ステップファザーにできること

発達障害の娘とやんちゃ息子の父によるステップファミリーの話

友達と遊びに行った息子の名前を呼び続ける娘に哀愁を感じる話

メンタルが回復傾向のとんぼである、ごきげんよう。

 

年末に差し掛かるので、そろそろ回復しないとやばい。ギリギリ間に合いそう。クリスマスはやることが多いので、今のままじゃきついぞ。

 

子供たちは相変わらずであるが、娘がねぇ。なんとなくかわいそうになってしまう出来事があった。かわいそうというのも、違うんだろうけどさ。

遊びに行く息子と残る娘

日曜日は家族で買い物に行ってから公園に行き、昼食は妻の実家でお世話になる最近の定番コース。

 

昼食直後に、息子が遊ぼう遊ぼうとすり寄ってきた。腹もパンパンなのに6歳児と遊びたくない。少し休憩させてくれ。

 

のらりくらりとかわしていたら、息子は近くに住むクラスメイトに声をかけにいくことにしたようだ。

 

先週は事前に約束をしていたお友達。

www.rabbitonbo.com

 

今回は約束をしていない。突然、アポ無しでおうちまで呼びに行くという。このアグレッシブさが小学生だ。

 

少し躊躇してる感はありつつも、無事に呼び出しに成功した様子。公園に友人を連れてきて、息子はサッカーしたり走り回ったりと楽しんだようだ。

 

私も妻も義母も、息子が友達と遊んでくれることにホッとしている。家の中では、大人以外の遊び相手がいないからだ。

 

娘が障がい児だから……というと語弊があるかもしれないが、同じ空間で過ごすのはそれはそれは厳しい時がある。

 

息子が何かを書こうと鉛筆や紙取り出したら、娘は奪いに行く。息子がコマを回そうとしたら、目障りなのか回ってるコマを奪いにいく。

 

息子の宿題には落書きをし、息子のお気に入りの塗り絵にも落書きをする。息子が「やめて」と言えば鉛筆もノートも投げられてしまう。

 

息子が遊べるものないかなーとタンスを開けただけで、娘が全力で突っ込んでくる。娘の気分が乗らない時は、タンスのドアを開けることすら許されない。

 

一般的な兄弟だって喧嘩しながら遊ぶもの。でもそれとはちょっとジャンルが違う。

 

娘と遊ぶのは、介護に近い。その時々で違う娘の興味が長続きするもの、怒らないもの、楽しんでくれるものを探し、受け入れてくれる声かけを心掛けないといけない。

 

それができないと、叩かれ物を投げられドアに挟まれる大怪我コースである。

 

熱しやすく冷めやすく怒りの沸点が低い娘と一緒に遊ぶのは難しい。私でも、自信を持って娘と長時間楽しく過ごせるのは散歩くらい。

 

この通り、親の全力サポートがない限り姉弟で遊ぶのが難しいのもあって、やっぱり息子が年齢の近い子たちと遊んでくれるのは嬉しいよ。

 

ほっとひと息つきながら、コーヒーを飲んでいたところ。娘の様子がどこかおかしかった。

何か思うところがある娘

息子が遊びに行ってしばらくしてから、そのことに気づいた娘。

 

玄関まで走っていき、息子の名前を呼ぶ。少し玄関先に顔を出して、息子の名前を呼ぶ。

 

それからリビングの窓から見える、公園で遊んでいる息子たちを見つけたようだ。大声で

 

「○○ー!!おいで!!」

 

と呼んでいた。聞こえないのに。

 

その後も10分くらい。テレビを見たり絵本を見ながら、時折公園が見える窓まで走っていって、息子の名前を呼んでいた。

 

娘がどう思っているのか知らないが……その姿を見て、なんかもうかわいそうになってしまった。

 

障がいを持つ娘にかわいそうと感じるのは何か違うのかもしれない。が、それでも私はこうすごく、もやもやして、娘を抱きしめたくなった。

 

一緒に遊ばせてやりたい。でもレベルが違いすぎる。我々親も一緒に参加して、娘も一緒に参加させるのもありか?

 

ただ、息子が作り上げた世界にまで娘を連れてったら、息子はいつどこで発散するんだという話にもなる。

 

自宅でも叩かれながら我慢して、友達と遊ぶ時も我慢するのか?息子の逃げ道も必要じゃなかろうか。

 

娘に哀愁を感じつつも、何が正解かわからず。かわいそうな気持ちもあり。代替案として「散歩にでもいこうぜ」と声をかけたら、

 

「いかないのー」

 

と断られてしまった。

 

寒くて外に出たくないようだ。ならいいんだよ。

世界が狭まる感覚

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娘に感じた哀愁は、きっと娘の世界が狭くなる、狭めている、箱に閉じ込めていると無意識に感じ取ったのが原因じゃなかろうか。

 

6歳の息子は、そりゃ制限もあるけれど、自分で友達を作って遊ぶ約束をして、親抜きで子供たちだけで遊んでいる。

 

その間の娘は、室内で絵本を見たり、テレビを見たり、親とずっと過ごしている。自由に遊びに行くなんてもってのほかだ。

 

なんだろうなぁ。特別支援学校に娘を入学させるか悩んだ時にも、娘の世界(将来)が狭まる感覚を味わった記憶がある。

 

今思えば、決してそんなことはなく。むしろ、娘の世界を広げるために特別支援学校に入ったのだ。

 

息子という比較対象がいるから勘違いしがちだが、娘は息子ではない。同じではないのだ。それぞれ成長速度は違うから、焦る必要もない。

 

娘中心に世界が回るわけじゃなし、かといって制限しまくるのも違うし。

 

ほどよい難易度で成長できるような環境を、娘に作ってやりたい。書くの簡単だけど、むっずいなぁこれ。

 

ここまで読んでいただき感謝。

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