今日も娘と取っ組み合いのとんぼである、ごきげんよう。
怒り狂った娘の安全確保するのは、めちゃくちゃ骨が折れる。
うむ、骨が折れるってのは比喩表現なんだが、この取っ組み合いでリアルに娘か私の骨が折れるんじゃないか。
強く掴みすぎるとアザもできそうで、全力を出しながらも気を遣う。
さて、そんなことをやっていると気づくことがある。
何気ない行動が及ぼす悪影響とは
娘と暮らしていると、当たり前だが娘のパターンというのが読めてくる。
だから娘が一言も発さなくても、何が言いたいのか、何がやりたいのかわかってしまうことがある。
家族だし親なので、あらゆるコミュニケーションをすっ飛ばして接することに何の疑問も抱いていなかったのだが、最近、一つ気になったことがある。
スマホのやりとりだ。
ブログをやっていることもあり、どこかに出かけるとスマホを取り出して写真をとることが多い。できるだけ子供たちにばれないように撮る。
特に娘に写真を撮っているのがバレたら、自分でも撮りたがる。
インカメで鏡のようにして、自分の顔をドアップで何十枚も写真を撮るのが好きらしい。
カメラだけなら数分で飽きるし、壊されるわけでもないから、拒否する理由もない。
写真をとる
→娘が走ってくる
→無言でスマホを奪われる
→黙って返してくれるの待つ
これで今までやっていたわけだ。
でもこれって、間違ったメッセージ送っているんじゃないかと思うわけです。
親以外には通用しない
もし同じ行動を息子がとったら、注意はしないまでも、当たり前のように言うよね。
「え、今私がスマホ使っているんだけど。貸して欲しいとか、かしてちょうだいとか、何も言わずにぶんどるってちょっとおかしくないか?気分が悪いよ」
とか。
それなのに、娘がきたら黙って奪われてスルー。うーん。
そもそも、何でスルーしてんだろう。あぁ、そうだ。面倒だからだ。
ちょっとでも拒否したり、上の息子にするような対応をしたら100%叩かれるのが経験上わかっているからだ。
娘とのいざこざを避けるために、いつからか一旦止めたり、注意したり、事前に伝えることをやめてしまったのだ。
世界に私と娘の二人だけだったら仲良くやっていけるんだろうけど。突然手にしたものを無言でぶんどられて、許してくれる人なんてそういない。
例えば、息子が何かおもちゃを手にすると、遊びたいのか娘が奪いにいくことがある。何も言わない。無言で近づき、奪いとる。
息子が宿題やってても無言で奪い取るとか、鉛筆削りを奪い取るとか。このパターンで娘と息子がギャンギャン喧嘩するのが目立つ。
こうなってしまったのは、私のこれまでの対応が悪影響を及ぼしているのは確実だ。欲しいものは無理矢理奪い取ってもOKだと、学習させてしまっていた。
ならどうすべきか。
叩かれて攻撃されるのがわかっていても、しっかりと言葉で思いを伝えるようにと教えていく。たったそれだけの話。
ふいー、大変だ。
不満がたまらないように
そんな気づきの話。
普通に日常生活を送っていて、攻撃されるのが前提で接するのはパワーをつかう。家族とのコミュニケーションというよりは、療育の域。仕事みたいな感じ。
ただ、学校でもデイでも頑張って家でもガチガチにやってたら、娘の精神状態に悪影響を及ぼしそう。
急に対応をがらっと変えて、娘も戸惑ってもいるはずだ。
なので、何もなければこれまで以上に優しい声掛けをして、褒めるところは盛大に褒められるように目をむけていきたい。
ん、これも療育チックだな。まぁいいか。
ふいー、では寝る。おやすみなさい。
ここまで読んでいただき感謝。
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