生活していると、自分でも気づけない無意識のストレスが多くある。
そもそも気付けないのだからストレスと認識することすら難しい。
今回はそんな無意識の一つに気付けた話をしたい。
テレビを一人で見る息子
先日の日曜日、私が買い物から帰ってくると息子がテレビのリモコンを握ってトムとジェリーを見ていた。
妻は片付けをしていて娘はその後ろを追いかけていたので、息子しかテレビを見ていない。
息子しかテレビを見ていないのだが、息子が一人でテレビを見ている光景が目に入った瞬間に私のストレスレベルが跳ね上がったのである。
この記事で紹介した、ストレスレベルを測ると8~9レベル。かなり高い。
何かモヤモヤした思いがあったのだが、それが何なのかよくわからず定期的に息子に嫌がらせをしてその日は終わった。
「何で僕にばっかりいじわるするの!?」
と息子は怒っていたが、息子が一人でテレビを見ているだけでなぜこんなにイライラするのか私にもわからないのだ。
妻も娘も私だってテレビを見る気がないんだから、一人でテレビを見たって別にいいじゃないか。
でもこのイライラは以前からずっと続いている。
息子が一人でテレビを見る行為が私にはどうしても許せないのだが、それでもルールを作り家族みなの合意を得ることで何とか回っている。
この記事で書いたが、夕方は息子と娘が毎日交互にテレビを見るということで上手くいっていた。
だが今回のように日曜日のちょっとした時間に息子がテレビを一人で見るという行為、というか「僕が見たいの見ていい?」と言ってくること自体がとんでもないストレスなのである。
息子にも嫌がらせしてしまったし、むかついて顔も見たくないくらいだし、こりゃやばいなと危機感を感じた私がやることは一つ。
思いを紙に書き殴るだけである。
自分の思いを紙に書きなぐったり、自分の思考がおかしくないか検討するセブンコラムを書いたり。
すると、あることに気付いたのである。
途中で止めてはいけないという無意識
私が何でこんなに息子にテレビを一人で見せたくないかと言えば。
”一度好きなことを始めてしまったら、途中で止めてはいけない”
そんな無意識があることに気付いた。
今回で言えば息子が一度テレビを独り占めという状態になってしまえば、途中で止めるのが非常に申し訳ないという気持ちがあるということだ。
もし途中で娘がテレビが見たいと言い出したらどうしよう。
せっかく息子がテレビを見てるのに、途中で止めさせたら相手ががっかりするだろうとか、嫌になるだろうなとか。
そして実際にテレビを変えようと提案した時に拒否されたら、私に対応できないんじゃないかとか。
おそらく、それによって私が嫌われて傷つくかもしれないということに繋がっているのだとも思う。
一度息子がテレビを見てしまえば、私には止められないという無意識があるのだ。
だから息子がテレビを独り占めしてしまったら、止められない自分にも好きにテレビを見続ける息子にもイライラして仕方がないのである。
最初からルールで決めていれば別だ。
だが今回のように、何も決まっていない状態で息子にテレビを見せてしまうのは私にとって絶対にやっちゃいけないNG行為だったのだ。
息子と目を合わせないお父さん
思えばそのようなことはたくさんある。
私は基本的に息子と目を合わせないようにしている。娘や妻とは目を合わすが、息子の目は見ない。
それはなぜか。
目を合わせたら、息子に何か要求されるかもしれないからだ。
例えば息子に「抱っこして」と言われても、とても元気な時以外は断っている。
一度抱っこしてしまうとしつこくお願いされるのがわかっていて、そうなるととても断りにくいからだ。
だからまだ何もやっていない段階で拒否するのである。
そうすればお互いにダメージは少ないと考えている。
要求されて、それに一度応えると途中で止められないのが嫌なので最初から断る。
それならば息子が何も私に言ってこないのが一番いい。
だから私は息子の目を見ない。その先にお互いにとって良いことは一つもない。
他にも、就寝前のちょっとした時間にブロックを出してきたり、朝の忙しい時間におもちゃを引っ張り出してくるのも嫌だ。
30分とか1時間遊んで満足してくれたらいいのだが、短い時間で切り上げさせるのは私にはできないと無意識が判断しているのだ。
これからどうするか
そんな無意識に気づいた私の今後どう対応すべきなのか。
まず私の思考にかなりの思い込みが入っていることを認識せねばならない。
・一度好きなテレビを見てしまったら止めてはいけない
・楽しい時間を奪って嫌な顔をされると、私には対応できない
これらは思い込みである。ただの妄想だ。
一度好きなテレビを見せてしまったとしても、テレビは家族全員の共有物なのだ。
誰も見ていないなら息子が一人で見てもいい。
だが他にも見たい人が出てきたら、その人達で相談し落としどころを探るのが筋だ。
それを息子が拒否したとしたらそれは「テレビは自分だけが見たい」という息子のわがままに過ぎない。
だから、別に言ってもいいんだ。途中で止めてもいいのだ。誰かが見たいならね。
それに息子が拒否するってのも勝手な思い込みだ。きっと、息子に声をかけたら普通に話を聞いてくれる。
もう一つ、楽しい時間を奪って嫌な顔をされると私には対応できないというのも思い込みだ。
まず楽しい時間を止めたとして、嫌な顔をされるかどうかはわからない。
大抵は息子も理解しており、何か途中で止めても泣いたり怒ったりということはほとんどない。
また、息子と目を合わせても何も言われないことも多々あるし、例えば抱っこを要求されても元気なら抱っこして、もう嫌だな、限界だなと感じたら途中でも断ればいい。
断るのは私の自由だし、断られた息子がどうするかは息子の問題である。
そこは私が気にすることではないのだ。だから何か遊びを提案されて、できるなら付き合おう。無理だと思ったら断ろう。
例え私の言動や行動に息子が怒ったとしても、その話を聞いて私は冷静に考え、対応することができる。それだけの能力はあるのだ。
それなのに、私にはできないと思い込んでいる。
そうだな。
まずは言ってみて、息子がどういう反応をするか確かめよう。
確かめた上で、考えて、冷静に話し合ってみよう。
怖いからと無意識に逃げまわっているだけでは、何も始まらないのだ。
そして対応に失敗するかもしれないが、その失敗は次に活かせばいい。
何の問題もない。ただそれだけの話だった。
無意識のストレスは本当に多い
冒頭でも書いたが、生活の中でこのように気づけない無意識が山のようにある。
少しずつ少しずつ、気づいたものから潰していっているのが現状だ。
なかなか難しいけどね。向き合うのも面倒臭いし。普通にむかつくものはむかつくし。
でももう少し余裕ができれば、娘の攻撃にも対応できそうな気がしている。
おすすめ関連記事