ステップファザーにできること

発達障害の娘とやんちゃ息子の父になった話

アドラー心理学の目的論と課題の分離を少し理解できた話

最近、私の中で大きく成長できた出来事があったので記していきたい。

 

きっかけはこれだ。

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私がストレスを感じることには様々な要因があったが、その核を発見した(多分)話である。

 

そこから少し発展した話をアドラー心理学になぞらえて書いていきたい。

人の感情を目的論で考える

上記の記事でも書いたのだが、人の怒りや蔑みの感情を感じたりすると私は頭が真っ白になりパニックになる。

 

それはもう恐怖で判断がにぶり、戦うか逃げるかという二択の思考になる。

 

怖い!でも、自分の意見を言わなきゃ、相手を否定するのも勇気だ!

 

とかなんとか心の中でせめぎ合いながら、緊張でしどろもどろになり、結局うまくいくことはない。緊張して、口から何かが出そうなほどの強いストレスを感じる。

 

闘争逃走反応とはよくいったもので、私の体は全力で逃げろと告げているのだろう。

 

だが今回この恐怖の源に気付いたため、少し思考を切り替えた。

 

切り替えたというより、今まで知っていたものの重要視してこなかった考えを採用してみた。

 

それがアドラー心理学の目的論である。

 

詳しくは嫌われる勇気を読んでほしいのだが、基本的には人は原因論で考える。

 

私がひきこもっているのは過去にこんなことがあったからだ、私が恐怖を感じているのは過去のあの事件が原因だ。

 

これが原因論。

 

私がひきこもっているのは、誰とも会いたくないし傷つきたくないからだ、私が恐怖を感じているのは、それでその人とコミュニケーションをとらなくて済むからだ。

 

これが目的論。

 

つまりアドラー心理学では、何かがあった時にその原因ではなくその目的を考えるのである。

 

これは咄嗟の感情にも当てはまる。嫌われる勇気で話される話を一部簡単に紹介する。

 

ある時、新品の一張羅のスーツをつけて喫茶店に入ると、ウェイターにコーヒーをこぼされた。その時に激昂してウェイターを怒鳴り散らした。

 

そんな突発的な怒りに目的も何もないじゃないか!?という話。

 

この話を原因論で考えると、ウェイターが大事なスーツにコーヒーをこぼしたから怒ったことになる。

 

だが目的論で考えれば、大声で怒鳴り散らしウェイターを屈服させるために怒ったと考えられる。

 

ちょっと違う?けど、だいたいこんな感じ。つまり、咄嗟の怒りや悲しみ、そういった感情にすら、その感情を表に出す目的があるということだ。

 

面白いね。

私が取り入れた考え方

今まではこの目的論を、こういった人の感情について当てはめて考えることはあまりしてこなかった。というか目的論自体をあまり重要視していなかった。

 

課題の分離とかはね、わかりやすいので取り入れているけれども。でもこの目的論がとても大事なのだと気付いたのである。

 

人に対して向ける負の感情、そこには目的があるのだ。

 

例えば、私の姉に何か指摘をしたとする。すると、大声を出して怒りをあらわにして、

 

「だから〇〇だからできないって言ってるだろ」

 

このように言われる。

 

今までの私は、その瞬間にしゅんとなり、パニックになり、そこで話は終わっていた。

 

だがこの姉の感情を目的論で考えてみるととても面白い。

 

姉は自分で自分の現状が悪いことを自覚している。改善しなければならないこともわかっている。

 

でも改善していない現状がありそれが非難されていると感じた。

 

だから、それ以上相手に物を言わせないために、私を屈服させて自己を正当化するために大声を出して怒っているのだ。

 

最近のスラングでいう、マウントをとるとはまさにこのことだと思う。

 

声を低くしたり、怒気を込めたり。それら全てマウントをとる行為にすぎない。

 

その感情はほとんど無視していい。重要なのはその発言の中身なのだ。

 

そう考えたら、実に馬鹿らしい話だと思う。

 

私を屈服させるために怒りを表現する姉にあわせて、素直に私は屈服している。なぜだ?

 

別に私は姉を攻めたいわけでもない、ただ「これからどうするのか」という話を聞きたいだけだ。

 

それが私の目的であって、姉の怒りで私がパニックになる理由はない。

 

そこには、ただ自分のことを正当化するために大声を張り上げている姉がいるだけである。

 

何が怖かったんだろう。本当に不思議だ。

目的論と課題の分離はセットだ

気づかなかったのだけども、目的論と課題の分離はセットで効果を発揮するものなんだと知った。

 

上記した姉の怒りは私には変えられないし、私がその感情に付き合う必要はない。

 

私の感情は私が決められる。姉の怒りをスルーするのも恐怖するのも私が決められるのだ。

 

そのことに気づいてから、姉と対峙しても私の頭は驚くほどクリアになった。

 

今までは

 

立ち向かおう!「その意見は違うんだよ」と言おう!勇気を出さなければ!

 

と正面切って相手取ることしか考えられなかったのだが、冷静になると少し違う。

 

「私が知りたい情報を素直に聞いても、この人は話にならない可能性が高いな。であれば、私が知りたい情報を得るために、少し聞き方を工夫してみよう」

 

そんな冷静に思考ができるようになった。

 

いや、これ私としてはすごい成長だよ。なんだそれと思っている君、これは成長なんだよ!!!

心から光が溢れる感覚

というわけで、この他人の負の感情というものが主にマウントをとったり、自分の意見を押し通す目的で使用されていると気付いて巨大なストレスから解放されつつある話である。

 

特にルールを守らない子供が大声をあげたり、不満げな顔をするのも同じだ。

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これもその一部。たとえ事前に約束をしたとしても、子供は途中で好きなことを止められると不満げな顔をする。

 

好きなことを止めてはいけないという先入観もあったが、止めた時のその不満という感情がとても嫌だったのだと思う。 

 

今後は少し私の対応も変わってくるのではないかな。それくらい心が晴れやかだ。

 

さらにクソみたいな仕事をする人にも、まだ慣れないけど堂々と指摘ができるようになった。

 

娘や息子にも、約束事については目を見て言えるようになってきた。

 

なんだろう、長らく縛られていたストレスから解放されて心から光が溢れ出てくる感覚である。

 

この感覚は人生二度目になる。よっぽどストレスだらけなんだろうね、私は。

 

そんな感じで、今後も恐怖の原因を探しながら一つずつ潰していきたい。

 

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