不安傾向の強いとんぼである、ごきげんよう。
若い頃からずっとずっと不安と戦ってきた。特に自分に責任が及ぶ可能性があることに関しては、事前に対策を考えまくったりしてきた。
あまりに考え過ぎてバカにされたこともあったが、私にとってはこれが見事な正解だったことが最近わかったのである。
防衛的ペシミストと戦略的オプティミスト
最近勉強しているメンタリストDaiGoさんの倒れない計画術の本。
こちらでウェルズリー大学のジュリー・K・ノレム博士という人の研究について書かれているのがとても面白い。
ノレム博士によれば人には二つのタイプがあるという。
戦略的オプティミスト
これまで成功してきたのだから、次も成功するだろうと考えるポジティブタイプ
防衛的ペシミスト
これまで成功してきたけど、次はきっと失敗するかもというネガティブタイプ
日本人は98%が防衛的ペシミストに該当するとかなんとか。まぁ、考えるまでもなく私は防衛的ペシミストなのが明らか。
別にネガティブだったら悪いわけじゃない。ただ防衛的ペシミストなら、ネガティブな想定をしてそしてそれに対する対策を練ったり、事前に解決策を考えておくとより目標達成率が高まるというんだよ。
これ衝撃じゃないですか?
だって今まで「お前は考え過ぎ」「いらんことばっかり考えている」「無駄な心配ばかりしている」とかなんとか言われてきたんだよ。
ネガティブな想定するのはおかしいのかな、私って、やっぱりうつ傾向のある豆腐メンタルやろうなのかな、って思っちゃったりしてんだよ。
実は逆で、このネガティブさこそが私を目標達成へと導いていたのである!!
過去の批判の方が的外れだったという衝撃の事実。恐ろしい。
とんぼの防衛的ペシミスト感を紹介する
すでに書くことがなくなってしまったので、私の防衛的ペシミスト感あふれる体験談を紹介してみる。
見知らぬ場所へは車では行かない
よく父と喧嘩していたのは道の話。私は見知らぬお店にいく時に、絶対に1人で車でいくことはなかった。
なぜなら、「駐車場がないかもしれない」からだ。
父は言った。いや、広い駐車場があるんだよと。お前でも楽に駐車できるくらいで、いつもガラガラの駐車場があるんだよと。
それでも私は譲らない。「この日に限って駐車場が満車で入れないかもしれない」し「近くに車を停められる場所が一切ないかもしれない」からだ。
結局父とは喧嘩して、勝手にしろと見限られた上でバスで行ったりした。
駐車場はスカスカだったぞ。
仕事の発表で猛威をふるうとんぼ
仕事であった会議やら研修発表やらで発表する機会があると、いつも事前に飽きるほどに発表の練習していた。
台本を書き出し、何度も何度も声に出して読み上げ、おかしな部分があれば修正し、強調する部分やゆっくり読む部分を確認して台本を作り上げた。
こんなことで練習をしている人なんて聞いたことないし、みんな適当にやっているようだった。しかし私は、誰にも何も言わず、その数日前からひたすら練習をする人だった。
そのおかげで、何かしらの発表があるたびによくわかりやすいと絶賛されていたぞ。これぞ防衛的ペシミストの力である。
子供達を1人で見る時の行動
今でこそ何も感じなくなったが、結婚当時に子供達を1人で見る時は異常なほどに前準備を行っていた。この記事とか割と必死である。
子供達がご飯を食べないかもしれない。薬を飲まないかもしれない。風呂に入らないかもしれないし着替えを拒否するかもしれない。ずっと私を無視するかもしれない。
あらゆるネガティブな想定をした上で対策を考え、妻がいない日を乗り切ろうとしていた。あれは正解だったんだなぁ。
楽観的に考えると地獄を見るからやばい
そんな防衛的ペシミスト的な自分語りであった。いやぁ、まさかネガティブに考えて対策をとることが私にとっての正解だとは思わないじゃないか。
いわゆるポジティブ思想がよしとされている風潮もあったせいか、考え過ぎ、バカじゃないの?やる気がないだけでしょみたいな。
私自身もそう感じていた節があったから、このノレム博士の研究には非常に心が軽くなった。今後は思いっきりネガティブな想定をして、しっかり事前対策をたてていきたい。
だってそうしないと、地獄を見るのが経験上わかっているんだよ。
昨年夏、「親戚なんてこないだろ」と何も考えずに義母の家にいったら、10人以上の親戚に囲まれたからね。
これやばかったぞ。これからは事前に、
大勢の親戚がいる中で、なぜか私にだけ話がふられまくり、これまでの経歴を根掘り葉掘り聞かれ、容姿から人格まで、あらゆるすべてを全員の前で否定され罵倒される。
とか。これくらいのネガティブな想定をして、対策をたててみよう。対策さえあれば、なんとかなるでしょう。
まぁ、こんな頭のおかしい親戚がいたら逃げるしかないけど。