ステップファザーにできること

発達障害の娘とやんちゃ息子の父によるステップファミリーの話

子供の問題に介入しないこと、自分の問題に介入させないこと

人間関係を考えるとんぼである、ごきげんよう。

 

オーディオブックを聞く気力がなかったここ1年。久々に『嫌われる勇気』を聞いたらまぁ面白くて。今だからわかる部分も多くあった。

 

その中で、忘れてたことを一つ記していく。

課題の分離

過去のブログで何度も出てくる課題の分離。

 

簡単に説明すると、子供が勉強しなかった場合、最終的に困るのは誰だろうと考える。

 

将来恥をかくかもしれないし、希望の学校に行けず、希望の職につけないかも。

 

いやいやそれはいかん!勉強させよう!!と親が必死になるのは、課題の分離ができていない典型。

 

恥をかくのも希望の職につけないのも、すべて責任をとるのは子供自身。

 

放置はしない、望めばサポートもする。近いところで見守りつつも、無理矢理首根っこつかんで勉強させるようなことはしない。

 

これが課題の分離の考え方で、私は相変わらずこれができていない。一緒に過ごす時間が長くなればなるほどに、難しくなってきた。

 

乳幼児ならまだしも、小学生にまでなったらさすがに無理矢理何かをさせるのは違うというか、逆効果になってる気もしてる。

 

宿題やりたくないなら無理矢理させることもない。歯磨きも適当にしかやりたくないのなら、それでもいい。歯がガタガタで困るのは子供達だ。(親も治療費は出すが)

 

こうした方より良い未来が得られるという考えは伝え、前向きに頑張れるような声かけをし、必要ならサポートもする。

 

子供がどんな人生を選んだとしても信じて受け入れる姿勢を崩さず、見守っていく。

 

一つずつ受け入れられるように、現在進行形で調整中。

 

で、もう一つ。私のイライラが爆発する原因を思い出した。

自分の問題にも介入させない

生活において、これまでも一応は課題の分離を意識してきた。

 

でもそうだった。課題の分離って、相手の問題に介入しないことだけじゃない。

 

相手の問題には介入しないし、自分の問題に介入させないことも重要なのだ。

 

忘れてた。超忘れてた。介入されまくりだった。

 

娘が何も言わずに皿をぐいぐいと押し付けてきて、食べさせろと無言の圧力をかけてきたときにムカつく時がある。

 

(元気なら)声を出してお願いするコミュニケーションは最低限必要だろう。それもせずに、ぐいぐい押し付けて、しまいにゃ叩いてくる。

 

息子も明らかに不満げな声を出した時にうううううとなりムカついたりする。

 

このように明らかに不満そうな声を出す息子も、実際に攻撃してくる娘も、安直なコミュニケーションで親を操作しようとしている。

 

不満そうな声を出せば要望が通るかも。叩けば要望が通るかも、と。他者の行動を変えさせる力は確かにある。

 

が、娘の暴力によって私の行動を変える必要はない。不満を感じながらも嫌々介助しなくてもいい。

 

息子の不満げな発言にムカついて「じゃあやるよクソが!」とならなくてもいい。やりたくないなら、やらなくていいのだ。

 

何が言いたいかっていうと、子供たちが無意識に使ってくるネガティブなコミュニケーションにわざわざ従う必要はないってことだ。

 

私が責任を取る問題に絶対に介入させない。

 

この意識が重要ですね。イライラが面白いくらいに消える。

眠れ眠れ

寝れば寝るほどに、意識がはっきりしてくる。忘れてた大事なものが見えてくる。

 

今は子供の問題に介入しまくりで、自分の問題にも介入させまくり。

 

思い通りに動かない子供達にイライラし、何でこいつらの言う通りにせにゃならんのだとモヤモヤしながらも子供たちの思い通りに動く。

 

これではやってられん。子供たちと過ごすすべてがストレスになる。

 

アドラー心理学を指針に子育てをやっていたはずなのに。我を忘れていたという言葉がぴったりだ。

 

とにかく、今後は子供の問題には首を突っ込まないこと。信頼し、いつでもサポートする姿勢を見せること。

 

そして自分の問題には介入させないことも合わせて意識していこう。

 

何で私が攻撃的なコミュニケーションに屈しなければならんのだ。ふざけんな。2度と私に指図すんな。

 

いや、指図するのは相手の自由で、それに従うかどうかが私の自由という話だった。「指図すんな」は介入だな。

 

早く寝よ。

 

ここまで読んでいただき感謝。

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