ステップファザーにできること

発達障害の娘とやんちゃ息子の父によるステップファミリーの話

息子にコミュニケーションの基本を教えたい父の問題点を考える会

子供たちが学業に戻って喜んでいるとんぼである、ごきげんよう。

 

ここ1ヶ月で色々あって、子供たちに冷静に話をできるようになりつつあるのだが、荒れることも多くてイライラすることもまだある。

 

ちょうどコメントで「息子にもう少し考えるヒントを与えるべきでは?」との意見をいただいたこともあり、久々に育児を考察する記事を量産していきたい。

とんぼの子育ての基本姿勢を考える

私はアドラー心理学を子育ての指針として掲げている。なぜかといえば、苦しみばかりの地獄の日々を送っていた時に読んだ『嫌われる勇気』にびびっときたから、ただそれだけである。

 

アドラー心理学を追求していけば私の人生はもう少し楽しくなるはずだと、5年ほど前から未熟ではあるが少しずつ日々実践している。結婚して子供ができてからはより加速した。

 

アドラー心理学には課題の分離という概念がある。

 

何か問題が会った時に「この問題の最終的な責任をとるのは誰か?」と考えて、その責任者が他者であるならば、首は突っ込まないようにすべきという考え。

 

例え親友であっても、家族であっても、他者が責任をとる課題に土足で踏み込むべきではない。強制する・される関係は尊敬とは程遠くて上手くいかないからやめようね、といったところか。

 

基本的に課題の分離を人間関係のベースとしている私は、子供たちにあれしろ、こうしろ、あれをやりなさいこれをやりなさいと命令することは、ない。

 

「これやってもらってもいい?」

「もし暇だったら、○○を片付けてくれるとありがたいんだけど」

 

など、相手の意思に任せるような声かけを心がけている。妻に対する声かけと子供たちに対する声かけが同じというとわかりやすいか。

 

で、このように意思決定をすべて子供たちに任せる声かけを突き詰めていくと、注意をすることがほとんどなくなる。叱ることもなくなる。

 

……んだけど、やっぱり叱らなきゃならない場面もあったりする。そんな時、私の抱える問題点が出てくる。

息子を受け入れられないと先に進めない

怒ると叱るは意味が違う、とよく言われる。怒るは感情的になること、叱るは感情的にならずに冷静に相手に改善点を伝えること。

 

当然、親が目指すべきは叱るである。自分の命を危険に晒した時、他者の命を危険に晒した時。親は叱る必要がある、と考える。

 

だが、叱らなきゃいけない場面で、怒りが出てきてしまうのだ。

 

危ないって何度も何度も言ってるのに、なんでお前は言うことをきかないんだ!?本当にイライラするんだが!!死なないとわからないのか?

 

とか。

 

あのさぁ、これやっちゃだめだって考えなくてもわかるだろ!馬鹿にしてんのか!

 

こんな怒り。ただ冷静に叱ればいい場面で、怒りが顔を出す。怒りが顔を出すと終わりである、子供たちが次に繋げられるような話し合いにはならない。

 

怒ってもいいから注意しろと言われるかもしれないが、怒りながらの注意・叱責には割と強い副作用がある。

 

相手を頭ごなしに否定して、言動・行動を叩き潰し、嫌味をぶつけ、失望をぶつけ、お前が悪いと断罪する。

 

もしかしたら子供たちはわからなかっただけかもしれない。夢中になりすぎて衝動的にやってしまっただけかもしれない。わかっていたけど魔が刺しただけかもしれない。

 

子供には子供なりの理由が存在する。それを怒りで叩き潰してしまったら、素直に言うことを聞いて改善しようと思えないのではないか。

 

実際、私と違って妻はこれまでよく子供たち、特に息子に怒ってきた。怒りをあらわにしながら注意するし、怒鳴ったりもする。

 

客観的に見れば明らかに息子が悪い案件であっても、怒鳴られた息子は「納得できない」という表情をする。時には徹底して反抗することもある。

 

6歳児の無謀な反論は荒唐無稽で意味不明なことも多いが、不満をもった息子が納得することはない。その不満は溜まりに溜まって最近爆発し、出した結論は「悪いのはママ」である。

 

私見としては、子供たちを叱る・注意する・改善点を伝える前に、子供たちを受け入れ、怒りを克服する必要があるのではないか。子供たちの言動・行動をまず受け入れなければ、子供たちをより良い方向へ導くこともできないのではないか。

 

何が言いたいかって言うか、まずは子供たちへの尊敬ありきだよなー、ということである。よっぽど命知らずな行動をとるなら怒鳴り散らすのもありかな。

じゃあお前は尊敬しているのか問題

偉そうに書いてきたが、じゃあお前は子供たちを尊敬して声かけできるのかよ!認めているのかよ!と言われれば、決してそんなことはない。

 

はっきり言うと、私は発展途上のクソ親父である。まだまだ改善点が多く残っていて、現時点では毒親と罵られても反論できない。

 

上で書いた通り息子に、

 

「もし暇だったら、○○片付けをお願いできる?」

 

と伝えてみたとしよう。でも息子の返事が以下のような冷たいものだったらどうだろうか?

 

「いやだ」

 

これだよこれ。ここで、怒りが跳ね上がるわけだ。

 

何がイヤだだよクソ野郎が、無視してやる!!!

 

って思ってしまうわけだ。尊敬とは程遠い反応で、怒りのスイッチが入ってしまう。もし私がこんな息子まで受け入れられるなら、笑顔でこう言うよ。

 

「あぁ、今は嫌なんだね、邪魔して悪かった。ただ次は”いやだ”じゃなくて、”今は〜だから、できないよ”と理由もつけて優しく言ってくれると、お互い気持ちがいいと思うよ」

 

この対応、自分で書いててなんですけどめちゃくちゃ神がかってないですか?理想に近い。

 

お互いが気持ちよく過ごせるようなコミュニケーションの基本を伝えて、どうするかは息子に選ばせる。決して強制することはなく、冷静に改善点を伝える。

 

そんな対応をするためには、息子をまず受け入れる必要があるのだ。受け入れられない私では、むかついた息子に復讐すべく軽い無視をするのが関の山なのである。

 

さらに加えると、息子を受け入れられない弊害として、注意する必要もないことにイライラすることも多くある。

 

今はもう慣れたが、ある時から息子が自らのことを『オレ』と呼ぶようになった時。

 

息子のくせにオレとかクソ生意気だな!!

 

イライラして仕方がないが、どこからどう見ても好きにしたらいい案件だ。ただ変わった息子を受け入れられないおじさんがそこにいるだけ。私の問題だ。

 

叱るべき案件も確かにある。でも叱る必要のない案件なのに受け入れられずにイライラすると、叱るべき案件にも影響が出る。感情と理性がごちゃごちゃになって、何が叱るべき案件なのかもわからなくなる。

 

命を危機に晒したことを叱る前に、親の言うことをきかなかった怒りに負けてしまう。

 

何と言うか、子供たちが次につなげられるようなヒントを与えることすらできないのが、今の私なのです。悲しい現実ですね。

発展途上のとんぼ

そんなまだまだ改善点が目白押しの父の頭の中を書いてみた。

 

一応、息子に対するイライラはかなり、いや、激減してきている。少しずつ受け入れられるようになってきて、冷静に私見を伝えられることも増えてきた。

 

朝っぱらからめちゃくちゃ話しかけてくる息子が邪魔くさいなと思っても、以前は「はぁ。そうだね、うん、あぁ」と生返事で気分が悪いことを示し、その後に筆記開示でストレス対策をとっていた。口を開けば嫌味しか出てこないからだ。

 

でも最近は「君は朝から元気だね。パパは朝はやることがあって集中してるから、車の中で話ししよう」といった対応ができることも。

 

あとはやはり、親の言動か。息子におすすめできない言葉を親が使っていたら、正直かなり分が悪い。パパとママが普通に使っている言葉をおすすめできない意味がわからない。

 

家族と気持ちよく過ごしたいなら使わないほうがいい言葉を、親が子供たちに使う理由とはなんぞや?こんなん論理的に説明できるわけもなし。

 

改善点を伝えることも時には叱ることも重要だし、普段の親の言動・行動も同じように重要である。

 

そんなわけなので、息子を受け入れる方向で、尊敬を示すように努力してきたのはそう悪くはなかったのではないか。その延長線上に、息子に考えるヒントを与えられる私がいるのではないか。

 

と、思ったわけですが、いかがでございましょ。

 

ここまで読んでいただき感謝。

↓のウサギをポチすると、さらにとんぼが喜びます。

にほんブログ村 子育てブログへ