ステップファザーにできること

重度知的+発達障害の娘と、二人のやんちゃ息子の父によるステップファミリーの話

”頑張ればできる”ことは”できないこと”と判断して生きていく話

頑張ればできることばかりで1日を埋めた結果、うつ病になったとんぼである。ごきげんよう。

 

最近やっとわかった。できることとできないことを区別するとはなんなのか。わかっちゃったんだよ!なので見解を書いてみたい。

頑張ればできる、はできること?

うつ病治療の大事なポイントとして『ツレがうつになりまして』で紹介されていた、できることとできないことを区別すること。

 

これって中々に難しいと今になって気づく。

 

自分でいうのもなんだが、私はそこそこに優秀な人間だ。別に何もしなくても学生の頃から成績もよかったし、どこの職場に行っても覚えは早く仕事も早い。

 

介護職でもっともきついと言われるタイプの施設に未経験で入って地獄を見ながらも乗り越えた。なかなかできることじゃないんだぞ。未経験であんなとこ行くやつなんて頭おかしいんだぞ。

 

つまり、やればできる人なのだ。その能力がある。

 

まぁこんな人なので、できちゃったんだよ。ステップファミリーのお父さんとして、家事も育児も勉強も、すべてこなせてしまった。

 

朝5時に起きて瞑想して勉強して、子供達送迎して夕方まで勉強して、子供達と風呂に入って料理作って洗濯してとか。今までやったことないのにできちゃったの。普通に。

 

そりゃきついよ。頑張っているよ。でも、できるんだから仕方ない。イライラするしストレスもたまるけど、毎日続けられるレベルなんだから仕方ない。

 

と思ってたら、ある時から突然体が動かなくなってしまったのである。

 

おかしいな、これくらいできるんだけどな。何で体が動かないんだろう、仕事量としては大したことないんだから、もっとできるはずなのに。

 

当時はそう思っていたが、今は少し違う。私にとってできることばかりの日常は、正確には頑張ればできることばかりだったのではないか。

 

頑張ればできるってことは、無理してるってことだ。毎日毎日無理をすれば、そりゃ体も動かなくなるわなという当たり前の見解である。

”頑張ればできる”を日常から排除する

今後は過去の失敗を生かして、頑張ればできることはできないことと判断し日常から排除る。よほどの緊急時や代替案がないなら仕方がないが、基本的に無理はしない。

 

無理をしても続かない。先がない。この先何十年と続く人生なのだから。

 

例えば先日の土曜日。子供達が帰ってくるのが17時半だが、妻の帰宅は18時半。1時間、妻がいない時間がある。

 

「1時間早く帰ってこようか?」と妻が言ってくれたのに、私は断ってしまった。大丈夫だと、ややきついが1時間くらい何とかなるだろうと。

 

そこでふと思う。これ、頑張っているなと。そこまできつくはないとしても、少し無理している。できれば妻に帰ってきてほしい。しかも帰ってきてもいいと妻が言っているのだ。

 

ならばと、今回は妻に早く帰ってくるようにお願いすることにした。以前なら「一人でいける」と判断した案件だが、もう頑張らないぞ。妻がいた方がいいに決まってるじゃん。

 

また先日自然公園に歩きに行った時にも、いつもなら必ず目的地まで行くようにしいてるが途中で引き返した。単純に歩くのがきつかったから。

 

できることとできないことを区別するってそういうことじゃないか?と思うのだが、どうだろうか。

ずっとできないわけじゃない

最後に言いたいのは、別にこれらがいつまでもずっとできないわけではないということ。

 

頑張ればできることを、少しずつ慣らして頑張らなくてもできることに変えていけばいいのだ。

 

先日書いた子供達と遊ぶ習慣化の話もそうだ。

◆きつくて疲れる「子供達と遊ぶ時間」を少しずつ習慣化していきたい話

 

夜に毎日1時間遊ぶのは正に頑張ればできることだった。これを少しずつ少しずつ遊ぶ機会を作って、時間を伸ばして、頑張らなくてもできることに変えていく。

 

人生何があるかわからん。頑張ればできることを毎日やらないといけない状況に追い込まれる可能性もある。

 

あらゆる理不尽な状況にも対応できるように、日々成長していきたい。そんな気付きの話であった。