ステップファザーにできること

重度知的+発達障害の娘と、二人のやんちゃ息子の父によるステップファミリーの話

豆腐メンタルの私がうつ病になった解決すべき三大原因を紹介したい話

自分のことがわかっているつもりなのに全然わかっていなかったとんぼである、ごきげんよう。

 

様々なストレス対策を講じた結果、ようやく自分自身の何が問題か具体的に判明しつつある。今回は自分の頭を整理しながら、うつ病となった三代原因を紹介していきたい。

完璧主義

個人事業主として自宅にて収入を得ようして数年、完璧主義が私を苦しめているのは間違いない。

 

結婚当初はお金を稼ぐために毎日勉強していた。当時は勉強方法もよくわからず、とにかく長時間すればいいものだと思っていた。

 

さらに少しでも勉強を休んだら、せっかく覚えたことが消えてしまうのではないかという恐怖に苛まれていた。

 

そうなると、休日は休日ではなくなる。イレギュラーが発生すると、邪魔をされたと怒りを感じ、ノルマが達成できなかった自分を責めまくる。

 

絶対に休んじゃいけない。

 

心の中ではそう感じながらも、歯を食いしばって子供達との時間を過ごし、家族の時間を無理やり作っていた気がする。

 

当時、妻が寂しそうによく言っていた。

 

「私たち3人(妻と子供達)だけが家族みたいで、パパとの間に壁がある」

 

当時はなんでそんなことを言うんだと気分を害していた。だが、今思えば的を射ているなーと思う。

 

私だって家族と過ごす時間が大事なのはわかっている。妻にとっても子供達にとっても、私がずっと一人で部屋にこもっているよりは一緒に過ごす時間があった方がそりゃいいだろう。

 

だから休むのは休むんだけど、心ここにあらずというか。邪魔された、すべてが終わったという意識だけはずっと抜けなかった。今でも抜けてない。

 

この完璧主義のやばさは、その持続時間。休日など、家族と一緒にいる間もずっとイライラするし、何かイレギュラーな予定が入った時には怒りが爆発する。

 

強いストレスを継続的に感じ続けるのだ。こりゃ病むわなー。

過剰な拒絶への反応

二つ目。拒絶を感じた瞬間に、心が大きく傷つけられて強い怒りや悲しみに襲われるというもの。

 

バイブルである超ストレス解消法の言葉を借りれば、思考のアンバランスだ。誰も私を拒絶したわけでもないのに、拒絶されたと思い込んでダークサイドに落ちる。

 

この拒絶に対する過剰反応は、様々なところで現れる。

 

・妻がこちらの話に相槌を打たない時

・姉に意見を言ったら怒って反論された時 

・友人と話して、見解を否定された時

・実母が子供達の相手をしようとしない時

・子供達に挨拶して無視された時

 

相手によって私の反応は違うけれども、どれも感じているのは拒絶だ。

 

むすーっとして喋らなくなるのはまだいい方で、大声で相手を威圧するとか。逆に嫌われたんじゃないかと相当に落ち込んでしまうとか。

 

最終的に「拒絶されそう」と感じる人や事柄からは逃げ出してしまう癖がついてしまった。拒絶されるのが怖くてたまらないのだ。

 

実際は相手が私を拒絶したわけじゃなくても、拡大解釈に被害妄想で、大きく傷つく。なんで私を認めないんだ!?もう終わった。嫌われた。などなど。

 

完璧主義とどっちがやばいかわからんくらいに、この思考のアンバランスが私を攻撃してくる。

 

特に結婚してからは、子供達と接する機会が多いから。なかなかのやばさやで。突然の生意気な口調、突然大声出して「いやだ!」、叩かれ、蹴られ、ものを投げられる。

 

こんなんとか。 

◆発達障害の娘に突然叩かれるとムカついてイライラして仕方がない話

 

もともと拒絶に弱いのに、拒絶が毎日続けばそりゃ心も病むわなー。

受容のアンバランス

他人のことは他人のこと。私がどうこう言う必要はない、好きにしたらいい。

 

それが基本的な私の思想である。だがこれが通用するのは、同僚や友人の場合だけだったと家族ができて知った。

 

家族でなければ許容できるのに、家族ならば許容できないものがあるのだ。

 

いや、少し前までは寛容だと思っていたんだよ。息子がゲイだとか、医学部に入ったのに途中で夢を変えて実は中退してましたとか、プロサッカー選手になるために二十歳を超えてブラジルに行くとか。

 

このような選択を息子がしたとしても、受け入れられる自信がある。好きに生きたらいい、君の人生だから、文句を言うつもりはない。

 

それなのに、姉である娘に対して弟なのに強い命令口調を使うとか、約束を守らないなんていう小さなことは許せない。

 

そしてきっと、将来的に登校拒否になっても私は息子を許せないはずだ。大きくなって自宅で常にイヤホンをつけながら、スマホを見ながら食事するとか、就職もせず自宅でスマホでずっとゲームをしているとか。

 

息子のそのような未来を想像するだけで、本当に嫌な気分になる。

 

御覧の通り、私が許せるのは私が許容できるものだけ。器が大きいかと思ったら、なんてことはない。自分の器に入ることしか受け入れられないのだ。

 

子供達の将来を、自分の許容できる範囲に閉じ込めたくて仕方がない。そこを外れようとすると、異常な怒りに襲われる。

 

障害を持つ娘は将来を想像することが難しいのだが、息子に関しては本当にむかつくことが多い。そしてそのほとんどが、許容できる範囲を逸脱していることに起因する。

 

これが問題なのは、どちらにせよ人は変えられないということ。私がどうあがいても、最終的な決定権がその人にあるのだ。悩んでも怒っても、私には変えられない。

 

それなのにほぼ毎日のように、息子が新たな行動・言動をするたびに強いストレスを感じ続けている。そりゃ心も病むわな。

気づけただけでも進歩

ストレス対策でもっとも大事なこと、それはストレスを認識することだ。

 

自分が何をきっかけにストレスを感じて、どういった心の変化が起きて、どのような行動に出るのか、その時の自分の考えを言語化するとどうなるのか。

 

それらに気づくのがめちゃくちゃ重要。で、一応は見るからにやばそうな三つを捕まえたので、少しは進歩したのではないか。

 

だいぶ前にも紹介した気がする、ある知的地球外生命体の名言を最後に書いておく。

 

観測さえできれば干渉できる。干渉できるなら、制御もできる。

 

ストレス対策も同じじゃなかろうか。自分のストレスを観測できたなら、干渉することができる。そして干渉できるなら、コントロールだってできるのだ。

 

まぁ長年の癖みたいなもので頑固なのは間違いないが、変えていく以外に前に進む方法がない。

 

今は気分が沈まないように戦っている一進一退の毎日だが、いつの日か制御できる人になってやるぞ。