ステップファザーにできること

発達障害の娘とやんちゃ息子の父によるステップファミリーの話

子供たちのネガティブな行動と好意はわけて考えようの会

ちょっと忙しくなると何もかもが嫌になるとんぼである、ごきげんよう。

 

未だメンタルの弱さに足を引っ張られていて参っている。子供たちの相手をするのは、多少マシになりつつあるが。

 

さて、最近何となく意識してることを記していく。

ネガティブな行動と好意を直結させるな

私の幼少期から最優先にしてる価値観に「誰にも嫌われたくない」がある。とにかく嫌われたくない。世界中の人に嫌われたくない。

 

これまでは下手くそな八方美人として生きてきたつもりだが、齢30にしてできた子供たち二人は、私にとって最大の壁となる。

 

嫌だったら嫌な顔するし、否定するし、娘にいたっては手を出して攻撃してくる。昨日なんか水筒が入った手提げバッグで殴られた。痛いんだよ。むかつくし。

 

嫌われたくない私にとっては、これらのネガティブな行動が超絶大ダメージになる。

 

嫌われている。愛されていない。愛を示してくれない。

 

色々言い方はあるけれど、私自身が否定されたと感じてしまう。傷ついて落ち込んだり、怒りを蓄積したりと苦しんでいる。

 

ブログでも何度か書いてきたように、子供たちが愛情を示してくれなかったとしても愛情を示していきたい。

 

愛されなくとも、こちらから愛していくのが親の務めだろうさ。

 

長いことそう思っていたんだけども……

 

最近、ストレスを自己分析してて感じるのは、嫌われてもないのに勘違いしてることが多いってことだ。

あらゆる可能性を考慮しろ

いつか読んだ自分の心を手当する方法の本で、好きな人からフラれた時の考え方があった。

 

フラれた人は、自分という存在そのものが否定されたと感じ酷く傷ついてしまうもの。

 

しかし実際は、自分と無関係な要素でフラれることも多い。

 

そもそも相手の好みにあわなかった。

ライフスタイルがあわなかった。

性格があわなかった。

個人や家族が何か問題を抱えていた。

タイミングが合わなかった。

 

自分に何か決定的な欠点があって嫌われたのではない。たまたま相手の条件に一致しなかっただけ。こちらにはどうしようもない理由があった可能性がある。

 

もしかしたら反省すべき点はあるかもしれないが、自分という存在が否定されたわけではない、と。

 

心から人に嫌われることなんて、ほとんどないのだから。

 

……などなど、そんな話だったような。

 

これは子供との対話に似ている。

 

おはようと挨拶したのに無視されても、それはタイミングが悪かった。寝起きで声を出したくない状態だったのかも。もしかしたら小さく返事してたかも。

 

 

娘に水筒入りバッグで殴られたのも、娘が良かれと思ってやったことを注意されたからだ。それで衝動的に手が出てしまった。

 

子供たちに冷たい態度をとられたからといって、即座に自分を否定されたと判断するのは時期尚早だろう。

 

いやそりゃね、相手に恨みつらみが膨れ上がることもあるだろうけど、それで関係が終わらないのが家族だ。

 

そんな簡単に切れるもんでもないってこったね。家族はね。

嫌われる勇気は必要だ

そうは言っても、本当に嫌われることもある。子供相手に限らず、世の中には悪意が渦巻いている。人を傷つけ、不幸を喜ぶ人がいるのも確かだ。

 

子供たちのちょっとした行動・言動で大きく傷ついてたら、社会の荒波では生きてけないわけよ。

 

だから例え本当に嫌われていたとしても、それを受け入れる勇気が必要だ。

 

……うん、まぁ、物事には順序がある。

 

子供たちに必要なことを言えるように、ダメなものはダメだと言えるようなメンタルを築きあげつつ、少しずつステップアップしていこう。

 

世界中から嫌われないとか無理だしさ。ただ生きてるだけで、嫌われることもあるしさ。どうしようもないことに拘っても仕方がない。

 

自分の価値観を頭に刻みつけるのも重要さね。幸せを感じられるのは、まだまだ遠そうだ。

 

ここまで読んでいただき感謝。

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