に申し訳なかった。
とても悪いことをした。
この件から学ぶ教訓は、子供からのSOSが入るまでは極力大人は子供たちの世界に首を突っ込むべきではないということ。
そして子供との家庭での会話を安易に先生に話すべきではないことを知った。
確かに例外もある。
周りの誰かが土足で上がり込んででも助けなきゃいけない時もあるだろう。
だが子供は子供で考えている。
不安で心配で困った時は、それを乗り越えられる考え方を、乗り越えられるような指針を示そう。
そしてそれを乗り越えることが自立につながるし、実際に乗り越えるのは子供自身なのだから。
4歳とはいえ息子には息子の考えがある。改めてそれを学べる一件だった。
余談として、保育園に息子を迎えにいくと先生から
「息子さん、お友達に目つぶしされまして、ちょっと目が赤くなってしまって」
と報告された。
これも子供の世界の話だとへらへらして帰ったら、
「目はだめでしょ!」
と妻がご立腹だった。
極端ですまんな。
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