ステップファザーにできること

重度知的+発達障害の娘と、二人のやんちゃ息子の父によるステップファミリーの話

私ばっかりやっている!という怒りがそもそも客観的事実と違う話

妻に対する怒りも完全に鎮火したとんぼである、ごきげんよう。

 

少し前まで、「なんで私はこんなにやっているのに、何もしてくれないんだ!」と妻に相当に怒り狂っていた。それももう終わり。

まずは課題の分離をすること

下記記事でも書いたのだが、

◆妻と喧嘩して自身が自分の人生の責任を背負う覚悟がなかったと知る

 

私が怒っていた一番の原因が、やはり私の理想を妻に押し付けていたからというのが大きかった。妻は私の期待に応えるべきだと考えていた。

 

実際はそうじゃない。私と妻の理想は違うし、私の期待を妻が必ずしも満たしてくれるわけではない。逆も然りだ。

 

それなのに、妻は私の理想を具現化すべきだと怒るなんて勘違いも甚だしい。妻には妻の考えや優先順位があって、私のそれとは違う。

 

だからまぁ、自分のケツは自分で拭けよというのが簡単な結論であった。自分の理想なんだから、他人任せにするのではなくどうすれば前に進めるか考えようということ。

 

こう考えるようになって、非常に楽になった。妻との件だけでなく、子供達との喧嘩もそう。相手のせいにしてたら、何も変えられない。

 

一周回って元の思想に戻ってきただけなのだが、少し成長できた話である。

そもそもどうなの?という話

では実際に、自分の理想なんだから自分でやろう!とやってみたところ、それでもやっぱり妻への怒りが湧いてくる。のほほんと過ごしている妻を見ているとイライラしてくる。

 

私はこんなにやっているのに!なんで君は何もしないんだ!?

 

そんな怒り。なぜなら夕方の私は相当に頑張っているからだ。

 

夕方に晩御飯を作ったら子供達を迎え、風呂に入れ、娘のトイレトレーニングをし、ご飯前に子供達と遊び、皆がご飯を食べている間に片付けをして翌日の朝ごはんも作って、妻の弁当を用意して寝る。

 

私ばっかりやってるじゃん、絶対におかしい!

 

自分の理想とはいえ、そんな怒りがふつふつと湧いてくる。イライラして仕方がない。

 

なのだが、ちゃんと客観的な事実を確認してみると、妻は何もやっていないわけではないのだ。

 

夕方によく動く旦那は、朝はほとんど何もしない。なぜなら体が動かないからだ。そんな旦那をギリギリまで寝かせたまま、妻は子供達を起こして着替えさえて用意された朝ごはんを出す。

 

娘に薬をあげたり、テレビを見たまま固まっている息子に声かけし、自分の化粧やら何やらをパタパタやって走って仕事に行く。

 

当たり前のように日中はずっと働いているし、通勤時間が長いのでほぼ半日は帰ってこない。夕方だってそうだ。イライラしている時は、

 

「帰ってきたら風呂入って飯くって寝るだけじゃねーか!楽でいいな!」

 

と怒っていたが、そうじゃない。妻は半日働いて帰ってきたのだ。もう疲れて、何もしたくない状態なのである。

 

それなのに、息子や娘と一緒に風呂に入ってくれることもあるし、風呂上がりに娘がウンチをしたパンパースの処理もやってくれている。

 

娘の学校の連絡帳も毎日書いているし、子供達とご飯を食べるのも妻だ。大変なんだよ、子供達とご飯食べるのって。特に娘は気分の差が激しいから結構面倒くさい。

 

私が片付けや翌日のご飯を作っている間にも、別に妻は遊んでいるわけじゃなかった。子供達を寝巻きに着替えさせ、娘に夜の薬をあげたり一緒に歯磨きをしたりしている。

 

その後子供達を寝かしつけし、洗濯物を畳むまで妻は毎日やってくれている。

 

あれ?かなり働いていないか?私が外で働いてた時に、絶対ここまでやらないんじゃないか?

 

そう思う。これが現実なのだ。この状態で文句言って怒ってる旦那って、頭おかしいぞ。無職でうつ病で日中ほとんど何もしてないくせに、よくもまぁ偉そうに文句言えたもんだ。

共感する力が足りない

最近の怒りの変遷を書いてみた。今ではほとんど妻に怒りを感じていないどころか、むしろありがとうという気持ちです。

 

まぁ、お互いが自宅にいる時の姿しか見ないし、自分が忙しいと相手のこともよく見ていなかったりする。そういうところも意識してちゃんと見るってのは大事だと痛感した。

 

大変だよ、8時間働くの。そのあとに子供達と遊ぶとか正気の沙汰とは思えないもの。まずお前がやってみろよと私に言いたい。

 

そんなわけで今週は毎日、夜は子供達とがっつり遊んでいるのだが。この話はまた別でやろう。妻よありがとう。怒ってすまんかったな。