ステップファザーにできること

重度知的+発達障害の娘と、二人のやんちゃ息子の父によるステップファミリーの話

人の怒りや否定などの負の感情に支配されている自分に気付いた話

今まで自分を縛る思考の癖について色々書いてきた。

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それから毎日のように、自分が恐怖やストレスを感じたことを紙に書いていくと気づくことがある。

 

今回は大きな気付きがあったので、それを記していきたい。

仕事が怖くて始められない

今までに気付いた自分の思考の癖は色々ある。

 

・自分は間違っている

・自分には問題を解決する能力がない

・人に邪魔だと思われたら終わりだ

 

などなど。これら全てが私を取り巻く恐怖の源泉であり、それもセブンコラムによって少しずつ改善されてきた。 

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例えばこの記事で書いた運転中に車線変更ができない話はほぼ解消された。

 

もはや邪魔だと思われるのではないかという恐怖は、20%くらいだ。成長したな。

 

そして最近の私が恐怖を感じること、それは仕事である。

 

私がやっている仕事はネット上とはいえ様々な人と関わるもの。そしてあーしろこーしろ、これはだめあれはダメと指示もしたりする。

 

毎日のようにそんなことをやっていると、段々と仕事をやるのが怖くなってきた。

 

もう、仕事の画面を開くのがいやでいやでたまらない。

 

早朝から仕事をします!と宣言したものも、もはや完全に崩れた。

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なぜなら仕事をしたくないのだ。何か言われるのが怖くて、画面を開けないのである。画面を開きたくないから朝も起きない。

 

これはまずい。

 

怖い怖いと思って毎日紙に書きまくるが、この恐怖は大きく強くなっていくばかり。

 

ついには早朝どころか午後まで仕事が始められず、子供達が寝たあとの夜にまでずれこむようになった。

 

土日にも少しは仕事をするのだが、なかなか始められず遅くなり妻に負担をかけまくって妻もぶちぎれである。

 

これはまずい。まずいぞ。

 なぜこんなに怖いのか

なぜ仕事がこんなに怖いのか、簡単に説明しよう。

 

情報を共有するLINEのようなアプリがあるのだが、そこを確認するのが怖くてたまらないのだ。

 

それは、何か自分が言われているかもしれない。変なこと言われているかもしれない。注意されているかもしれない。

  

ただただ恐怖の感情である。

 

その感情は、一度画面を開いて何もないことを確認すれば消える感情だ。だから、私にとって一番のハードルは仕事始めに画面を開くことである。

 

ただこれが段々とハードルが高くなっていって、今では「今すぐ始めないとやばい!」くらい追い込まれないと画面を開けないような精神状態になった。

 

何もないことはわかっている。私がそこそこに優秀なのもわかっている。そして何かトラブルがあったり注意されたりしても、その問題を認識して対処する能力もある。

 

だが、どうしても怖い。この恐怖は膨らむばかりだ。

 

ちょうど今日、こ、こわすぎて何もできない!となったので、腰を据えてこの恐怖と向き合うことにした。

負の感情に支配される自分

 そして数時間紙に思いを書き続けて気付いたことがある。それは、

 

人が怒ったり蔑んだり否定するような負の感情に対する恐怖が異常である。

 

優しく注意されるのはいいのだ。冷静に指摘されるのもかまわない。

 

ただ、攻めるような感じとか、明らかに怒っていたりとか。

 

そういう感情を表に出されると、恐怖や不安で頭が真っ白になり何もできなくなってしまうのだ。

 

仕事で人に「あれは違います、これも違います」と上から(実際上の立場なんだけど)指摘すると、当然反感を買うこともあるだろう。

 

その怒った人たちが私に何か敵意を向けた反論や攻撃をしてくるのではないかと、毎日怖くてたまらない。

 

これまではこう考えてきた。

 

・今まで何か反論されたことはほとんどない。100あれば1~2回くらいの低確率。

・そんなレアケースに恐怖するのはコスパが悪い

・さらに何か言われても、確認して対応する能力が私にはある

・失敗したとしても、次に生かせばいい

・私は私にできることをやるしかない

 

これでいけるはず、だったのだが、どうしても恐怖が拭えない。

 

もはや反論とか攻撃とかそういうことじゃないのだ。

 

相手に負の感情を向けられるのが怖いのだ。

 

相手が何か負の感情を出しながら私に何か言ってきたら、もうその内容は関係がない。心も体も縮こまり、不安と恐怖に包まれる。

  

これは物心ついたころからずっとそう。

 

優しい人や、注意するにしてもちゃんと言葉を選んだりする人には私も心を開いた。

 

だが、明らかに怒りやイライラを顔に出す人の前にたつと、緊張していつものように振る舞えない。

 

 人を見て、その印象で私の態度が決まる。

 

もはや病気と言ってもいいくらいに、過剰な逃走反応である。

これからどうするか

なぜこんなことになったのか、原因はだいたいわかる。原因はわかるが、原因を探ることに特に意味はない。

 

私が考えるべきは、これからどうするか。その一点だけだ。

 

他人の負の感情を察知して恐怖し、そして負の感情が出てくる前から一人で恐怖している。

 

このままではダメだ。人の感情に行動が支配されている自分に納得できない。

 

そこで、まだまとまってないが考え方を少し変えてみた。 

 

人には色々な感情があるが、怒りや不満や蔑みなどは人をコントロールするための一種のツールであると考えられる。

 

「お腹がすいたよ」

 

と優しく言うよりも、

 

「お腹がすいたんだけど!?」

 

と怒声を張り上げた方が、相手を萎縮させ自分の要求を通しやすくする。自分の意見や要求を大きく見せられる。

 

その感情は主観的なもので、実際の状況は関係がない。

 

大きい声を出したもん勝ちという概念もあるくらいに、大声を出し、怒り、人を威圧することで周りを屈服させられる。

 

というか、周りが何も言わなくなる。そんな人を支配するツール、と捉えてみたらどうだろうか。

 

そう考えると。

 

相手の感情にこっちの行動や思考が左右される必要ないよね。もっと重視するべきところがあるよね。

 

そんな結論にいきつく。

 

相手が怒ろうがイライラを顔に出そうが、それは私には関係がない。

 

感情は抜きにして、冷静に分析すべきはその言葉の内容なのではないか。

 

今までは、相手の感情にばかり気を取られて頭が真っ白になって何もできなかった。

  

だからこれからは、相手の感情に重きをおくのはやめよう。

 

アドラー心理学でいう課題の分離だな。

 

相手が怒るかどうかは相手の課題であって私にどうこうできる問題ではない。

 

そして相手が怒ったとしても、それにあわせて私の感情や行動まで支配される必要はない。それは私が決められる私の課題なのだ。

 

今までは相手の強い負の感情に無意識に付き合っていたが、そもそも付き合う必要がないと知る。

 

怒って何かを言ってきても、こっちは萎縮する必要もない。冷静にその内容を吟味し、最善だと思う次の一手をとるだけ。最善の一手が謝罪なら謝罪するだけだ。

 

つまり、相手の負の感情を過大評価しすぎていたということである。

 

くだらん話だ。

あらゆることに繋がる話

つらつらと書いてきたが、じゃあ即座に私の恐怖が薄れるかといえばそうではないはずだ。

 

でも、今回は確かに恐怖の源を捕まえた感覚がある。

 

なぜ私がこんなに、特定の相手に対して恐怖を感じるのか。

 

相手に指摘するくらいなら黙ってた方がいい、自分でやってしまった方がいいという逃げの思考はなんなのか。

 

まだ自分の中でも完全にまとまっていないが、今の心は晴れやかである。

 

今後は同じような恐怖を感じるたびに、上で考えた思考を何度も何度も辿るだろう。

 

そして気づけばこの恐怖も落ち着いているはず。多分。

 

この恐怖さえ克服すれば、さらに成長できることを確信している。

 

娘や息子との関わりでも、この恐怖はよく顔を出していたから。

 

今後に期待したい。

 

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