年末的な記事を書きたいとんぼである、ごきげんよう。
気づいたら、3日後には2022年になってしまう。ブロガーなのに年末らしい記事一個も書いてない!正直めんどくさい!
仕方ない。大晦日にだけ今年を振り返ることにして、今日は平常運転で心の闇を書いていく。
子供に制限かけられますか?
子供と話し合って決めたルールがあるなら、親が率先して守る姿勢が必要である。
わかりやすいのが、テレビ(ゲーム&YouTube含む)の時間だ。
ルールを守る……の前に、そもそも子供にテレビのルールを設けられるかどうかが最初の壁かもしれん。
ゲームもYouTubeもアニメも何もかも、全部が子供たちは大好きだ。暇があったらずっとテレビで遊んでたい子供たちに、制限を設けるってのは非常に心苦しい。
我が家は既に制限をかけているが、制限をかけていること自体が心苦しい。
大好きなものを制限してる。これがもう、かなりつらい。
先日、母親にもこういった話をしたのだが、私と同じようなことを言っていた。
「子供にゲームやめてって言えないよ。勝手にさせるしかない。あんたたちにも自由にゲームさせてたよ」
確かに、小中学生の頃、兄や姉のドラクエを見ながら寝るのが好きだった記憶。
その慣習は今でも続いているようで、母の隣で姪っ子が無制限にスマホを見てる構図が出来上がっている。
今でも母は制限を作れないというし、姪っ子のママも制限する気ない。暇な姪っ子の相手をする元気がないこともあり、完全放置状態。
家庭環境によっては制限が絶対正解とはならないはずだが、生活に支障が出てくるなら考えねばならない。
スマホがないならないで、何かしらで遊ぶかもしれん。姪っ子は友達と遊びに行ったことがないというが、スマホがなけりゃ外出するかもしれん。
でもそれができない。心が痛くて。
そんな心の闇を、私も母親から受け継いでいるわけだ。
子供に注意できますか?
それでもやっぱり、制限は必要だと我が家は判断した。
デジタル画面をじっと見てるより自然と触れ合った方がいいし、友達と遊んだ方がいいし、夜に寝る方が大事だし、ストレス解消としては1日30分で十分だろと。
今後成長に伴って時間は多少増えるとしても、子供たちとも話し合った上での制限。制限始めてから4年以上は経過してる。
今では制限自体に文句を言われることもなく、当たり前のルールになっている。
でもやっぱり今でも心苦しいのよ。
息子がYouTube見てて、30分経ったから終わるように声をかける。この声かけがとても心の負担になる。ルールとはいえ、終わらせるのは心苦しい。
そもそも制限かけてること自体が心苦しいのだから、30分で終わるように声かけするのはめちゃくちゃ心苦しい。
ゲームだと30分きっかりで終わるのは難しかったりして、何度か声をかけないと終わってくれないとか。そういうのもしんどい。
もっとやりたいんだろうなぁ。楽しい時間を奪って申し訳ないなぁ。かわいそうだなぁ。
でもルールはルールだ。ちゃんと事前に話し合って決めたのだから、その場の雰囲気に流されて親が折れるのは良くない!!
この葛藤が息苦しさに繋がっている。
先日書いたクリスマスプレゼントの話も同じだね。
子供が今やりたいこと、欲しいものなどを無条件に優先させなければ、苦しくて仕方がない。
相手の感情を必要以上に受け止め、相手よりも苦しみ、何とかしてあげなきゃ!!と必死になってしまう。
考えに考え抜いた自分の意見、大事にしてる価値観や信念など、とても大事なものがあるはずなのに、それよりも相手の気持ちを優先してしまう、心の闇。
それこそが、自己犠牲スキーマなのです。
自己犠牲の悪いところ
自己犠牲を悪いように書いちゃったけど、親なんてまさに自己犠牲の塊じゃないか。
子供のために自分の時間を使う。そして、自分のために当たり前のように動いてくれる親だからこそ、子供は安心して、愛されていると感じたりする。
だから自己犠牲が完全悪ってわけじゃない。ただ、過剰だと問題だよね。
例えば、自己犠牲の念が悪影響を及ぼしている案件として、息子の暇な時間だ。
私はもう、息子が暇してる時間がとんでもなくつらい。本当につらい。
今でこそ友達と遊びに行くからだいぶ緩和されたが、テレビ時間を制限してるから家にいる息子にはやることがないのだ。
テレビテレビテレビ。本当にそれだけ。それ以外の選択肢がない。ぶーぶー文句をたれ、暇だ暇だと寝っ転がっている。
こういう時に、めちゃくちゃ自己犠牲の闇が顔を出す。
息子が暇でかわいそう!!この時間は私がなんとかしなければ!!!
楽しい時間にしなければならない強いプレッシャーに襲われる。様々な遊びを提案して、息子の気分を盛り上げ、接待のような時間を作ってしまう。
確かに息子は楽しい時間を過ごせる時もあるが……何というか、すごくこれ、自立を妨げている気がする。
暇でやることがない時に親が何もかもを提供するって、ちょっと歪んでる気がする。
何をして遊ぶのかのアイデア出しも、どういった時間を過ごすのかも、何ができて何ができないかも、何もかも親が決めてしまう。
テレビを制限してる罪悪感もあり、暇でかわいそうな時間をすごす息子を放置できないのだ。
なんかねぇ……息子が暇になったら私のところに暇だ暇だとアピールしにくるのは、このせいだと思う。
暇なら何かやりたいことないのかと聞いても、何一つ出てこない。暇の文句しか出てこず、結局こちらが何か提案して遊んでしまう。
この状態に、少し怖くなってね。
ゲームもテレビもなくて、雨が降ってて外にもいけなかったら、こいつはずっと暇だと文句言いながら寝てるのかなぁって。
親が提案しなければ、何にもやる気も興味もないのかなぁって。
多分、そんなことないんだよ。暇なら暇なりに、色々できることがあるわけさ。お小遣いだって貯めてるんだから選択肢なんて山ほどある。
きっと、私の自己犠牲っぷりが息子の自立を阻害してるんだろう。
罪悪感パワーで何でも解決しちゃうからなぁ。問題だよこれは。
自立を促してみよう
年末年始のお休みがあるので、おそらく息子が暇になる場面が出てくるはずだ。
その時は、私から動くのをやめてみよう。
どれだけ文句を言われても、どう過ごすかは息子次第。文句言いながら寝て過ごしてもいいし、楽しい時間を過ごせるように動いてもいいし、何か遊びを考えてもいい。
完全放置するわけじゃなくて、親と一緒に遊びたいと言うなら一緒に遊ぶ。何か買い物にいきたいなら連れて行く。でもそれが、息子主導ってだけ。
暇な息子の接待になると、私がお金を払っちゃう。だって私が提案してるから、私がお金出すしかない。お小遣いもってるのに、払わせるのが申し訳ない。
親が勝手に苦しんで、何もかも決めちゃうのは本当によくないなと。子供のためになると思っていたことが、子供の自立の邪魔になっていたんだなと。
今置かれた状況で、自分がやりたいことはなにか、できることは何か考えてくれたらいいなぁって思います。
何より自分で決めたものに価値を感じたりするからなぁ。親が無理やり与えたものでは、熱中できないのかも。難しいね。
ここまで読んでいただき感謝。
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