本日はちょっとした親戚の集まりがあって忙しかったとんぼである。ごきげんよう。
ひきこもり上がりの私としては、自分と親戚の関係で悩みまくるのは恒例行事なのだが、今回は別の話。
最近息子の生意気さとか屁理屈さとか、その自由さとか親に対する態度とか。そういったものを乗りこえつつあるが、毎日のように現実的な問題が突きつけられる。
そこで今回は、本日の親戚の集まりを経て気づいたことを書いていきたい。
息子との最近の話は、こちらを読んでくれたらわかるはず。
外で従兄弟と遊びたい息子と阻止するお父さん
今回の集まりはそこそこに多くの親戚が集まっており、その子供達も何人かいた。幼稚園〜中学生くらいの従兄弟たち。
家の中での集まりなのだが、息子は他の従兄弟たちと庭に出て遊びまわりたいという。
だが見たところ、道路がすぐ目の前で車通りも多く見通しも悪く、飛び出せば交通事故に合う可能性がかなり高い場所。
娘はもちろんだが、息子をここで果たして放置していいものか?非常に微妙である。
なので最初は外に出て、一緒に手を繋いで行動していたが。すぐに「いやだいやだ、一緒に遊びたい」と息子が言い出した。
確かに従兄弟たちは危ない場所ではあるが、走り回って遊んでいる。
当然道路には飛び出さないように子供達も気をつけているっぽいし、息子をずっと掴んだまま過ごせるわけもなし。
結局イライラしながらも、道路には飛び出さないことを条件に手を離し、解放した。
そしてすぐあと、妻が道路の向かい側に停めた車に用事があるということで道を渡ろうとしたら、すーっと後ろについて道路を渡ろうとする息子がいたので強制的に止める。
「道路でちゃダメって言わなかった?」
「出ない!!ママに話があったんだよ!!!!」
と大声で怒り出す息子。そういうことじゃねーんだよふざけんなボケが、とイライライライライライライライラする私。
その後も道路に飛び出さないようにひたすら娘と息子を見守りしていた。
息子は自由に過ごし、従兄弟のお兄ちゃんお姉ちゃんに連れられてあっち行ったりこっち行ったり。
親なんていないようなもんで、楽しそうに自由を謳歌していたさ。
ちなみに娘は割とおだやかで、かたつむり食べようとしたのがハイライトかな?
今日はそこそこに機嫌がよかったな。
親をないがしろにする感じはまだムカつく
先日記事にもしたが、愛してくれないなら、私も愛さないという思いが私の中に根付いていた。
だから今回、息子が親なんて邪魔しかしない!僕は遊びたいんだ!といった態度をとるのは、普通にムカついたりする。
むかつきすぎて、
はぁ!?てめーの自由になんかさせるかよ!
と、邪魔したくなる気持ちもある。あるからこそ、イライラしたのである。
それでも私はもうわかっているのだ。愛されていないと感じた時の私の負の感情も、意地悪したくなる気持ちも。こんな態度は絶対に許されない!という愛の復讐さね。
わかっているから、少しは冷静に自分の感情を見つめられる。
あー、こういう態度に私はむかついているんだな。息子が自由に、親なしで道を切り開いていこうとする姿を見ると、足を引っ張って引き摺り下ろしたくなるんだな。
ほんとクソ親であるが、気づいただけでよしとしてくれ。
結婚当時の判断とは
そのあと親戚宅から妻の実家へと帰還した我々家族。息子は汗だくだったし服も汚かった。
「早くお風呂に入って」
そういう義母や妻の言いつけをよそに、テレビが見たい息子はほぼ無視。何度かしつこく風呂に入ってと言われてようやく入っていった。
私はそんな息子を観察しながらも、「風呂に入れ」と言うことはしなかった。
ただ、結婚当時の自分を思い出していた。あの頃の私はもっと、子供達の行動に冷静な、客観的な判断を下していたはずなのだ。
例えばこのお風呂に関して言えば、息子が入りたい時に入ったらいいではないか。
さすがに汚い服で寝室に入ったり、風呂上がりの私に近づいてきた時には迷惑なので一言告げるにしても「風呂に入るかどうかのタイミングは息子が決められる」のだ。
そして従兄弟たちと庭で遊ぶ時も、私が注意すべきなのは大けがや命を落とす危険性があることくらいで、その他のことは自由にさせる。
空気が読めない話し方も、生意気な口調も、乗り気じゃない従兄弟に無理やり絡んでいく様も、私が口出しすることではない。
最初に私や妻なしで道路に飛び出すのはNGであることをしっかり伝え、合意をとった上で遊んでもらうというのが正解だったんだろうなーと今は思う。
最初から手を掴んだまま離さないというクソ対応によって、息子もイライラしたはずだ。
愛されていないとかでイライラしたり支配しようとすると、目が曇って困るな。
2年も一緒に住んだら家族になる
きっと、これは2年以上一緒に住んだからこそ生まれた新しい感覚なのだと思う。姪っ子ならこんなことでむかつかない。
結婚したばかりの時は、なんでも自由にしていいよ。好きにしていいよ。お風呂なんて入りたくないなら入らなくてもいいんじゃない?
そんな私が、今では自由にするな、好きにするな、お風呂は親が指定するタイミングで入らなければ許さない!となってしまったのだから。
毎日一緒に過ごして、距離が近づきすぎてしまったのかもしれないね。
近すぎるからあれもこれも干渉したくなるし、近すぎるから思い通りにしたくなる。
家族とはいえ、それぞれの人生だ。誰が最終的な責任をとるのか、これは誰の問題で、誰が乗り越えるべき課題なのか。
愛する姿勢を崩さずに、命を守りつつ、自分で責任を取れる範囲で自由にさせる。
2年前はただ「自由にさせる」だけだった私の考えもかなり変わったもんだ。
うーむ。親になるってのは、本当に修行だよねぇ。