完璧主義者とんぼである、ごきげんよう。
連日生きづらさを克服するために自分との対話を2時間行っている。計12時間も対話してると考えたら、ちょっとしたセミナーに参加したような充実感がある。
そして昨日、まぁ大したことないだろと思っていた完璧主義に切り込んでみたわけだが……ひどかった。
他者へ厳しいとんぼ
先日友人から面白い話を聞いた。
頑張れる人と頑張れない人は、遺伝子レベルで決まっている……という説。頑張れない人は、遺伝子レベルで頑張れないのだからある意味仕方がない。
そして頑張れる人は、頑張れない人を差別するんだと。
うーん……わかる。
遺伝子で決まっていることを言い訳にしたら何もできないとは思いつつも、頑張る人が頑張らない人を差別するってのはよくわかる。私がまさにそうだから。
私は頑張りたい。目標に向かって頑張りたい。今よりも前に進むために努力すべきだし、失敗したら戦略を練り直すべきだし、現状がおかしいなら対策するべきだと思ってる。
だから、のほほーんと現状を受け入れ、努力をせずに日々を過ごしてる人を見るとモヤモヤする。
もっと頑張ったらいいのに。あれやったらいいのに。これやったらいいのに。なんでこれしないんだろ。もっといい方法があるよ。なんでなんで??
差別というと言葉が強いけれど、
もっと頑張るべきだろ!!
休みは必要だし娯楽も必要だけど、それは頑張るためにやってるんだろ!!
そう思ってる。
だから、例えば実家の家族には結構当たりがきつい。掃除してる?とか、運動してる?とか、メンタルにいいのにあれやってないの?とか。
以前と比べたら寛容さは増しているので、あまりトゲのある言い方はしない。それでも私からチェックされている感覚があるのだろう。
しばらく会ってない次女が、母に言っていたという。
「最近太ってしまって、弟(とんぼ)に会ったら怒られそう」
なんで私が怒るんだ。怒らないよ。そりゃ戦略考えてダイエットした方がいいとは思うけど。
母も電話するたびに、まだ掃除してないことを伝えてくる。何も言っていないのに。
別にいいのに。そりゃ徹底的に掃除した方がいいとは思うけど。
……
このような状況から考えると、私は自分の理想を他人に押し付けているのではないか。そのような疑念が出てくる。
うーむ。わからんもんだ。
理想を押し付けるとんぼ
以前に完璧主義で苦しんだことがあった。
やりたいことができなかった。完璧にできなかった。この苦しみが強すぎて涙を流した記憶。
おかげさまで、完璧主義が身を滅ぼすと気づけた。それからは80%程度で満足するようになったし、失敗してもかなり自分に寛容になった。
今笑顔で活動できているのは、完璧主義が緩和されたからに他ならない。
でね。
80%程度でいいや。完璧じゃなくてもいいや。
この考えは、当然私だけじゃなくて他者にも当てはめている。完璧は求めてないし、休みたいこともあるだろうし、疲れていることもあるだろう。
だから、できない時も受け入れよう。今は休みたい時期なんだね。疲れているんだね。そういう時も必要だよね。
この考えができるようになってから、実家の家族にも優しくなった。
でもさ、この考えも危うさを持っていると思いませんか?
この人は"一時的"に休んでいるだけであって、元気になったら目標に向かって頑張るべき、ってことだから。
私には生きる意味があり、そのために日々一生懸命生きることが重要だ。死ぬ時に後悔しないために、誇れる自分であるために頑張っている。
頑張り続けるために完璧主義もやめたし、頑張り続けるために自分に優しくしてる。
そう。私は頑張りたい人で、それが私の幸せへの道なのである。
……だからあなたも頑張るべき。
昨日まで気づかなかったけれども、この思考がある。頑張ることこそ、成長することこそが誰にとっても幸せな人生なのだと本気で思っている。
80%でOKってのも、頑張った上で80%ならいいんじゃない?という意味だった。頑張ることが前提だった。頑張る気がない人を受け入れる気は0%だった。
だから息子のゲームもYouTubeも、一時的なストレス解消であってそれ以外の時間は頑張れよとしか思わない。
他にもある。
YouTubeよりも家族を大事にするべきだろ!とか。友達よりも家族を優先すべきだろ!とか。お金よりも家族を大事にするべきだろ!とか。
怒りのかなりの大部分を占めてそうな気配がする。それだけじゃないんだろうけど。
私の幸せとあなたの幸せ
私に言いたい。お前は変人なんだよと。自分は嫌いじゃないし誇らしくすら思っているが、凸凹人生を歩んできたからこそ今の私の価値観があるんだよと。
ひきこもってクソみたいな時を経たからこそ、こんな人生は面白くない!!もっと心の底から笑える人生を過ごしたい!!そのためには決死の努力が必要だ!と思ったわけだし。
父ががんになって自分は何も返せなかったと後悔したし、猫が亡くなって何もできなかった自分を恥じた。だからこそ、家族を大事にしよう!って心から思ったわけだし。
これは長年かけて作ってきた価値観であって、絶対の価値観ではない。正解でもない。
価値観が似てるから結婚した妻はおいといて、子供たちが同じような価値観を持つ必要もない。押し付けることもできない。
人から教わることよりも、自分で経験して考えて手に入れたことにこそ意義を見出せることも多い。
子供たちはこれからたくさんの友人を作ったり、ゲームしたり、恋人ができたり。様々な経験を経て、その時々で何かを学んで自分を作っていく。
とにかく頑張ることで幸せに繋がる人になるかもしれないし、頑張らないことに幸せを感じるかもしれないし、そもそも頑張れないってこともあるかもしれん。
人はそれぞれ、その時々で自分の人生を選びとっていくのである。
なら、何も目標がなかったとしても、家族が一番!じゃなかったとしても、まぁいっか。考えれば考えるほどに、健康で生きてりゃOKって考えにいきついてしまう。
……私の幸せとあなたの幸せは、まったく別の道を辿るのでしょう。それが自然なんだろうさ。
これからは私自身も、生きてるだけで価値があるってことにしたい。寝たきりになった時にメンタル病みそうだから、今のうちに切り替えたいね。
そんな自らの完璧主義と向き合って気づいた話。
ここまで読んでいただき感謝。
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