ステップファザーにできること

重度知的+発達障害の娘と、二人のやんちゃ息子の父によるステップファミリーの話

無償の愛と言われる親の愛は有限説。親の愛とは何かを考える会

なんとなく愛の形が掴めてきたとんぼである、ごきげんよう。

 

人は愛でできているなどと言うつもりはないが、子育てをしていくとどうしても愛の問題にぶち当たる。愛がなけりゃ気が狂ってしまうといってもいい。

 

そんな最近の思考を言語化していく、しょぼい哲学の会とする。

親の無償の愛は有限だと気づく

我が家族はステップファミリーで、私と子供達に血の繋がりはない。一緒に住み始めてたったの3年しか経過していない。

 

そんな私にそもそも無償の愛とやらが存在するのかは微妙であるが、親は最終的に無償の愛を持つことを強制される立場にある。

 

無償の愛がなければ、親子共々健全な精神は保てないのではないか?

 

私は妻と結婚する前から、血の繋がりのない子供達も愛していこうと決めていた。色々と困難はあるだろうが、子供達を愛していこうと。その努力だけはしていこうと。

 

そして3年が経った今は思う。親の無償の愛って、無限に湧き出てくるものではないのだと。

 

もっと歳を重ねた達観した人物であれば、もしかしたら何もせずとも心の奥底から愛が溢れ出て、子供達と言わず世界中に愛を振りまけるのかもしれない。どんなに冷たい態度をとられても、たっぷりの愛情を示せるのかもしれない。

 

現段階では、おそらく私はそんなことにはならないだろうというのが暫定的な答えである。

 

親になってどれほどの時が経っても、もし私と血の繋がりがある子供が生まれたとしても、無限に愛情が湧き出てくることはきっとないと思う。妻や親兄弟にすら、無限に愛情が湧き出ることはないのだから。

 

子供達には普通にむかついてイライラするし、子供達から愛情を示されなければ愛を示せない日も出てくる。というか、それが普通じゃないか?

 

だって私は人間だ。神様じゃない。傷つくこともあれば、落ち込むこともある。私自身が相手から愛されている実感を持てなければ、愛を示せなくなっても何らおかしくはない。

 

人である以上、親の愛も枯渇する。無償とか無限とか、そういう全能的なもんじゃないよなーと思う。

アドラー心理学の課題の分離

だからこそ子供達から愛が貰いたい。子供達に愛を示してもらいたいと思ったりするのだが。

 

ここでアドラー心理学の課題の分離という考え方を紹介したい。自分に変えられることと、変えられないことを分けて考えるものだ。

 

愛について言えば、こんな感じ。

 

私が子供達に愛を示すかどうかは、私が決められる。

子供達が私に愛を示すかどうかは、私には決められない。

 

この課題の分離を突き詰めていくと、他人から愛をもらえるかどうかはわからないし、自分では決められないことだ。

 

子供達にどれほどの、言葉では言い表せないほどの愛情を示したとしても、それが返ってくるかどうかは私には決められない。

 

恩を仇で返されるかもしれないし、親から愛されていないと判断することもあるだろう。それらすべて子供達が自分で決めるのだ。親が口でどうこう言っても、決めるのは子供達自身である。

 

そう考えると、有限で枯渇する無償の愛というのは、遅かれ早かれエネルギー切れになると思う。与えた分だけ返ってこないのだから、心は枯れて、ぼろぼろになる。

 

ぼろぼろになった心では、愛を与えようと思うことはない。与えてもいない愛が子供達から返ってくることもそうないだろしさらなる悪循環に入るかもしれない。

 

結局、課題の分離も自分の心に愛がいっぱい詰まってなければできないのではないか。

 

実際、子供たちに裏切られている!という感覚の時は目すら合わせたくなくなる。自由にしているだけで頭が真っ白になるレベルの怒りに駆られる。

 

親も、そんな強い生き物じゃないよねぇ。

セルフコンパッションで他者の課題を切り捨てる

愛は有限で、子供に限らず他人が私の思い通りに動いてくれることはない。

 

そうなると、子供達を愛するエネルギーはどこから持ってくるんだ?子供達から返ってこない愛はどうすればいいのだろう?

 

その暫定的な答えが、セルフコンパッションである。子供達から、いや世界中から嫌われたとしても、私だけは私を受け入れる。私は私を認めていく。

 

自分を受け入れ認めていれば、そもそも他者から認められる必要なんてないのだ。

 

誰に信じてもらえなくても成功はできるが、自分を信じられなければ成功はできない。

 

こんな言葉もあるくらい。

 

承認欲求にしたがって生きていたら子供達に愛を示し続けることできない。承認してほしい、愛してほしい私に課題の分離ができるわけもない。

 

そうだねぇ、承認欲求の塊だから。私は。

 

こんな自分でも、セルフコンパッションの訓練を続けていけば、少しは承認欲求が薄れると考えている。

  

私は私を認めているし、私だけは絶対に私を否定しない。私にとってもっとも大事なことを遂行するために、自分自身を認め、鼓舞し続ける。

 

アドラー心理学、課題の分離という思想だけでは、心がついていかないことを知った。努力が必要だわ。 

親の愛が有限だからこそ

睡眠不足が続いて子供達にきつくあたってしまった。ならば睡眠時間を最大限多くとって心身を回復させようじゃないか。

 

毎日忙しすぎて子供達にイライラして怒鳴ってしまった。ならば、休養をとったりスケジュールを調整して心に余裕を持たせてみようじゃないか。

 

このように問題があれば対策をとる。愛情を示し難くなったら、上で書いたセルフコンパッションのように別の方法を考える。

 

愛は無限に、自然に湧いてくるものじゃない。日々子供達にどうすれば愛を示し続けられるのかを考え行動し続けるこの過程こそが、親の愛ってやつじゃなかろうか。

 

と書くと偉そうだけど、まー私は常に愛があふれている聖人じゃないからね。頭つかって手を替え品を替え愛情を示していこうってこった。それが私の中での親の愛ってやつだと思います。

 

結局は子供達が私の愛情を感じてくれたらいいのでね。子育ての目標はそれだけなんだから。簡単そうに見えて、むずいんだこれが。 

 

子供たちの行動には、私の価値観から大きく外れているものが多すぎる。受け入れられなくて困るわ。

 

ここまで読んでいただき感謝。

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