ステップファザーにできること

発達障害の娘とやんちゃ息子の父によるステップファミリーの話

嫉妬して必要なものが手に入れられない人生はまっぴらごめんという話

最近は自分語りばかりとなっているが、定期的にそういう時期がくるのがこの私、とんぼである。

 

環境が変われば気づくことも多いし、考えや行動を変えていかねば乗り越えていけないことがあるのだ。

 

そこで今回は、前回の続き。誰かが何とかしてくれるという思考に気づいたなら、自然といきつく結論。

 

あらゆる行動において最終的な責任者が誰であるか。

 

自分の行動の責任は誰がとるのか。それを意識していくと、気づくことがあったので感じたことを書いていく。

 

好きだけど見たくないという感情

最近は意識を変えてたまにTwitterもやっているので、それも紹介したい。

 

このつぶやきを一言でいえば、ただの嫉妬である。

 

私にはめちゃくちゃ好きな人がいて、その人のおかげで人生が変わったといっても過言じゃないくらいに好きな人がいる。

 

何人かそんな感じの人がいるね。話したことはない、ネット上で活動している人で。

 

その人たちから得られた知識は今の私を支えている一部だし、これから先どうするかを何度も教えてもらっている。

 

だが、嫉妬してしまったのだ。

 

同じ立場にいると思っていたのにだんだんと仲間を増やしていき、気づいたらとんでもない存在になっていたりする。仲間とわいわいやっていたりする。

 

嫉妬するよねこれ!何で、隣にいるのが私じゃないんだって、思うよね!?

 

こんなに歯がゆいことはない。アンチにはならないにしても、その姿や活動を見るのがいやになってしまう。

 

というか、もともと天と地の差があったはず。経歴にも努力にも立場にも、大きな差があったのだ。

 

そんな感覚がなくなってしまうのがネットの怖さであるな。そして、一度嫉妬してしまうと、もう見られなくなる。

それでも必要なもの

いやだな、気分悪いし、この人もう見たくないな。

 

そう思いながらも、心の底ではわかっている。この人から得られる情報は私にとって必要なのだとわかっているし、好きなのだ。

 

一年近く目を背けてきたこの感情と向きあってみた結果、それが「嫉妬」だと知った。

 

勝手に私のことを理解してくれている同士だ!みたいな、幻想を抱いてしまったのかもしれない。

 

実際は違う。彼らは私の期待を満たすために生きているわけではないし、彼らの活動が広がっていくのは彼らが努力した結果だ。

 

私がどうこう不満を言う問題じゃないし、まったく私には関係がない問題なのだ。

 

それなのに他者の努力の結果に対して嫉妬を抱くどころか、自分にはどうせできないと殻に閉じこもってしまった。

 

そう言う時も、あるんだねぇ。嫉妬って、認めたくない感情だよねぇ。

そして死ぬ時に後悔する

私にできることは何か。それは嫉妬も力に変えることだ。

 

「私にはどうせ無理だから」と相手の不幸を願っていては先がない。

 

今の私が彼らと肩を並べるのはまだ無理だが、努力によってどうにでもなると考えなければならない。

 

今は完全に諦めてしまって、心が折れてしまっているのだろう。気づかないもんだけど、よく折れるよね、心。

 

そして今回言いたかったこと。

 

この嫉妬心を抱くことによる最終責任者は誰かと言ったら、私なのだ。

 

むかつくから見ない!いやだ、見たくないからもういいよ!

 

そう子供のように駄々をこねても無駄だ。なぜならこの問題の責任をとるのは私しかいないし、他の誰にもどうにもできない。

 

これからどうするか、逃げるのか、うまく付き合う方法を考えるのか。

 

最終責任者が私である以上、逃げ続けた結果は死ぬ時に私に振りかかってくるだろう。

 

このままいけば確実に後悔して死ぬぞ。 

 

であれば、やることは決まっているな。私をなめんな!