最近本ばっかり読んでるとんぼである、ごきげんよう。
本を読めば読むほどに、自分の無知っぷりに気付かされる。無知の知なんて知ってるよって姿勢がすでにやばい。
さて、今回は娘への教育の話。
軽度の知的障がいの少年
先日『ケーキの切れない非行少年たち』という書籍を読んだ。少年院に入る若者たちのなかには、軽度の知的障がいの少年も多いという。
認知機能(見る・聞くなど)に問題がある少年も多くいて、ケーキが三等分できない少年が多いという衝撃を伝える本。
そしてそういった少年たちは、未来を見通すことができないという。
お金を稼ぐにはどうしたらいいか考えてもらうと、"働いて稼ぐ"と同列に銀行強盗やら人を殺して奪うといったものが出てくると。
つまりは、殺人等の非人道的行為を犯したあとに、どのような未来が待っているのかわかっていない。反省することもそもそも能力的にできない。
だから罪はないという話ではなくて……私の娘は発達障がい+知的障がいと診断されている。基本的な会話が難しいから、重度なのはほぼ間違いない。
そうなると、思うわけだ。
軽度の知的な遅れでそれなら、うちの娘にも数手先の未来を読んだり反省する能力はないと考えるのが自然ではないか。
娘には話が通じてると思ったし、反省してると思ったし、人を叩いたあとの未来もなんとなくわかっていると思っていた。
実際のところどうかわからんが、娘の現状をしっかり認識できていない可能性が高いなーと衝撃を受けて。
通じてることもあるにはあるんだろうが、もしかしたらわかってないことの方が多いのかもしれない。
とんぼの声かけ、わかりにくい
何が言いたいかっていうと、私の声かけが超絶わかりづらいってこと。
だいぶ前に書いた記事を紹介しようか。
今もあまりベースは変わらない。アドラー心理学ほど私にマッチした考え方はないなーと思っているので、今も子供たちのことは褒めないし叱らないようにしてる。
この考え方が悪いとは思ってないんだけど、まだ成長途中の子供たちにはわかりにくいところがあるわけさね。
道路に飛び出した3歳児に、優しい顔で危険を説いても理解が難しい。今回理解できなかったことで次は死んでしまうかもしれない。
まずは命を守ることが先決なのだから、大声で注意して、これは危ないんだ!!怒られるんだ!!って知ってもらわないといけない。
何より、褒めない叱らないってのは、教えないってことではない。
嬉しい気持ちや感謝の気持ちは口で伝えなきゃいけないし、よくないと感じたこともちゃんと口で伝えないと伝わらない。
今はだいぶバランス取れてきたが、これでも娘にはわかりづらい可能性がある。
娘が行動を起こしたその直後、間をあけることなく、褒めるや叱るといったフィードバックを与えないといけないのではないか。
家族のための行動や自立的な行動をした場合には、直後に大袈裟に褒める。ちょっとでも叩いてきたら即座に大袈裟に注意する。
いつかコメントで「発達障害児の教育は、犬のしつけから学ぶことが多い」と頂いたことがある。
犬のしつけと子供の教育を紐づけることに小さな引っかかりはあったけれども、今まさに理解した。
つまりは、犬でもわかるくらいのめちゃくちゃわかりやすいフィードバックを与えろってことなんでしょう。
後から注意したり、注意する時としない時があると伝わらない。それがいいのか悪いのかわからないのだ。
うーむ、ありがとうは通じてると思うんだけどなー。
娘が生きやすいように
どんな方法であれ、娘の自立を目指してることを忘れなけば変なことにはならんだろう。
子供をコントロールするのは思想に合わないが、身辺の自立と他者への攻撃性に関してはコントロールしてでもどうにかせんといかん。
あとは好きにやって良いから、本当にこの二つだけは何とかしたい。
というわけで、些細なことだからとスルーするのが一番良くなさそうなので、今後大袈裟にやっていきたい。
そういや、発達障がいの育児本は読んだことあるけど、知的障がいの育児本は読んだことなかった。
最初に発達障がいだと診断された先入観が悪影響を及ぼしているな。色々発見がありそうなんで、読んでいこう。
ここまで読んでいただき感謝。
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