ステップファザーにできること

重度知的+発達障害の娘と、二人のやんちゃ息子の父によるステップファミリーの話

アドラー心理学を現実で実践。子供達への声かけ・勇気づけを考える会

子供達への声かけには人一倍気をつかっているとんぼである、ごきげんよう。

 

先日、あまり来ることがないお問い合わせをいただいた。その中で褒め方に関しての質問があったので、私なりの回答を考えたい。

アドラーの勇気づけの話

褒めない子育てを突き詰めて考えていくと、正直なんて声かけていいかわからないこともあるし、自分で発しててこれダメだろと思うこともある。

 

というか生活してたら本当に困ることが多い。息子が「すごいでしょ?」って何度も聞いてくるのはやばい。

 

意地でもすごいと言わせたい息子と、意地でもすごいと言いたくない父親の争い。目的を履き違えている気もする。

 

で、今回のメールから一部勝手に引用させてもらった。

勇気づけの定義というものがあると思いますがそこではアドラーは 素晴らしいお人形を作るね。私にも教えてくれないかとあります

ここで言う素晴らしいお人形を作るねは誉める行為にはならないのでしょうか?

 

この「素晴らしいお人形を作るね。私にも教えてくれないか」というアドラーの言葉の出典がどこかわからないのだけど、確かに微妙ですなーこれ。

 

「素晴らしいお人形を作るね」は明らかな褒め言葉に感じるが、そのあとに「私にも教えてくれないか」と付け加えるることで尊敬を示してもいる。

 

ただの褒め言葉で終わっていないので、NGだと断定する気にはなれない微妙な感じではあるが……私なら「素晴らしいお人形」とは言わないかな。

 

正解はわからないと前置きをしつつ、私もいくつか褒めない声かけを考えてみたい。

 

「へーお人形作ったの?(細部を見ながら)これどうやって作ったの?(話聞いて)なにそれ面白そう!私にも作り方教えてほしい」

 

「へーお人形さん作ったんだ?見せてくれてありがとう、嬉しいよ!」

 

「お人形作り楽しかった?そうか、お人形さんが完成して嬉しそうだね、私も嬉しいよ」

 

とか、気になるものは自分が納得できる声かけに変えていくのはいかがでしょ。

アドラー心理学を自分でアップデートする

アドラーについて真面目に書くのもひっさびさなので、ここからは質問と無関係な私のアドラーの実践方法も書いてみたい。

 

どちらかといえば私はアドラー心理学というより、岸見一郎先生の語るアドラー心理学を実践している人である。

 

その代表作『嫌われる勇気』『幸せになる勇気』でもあった通り、アドラーの考えは基本的な概念として押さえて、あとは実生活で試行錯誤してアップデートするしかない。

 

だって褒めない叱らないって聞くと簡単そうだけど、やってみたら超難しい。

 

「すごい!」を回避して「助かるよ」と言ったのに、褒めるニュアンスになってしまっていることもある。

 

こちらは冷静で叱っていないつもりでも、実際には怒りがにじみ出ていたりすることもある。

 

娘が普段やらないことに「ありがとう!」と大注目するのに、息子が同じことしても何のリアクションもとれなかったりもする。

 

数年アドラーを実践してみて感じたのは、言葉そのものももちろん重要だが、日頃から子供達に対する接し方というか、一人の人間として尊敬しているかどうかってのがとても重要だということ。

 

相手を見下すことなく一人の対等な人間として意識していれば、こんな言葉は出てこないと不自然さに自分で気づいたりもする。

 

なので、自分が褒め言葉だと感じたり、見下してると感じたらNG、くらいのゆるーい基準でやってるというのが正直なところ。

 

そんな感じで子供達と日々を過ごしながら、少しずつ自分なりの正解を探っていくのが私のアドラー心理学の学び方であるぞ。

 

上で書いた三つの褒めない声かけも、他者から見ると褒め言葉に見えるかもしれない。結局は自分で判断するしかないのが現実さね。

 

正解が一つじゃないのも、面白い部分であるな。

要は愛情でしょう?

このブログで久しく語っていないが、結局は子供達が愛情を感じられるかどうかという話になる。

 

すごくなくても、頭が良くなくても、何もできなくても、もちろん何でもできても。私は君を愛しているんだよ。君が存在していることが嬉しいんだよ。

 

褒めない叱らないというのはそれを伝えるための手段の一つなのだ。褒められるために周りと競争しなくても、叱られてわざと注目されなくても大丈夫なんだと。

 

そんな安心感を得られる存在になること。ここにいてもいいんだと自分を受け入れられる空間を作ること。それが大事なのだ。

 

今となっては、友達や先生と一緒に過ごす時間が圧倒的に多い子供達。外界で褒められ叱らまくっている。

 

よそで競争してもいいし、自分の場所を手に入れようと切磋琢磨するのもいい。それも君の自由だ。

 

そんな君も愛しているよ。背伸びせんでも、背伸びしてても、君のことが好きなんだよ。

 

それを言葉で伝えていくのが、大切なのではないでしょうか!?(どどん!)

 

以上、いただいた質問に対するとんぼの回答である。脱線した上に偉そうな文章になったが、これが精一杯。

 

私のようなよくわからない存在にアドラーのご質問いただいたのが不思議なのだが、少しでも参考になれば嬉しい。