このブログを始めた当初に紹介したのだが、
私は息子が2歳のころに初めて出会い、一緒に住み始めたのは3歳になってからだ。
同居する前からちょくちょく遊びに行ったり、当時の彼女であった妻が「パパだよ」と何度も紹介をしてくれていた。
その結果、私のことを本当の父だと思っているようですんなり同居できた。
同居してからも、息子の赤ちゃんの頃の様子を知ったかぶりで話したりと何かと刷り込みを行ってきた。
だが、ずっと私の心に引っかかっていた。
息子は知る権利がある
私の基本的な考え方は、自分の生き方は自分で決められるというものだ。
だから父が末期ガンだとわかった時も、父本人に余命宣告をすべきだと思った。それをどう捉えどう行動するかは父親の問題なのだ。
結局父には最後の最後にしか真実を伝えられなかったが、もう少し早く話ができたらまた違った人生になっていただろう。
それと同じとは言わないが、息子は息子で真実を知って、自分の人生をどうするか決める権利がある。
とはいえ、私は伝えることを保留にしていた。
その理由は、今の息子が真実を知ったところで選択肢はほとんどないからだ。
本当の親じゃないならと家を飛び出す経済力もないし、結局は私に頼らざるをえないし一緒に住むしかない。
そう思って、どうせなら息子が自分で様々な選択をできる年齢、例えば18歳になってから告げようかなと考えていた。
だが、結局怖いだけなのだ。
本当の親じゃない私が嫌なら、無視をしたり態度を変えるのは即座にできる。親と認めないこともできる。
また私たち親を見限って、祖母の家に引っ越すというのも選択肢としてないわけでもない。
今の息子でもできることはたくさんあるのだ。息子が何もできない年齢だから、というのは私の都合のいい考えである。
ちなみに、娘はまだ本当の父親がどうとか理解できるレベルではないようなので、それはまた数年後に考えよう。
そして、息子はもう5歳になる。
経験も足りないし知識もまだまだ足りない。判断材料も足りないだろう。
それでも、自分で物事を判断することもできる年齢になった。
だから、伝えることにした話である。
家族四人で集まって
特に何もない休日の昼間に、息子に真実を告げることにした。
ただやはり言葉は選ぶ必要があるだろう。
「本当の父親ではない」という言葉は確かに事実なのだが、本当ではないにせよ私が父親なのも事実である。
なので、こう伝えた。
「私は君が2歳のころからお父さんになったんだよ」
あとはもう妻とともに、つらつらと経緯を話した。
以前は違う苗字だったことを息子が覚えていたりとか、前のお父さんの名前を聞かれたりとか。
とまあ離婚した経緯とかはさすがに言わないまでも、過去の話を簡単に、妻と一緒に息子にしっかりと説明した。
その結果、息子はあっさり受け入れたようだ。
「私は2歳のころからしかお父さんではないし赤ちゃんのころも見たことがない。でも、君たちのことを好きだしこれからも家族でいたいと思っている」
とか色々と告げはしたものの、息子は……なんだろうな。うん、普通に受け入れていた。
言葉にしないまでもなんとなくわかっていたのかもしれない。多分ね。
その後は息子なりに気を使ったのか、一緒に遊ぼう!と誘われ二人でくるくる回ったりテレビを見たりした。
それからあまり時間は経っていないが、そこまで大きな変化はないようである。どうだろうな。
とりあえず、家の中の空気ががらっと変わるのではないかと恐怖していた妻とともにほっと一安心した。
事実を告げるタイミングっていつがいいの?
世の中には18歳になってからとか、成人式とか、大学を卒業したらと様々なタイミングで告げる親がいるだろう。
私は5〜6歳の頃の記憶がしっかり残ってて、当時の感情や思考もなんとなく覚えている。
だから、時期としてはそう早くもないんじゃないかな。
おそらくどの年齢で告げてもこじれる可能性はゼロではないだろうが、特に私が危惧したのは親とは別のところから事実を知ることである。
例えば親戚とか何かの書類とか。また息子は、私と妻からは産まれない血液型でもある。
ドラマみたいにさ、自分で調べて調べて気づくのは避けたいのだ。
そんなリスクが常にあるのであれば、早い段階で親から告げた方がいいと判断したというのもある。
子供の性格や家庭環境、またお互いの関係性も大きく影響するから正解なんてない問題なのかもしれないね。
これからの話
これからの話もしておこう。
今はまだ5歳だからすんなり納得してくれた息子だが、思春期になったらそれはそれはこじれることもあるのだろう。
「本当の父親じゃないくせに!」
そう罵倒される日もくるかもしれない。
でもこれは仕方のないことだ。
血の繋がりがあろうがなかろうが、私が子供達と一緒に住むことを、家族として過ごそうと決めたのだ。
それは私が勝手に決めたことであって、息子が決めたことではない。
だから息子が私を拒否するのは自由だし、父親として受け入れるのもまた息子の自由なのだ。
そして、息子が真実を知ったところで私のやることは何も変わらない。
息子を一人の人間として尊重する。強制もしないし強要もしない。
少しずつ一緒に成長しながら、信頼関係を築いていくだけである。
父親とか血の繋がりなど無関係に、一人の人間として信頼関係を築くのだ。私にできるのはそれだけである。
そんな、ずっと心に引っかかっていた事実を息子に告げた話であった。
いやーほんと、言った方がいいとはずっと思ってたんだけどね、怖くて無理だったよ。成長したな。
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