ストレス対策を勉強しまくっているとんぼである、ごきげんよう。
自分のために使える知識は、当然他人にも使える。毎日一緒に過ごしている家族には、それなりに効果を発揮するのではないか?
まずは自分が自立する
最近は少しずつ元気を取り戻している父親のこの私は、あらゆるストレスに弱い。拒絶・失敗・孤独など、ちょっとしたきっかけで地獄の気分になる。
例えば今朝は、息子の学校への送迎直後に体育着登校だったと気づいた。何かしらイベントがある様子で忘れたでは済まされない。
仕方ないので、後ほど持っていくことにしたのだが。ただそれだけのことなのに、世界が暗闇に飲まれ、すべてが終わってしまったのだ。
はぁ?と思われるかもしれないが日常的にそういうことがある。
子供達や妻からの冷たい(と感じる)発言、どうでもよさそうな失敗、また今回でいえば大切な時間が奪われたという感覚。
小さな石ころが日常に転がっていて、それにつまずく度にダークサイトへ落ちていく。毎回毎回、面白いくらいに落ちていく。
それも最近は対策をとっていることもあって、相当に復帰の速度が上がった。
指輪をつけかえることで自らがストレスを感じていることを認識し、ストレスレベルをはかり、呼吸を落として自らの胸をなでながら優しい言葉をかける。非論理的な考えを是正しながら、より前向きな代替案を出していく。
これらを気持ちが回復するまでひたすら続けていて、回復不可能だと思われたダークサイドから帰還できることが増えた。
妻からも「最近は地に足がついている感じがする」「以前はこうなったら怒って何もしなくなったのに、成長したんだね」と言われた。嬉しい限りだ。
うつ病になった私は、ストレスを甘く見ていない。少しでも”うっ”となったらその一つ一つに全力で対応して、乗り越えていく。人生というのは、毎日このような戦いの連続なのではないか。
自分にできることは家族にもできる
見出しの通り。自分をダークサイドから救い出せるのなら、家族だって救い出せるのではないか?
以前にこんな記事を書いた。 楽しい記憶を思い出すだけでストレスが軽減するという知識を息子に試してみたら笑顔になったという話。
◆勉強で得た知識で、笑えない日があるという息子の笑顔を取り戻した話
これが正にそう。自分に使える知識は、家族にも当然のように使える証明である。
例えば、妻が子供達に怒っている時にはその怒りを否定するのではなく、認めていく。妻の言動に客観的事実と反している点があれば指摘していく。
発達障害の娘が怒って物を投げた時もそう。そこに何か怒りの原因があるはずだが理由がわからないことも多い。
それでも、その怒りの感情を認める姿勢を見せる。否定せずに、注意せずに、まずは受け入れていく。娘だって物を投げちゃダメなことくらいはわかっているのだ。だから、まずは認める。
このように、すべてが嫌になった時の自分に対する声かけを家族に対しても最近やってみている。
割と効果があるのか、今朝は怒っていた娘が態度を変えて膝の上に乗ってきていた。カバンも保護帽も文句も言わずに被ってくれた。
声かけによって娘の怒りが晴れたのかもしれない。わからんもんだわ。
家族に貢献せよ
カウンセラーというと大袈裟だが、自分の心を手当てできるなら他人の心も少しは手当てができるはずだ。
妻が怒った時、娘が物をなげた時、息子が癇癪をおこした時。様々な状況で、ちょっとしたサポートができるのではなかろうか。
そのためには、まずは私自身が自分を立て直し、自立できる人でなければならない。
拒絶や孤独で不安な状態では、人に優しくできない。自分の心の面倒もみられないのなら、人の面倒なんて見られるわけがない。
家族をサポートするなら、どちらにせよ私が成長する必要があるということさね。
今後も勉強を続けて知識が増えていけば、より家族に貢献できることが増えるはず。知識の押し付けにならないように注意しながら、上手く活用していきたい。