ステップファザーにできること

発達障害マイペース娘・健常児やんちゃ坊主と過ごす継父のステップファミリー奮闘記

ステップファザーにできること

家族を自宅で看取るとはどういうことなのか、覚悟の記憶と記録

前回、大腸がんになった父を自宅で看取ることに決めた話を書いた。

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もはや寝たきり状態の父を自宅に連れて帰ってきて、最初は色々とばたばたしていた。

 

平日は毎日昼に介護の人が来てくれるということで、その人らが状況を見にきたり。

 

家の状況を確認するとか、移動時の導線とか、ベッドの位置とか、とにかく色々と忙しかった。

 

私も母に介助の基本を教えたり、また夜に急変があったら大変だと実家に泊まり込んだ。

 

私が自宅に帰そうと言い出したのだ。誰も気付かない内に死んでましたなんて、絶対に許されない。

 

自宅は病院ではない。夜に体位交換をする必要もあるため、私は父のベッドの隣で眠ることにしていた。

 

そうだな。一つ書いておきたい話がある。

 

自宅に帰ると、自宅から近い病院の先生が担当医に変わった。

 

その先生との話を、あまり書きたくないが書いていこう。

 

自宅に戻ってきた父。もう長くはないとわかっていた。

 

わかっていたが、別に何がどうなっても黙って見ていようと思ったわけじゃない。

 

もし急変したとしたら、看護師や担当医を呼ぶことはできる。

 

できるが、医者が来るのに早くても1〜2時間。夜なら3〜4時間だという。

 

長い。とても長い。

 

私たちは素人で、父の状態が何か処置をすれば治るのか、またそれはどうしようもないものなのか判断ができないのだ。

 

単純に気になった私は、担当医に質問をした。

 

「もし夜間とかに急変があった時、それが治るのかどうかの判断ができません。先生が来るのが時間かかるはずなので、救急車を呼んだ方がいいんでしょうか、その時はどうしたらいいんですか?」

 

家に家族しかいないのだから当然の疑問だ。

 

医者の指示を仰ぐ、ただの質問のつもりだった。

 

だが担当医の返答は、私の予想外のものだった。

 

「そんな覚悟しかないんだったら、救急車を呼んでください。その場合、救急車で延命治療もされるし、病院から帰って来れないかもしれませんが」

 

……はぁ?

 

その言い草にカチンときた私は食い下がる。

 

「いやいや、覚悟をしていないわけではなくて、それが先生に診てもらって治るのか、処置をすればその後もまだ今のように過ごせるかどうか我々には判断ができないという話なんですが」

 

そんな私の言葉にも医者は失笑だ。

 

「ですから、判断がどうこう言うなら救急車を呼んでください」

 

……正直、頭が真っ白になるくらいに怒りを覚えた。

 

私はむかついてむかついてむかついてむかついて、どれくらい怒ってたかな、よく覚えてない。

 

家族に怒りを撒き散らして、少し落ち着いて、考えた。

 

むかつくが、まあわからなくもないのだ。

 

この医者が言うことも、一理あるのだ。

 

こんな寝たきりでもう長くないという父を自宅に引っ張ってきて、まだ救急車がどうとか言ってんのかと。

 

最期を自宅で看取るって決めたんなら、何があってもそうすると覚悟して連れ帰るべきだったのだと。

 

そしてもう一つ、我々が見ないようにしてたとても重要なことがある。

 

救急車を呼ぶかどうか。その判断をすべきなのは誰か?ということだ。

 

それは、父以外にいないじゃないか。

 

急変してもどんな状態なのか我々にはわからない。

 

おそらく、医者にだってわからない。

 

それなのに救急車を呼ぶかどうか周りがぐだぐだ言ったって、納得のいく結論なんて出るわけがない。

 

救急車を呼んだら、もしかしたらもう少し長く生きられるかもしれない。

 

でも救急車を呼んだら、二度と自宅には帰って来られないかもしれない。

 

そんな選択、本人以外が決められることではないじゃないか。

 

そう確信した私は、もう一度母と話すことにした。

 

父に今までしてこなかった、余命宣告を今一度考えてほしいと。

 

自宅には帰ってきたが、本当に最期の最期。

 

父はどうしたいか。

 

これは本人に聞くしかないと。今まで逃げてきたが、もう聞くしかないのだと。

 

そう話すと、母は意外にもあっさりと聞き入れてくれて父と話してくれた。

 

それはもう父がなくなる数日前だったが、母は父にしっかりと今の状況を告げたようだ。

 

簡単な話ではなかったはずだ。母に感謝したい。

 

そして、母は父に現状を告げて謝るだけで精一杯だったようで、救急車の判断については私から聞いてほしいと頼まれた。

 

私は父に聞いたよ。

 

「お父さんよ、もう多分あまり長くないんだけど、どうしたい?もし今度体調崩したら、救急車呼ぶ?」

 

涙が溢れて仕方がなかったが、これはとても重要なことなのだ。

 

遅くなったが、絶対に本人に聞かなきゃならんことなのだ。

 

そしたら、父は苦笑いをしながら答えてくれた。

 

「もういいんじゃないか」

 

そうか。そうかと、私は承知して、じゃあ自宅で看取るから、よろしくと告げた。

 

あの時の父の表情は、なんとも言い難いな。

 

あと「吸引はもうしなくてもいい」とこれまた苦笑いをしていて、一緒に笑った。

 

難しいのは、本人がそう言ったからといって家族全員が納得した訳ではないということだ。

 

長女はこのあとも言っていた。

 

「いや、お前たちは知らないけど私は救急車呼ぶからね」

 

次女も言っていた。

 

「でも自分も、一人の時にお父さんの様子が変わったら救急車呼ぶと思う」

 

自宅で看取るとは、そう簡単なことではないのだ。

 

家族全員が同じような覚悟をして、同じように振る舞えるわけではない。

 

とはいえ、父の意見も聞けたならあとはただ日々の介助をするだけだ。

 

母はやると決めたらやる人だ。

 

体を支えるクッションを自作でいくつも作り、エプロンを購入し、介護日誌をつけ、様々なシーツや手袋に排泄セットまで準備してやる気満々だった。

 

そして、やはり家にいたら家族がいるのは大きい。

 

長女の娘、父の孫にあたる女の子もいる。

 

当時は4歳だったが、おばあちゃんと一緒にお世話をするといってあっちいったりこっちいったりとうるさくベッドの周りをうろちょろしていた。

 

これには父も苦笑いである。

 

残念だったのは、16年一緒に住んだ犬が父の入院中に亡くなってしまったこと。

 

父も最期に会えなかったのをとても残念がっていた。

 

それでも、大好きな猫はいる。父のベッドに登って来て、足元で寝そべる猫はいた。

 

母もとてもうるさくて、父の服が汚れるとすぐに父を着替えさせようと奮起したり。

 

父が亡くなる前夜にも、もう何度目かの着替えを実行しようとしていた母。

 

その時父が私に向けて

 

「ま、また着替えるのか!?うそだろ、おい、着替えなんてやめさせろ」

 

と表情で訴えてたのを鮮明に覚えている。笑ったな。

 

そしてその翌日の早朝だ。

 

目を覚まして父を見たら、下顎呼吸をしていて今にも亡くなるかもしれないという状態だった。

 

やばい!と思うがそこには私しかいない。すぐに看護師に電話をするも様子を見にくるまで時間がかかるという。

 

母は携帯も持たず早朝からスーパーへ買い物へ行ったようだ。

 

おいおい、この状況で買い物!?しかも携帯持ってないんかい!

 

部屋にひきこもる兄にも緊急事態だと声をかけるが、

 

「あと15分したら行くよ」

 

いやいや、もうやばいから!15分とかそんな時間ないから!!

 

父がやばいと長女も起こしたら、長女は寝起きと驚きによって低血圧になり倒れてしまった。

 

えっ!?この状況で倒れます?父が死にかけてますけど!?

 

そこに母もやっと帰ってきてさらにパニックに。

 

父も今にも消え入りそうな状態だが、長女も半分意識を失いながらも動き回ろうとして危険な状態だ。

 

兄も本当に15分後にのそのそやってきた。

 

そんな、皆がぎゃーぎゃー言う騒がしい中。

 

父は息を引き取った。

 

 

 

うん、いや、まあ、ひどいな。

 

ただ、これぞ我が実家という感じはする。

 

父もわかっているだろう。長年暮らした家族だ。

 

とてもうるさくて、医療行為も何もできない自宅だったが、最期の最後。

 

あれはあれで、父は満足したんじゃないかなーと勝手に思っている。

 

後悔も多いし、他にもできることがあったかもしれないし、これが正解かどうかもわからない。

 

でも、私も割と満足してる。

 

多分私が死ぬ時も、これでよかったと思って死ぬはずだ。

 

だからまあ、いいんじゃないか。他の家族は知らないが、あれがあの時の私の最大限だよ。きっと。

 

そして少しだけその後の話も。

 

自宅で看取ると亡くなったあとも本当にゆったりとした時間が過ぎていく。

 

父が亡くなったあともぽけーっとした時間がすぎて、みんなで父に話しかけたりありがとうと言ったり悲しんだりしていた。

 

亡くなった1時間後くらいに看護師の方が来て、ゆっくりと時間をかけて家族みんなで体を拭いたり、スーツに着替えさせたりした。

 

病院ではこうもいかなかったろうと思う。

 

その後、お見舞いの親戚がやってきたことで父が亡くなったことが一瞬で親戚中に広がり、

 

「葬儀屋に連絡もとってないのか!?」

「なんだこのベッドは、邪魔だから早く電話して持っていってもらって!」

 

などと親戚から文句を言われまくる我が家族であった。

 

何で別れを惜しむより手続きを優先せにゃならんのだ!とも思うが、言いたいことはわからなくもない。

 

人が死ぬと忙しい。それが常識なのだ。

 

準備不足だったのは痛感したが、当時はそれどころではなかった。

 

父が死ぬまでのことばかり考えていて、父が死んだ後のことなんて考えてる余裕はなかったのだ。

 

うむ。いい経験をさせてもらった。ありがとう。

 

以上、父を自宅で看取った話であった。

 

書いたらすっきりしたね。

 

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