家族の前でだらだらしないとんぼである、ごきげんよう。
家族がいるなら、特に子供たちがいるとスマホを見続けることもないし、テレビも見ない。家族と話しながら何かをやっている。
妻がいる時も大っぴらに遊ぶことはないのだが……
気を張っている時間なら
家族がいる時間の私は忙しい。料理に片付けなど、見るからに忙しそうに動いている。朝と夜で、毎日合計3~4時間前後くらいは家のために動いてる。
あれ?なんでこんなに作業してるんだろう??ほんとかな、不思議だね。娘の風呂とか送迎も込みだから、こんなもんかね。
ずっと何かに追われているために、一人になった瞬間にひどい有様になる。寝っ転がって布団かぶってスマホ見る。自堕落な時間。
気を張って頑張っているのもあって、解放されたあとのストレスがやばい。もう何もする気がしない。疲れている。
連休が増えてくると疲弊してしまって、そこからの定期的な掃除が停滞期に入る。
疲れてやることもパンパンなのに、家族がいる時間は日課をこなすだけで精一杯。その日課だけで数時間かかるわけだから、そりゃ疲れもとれない。
はぁ……もう疲れたなぁ……一人にしてほしい……
と思っていたんだけど!!
こんな文句ばかり言ってても誰も助けてくれないわけさ。だからこの、家族がいる時間をプラスに考えてみたらいいのではないか??
要は家族がいるから、だらしない姿は見せられないという強制力が働いているってこと。職場と一緒だ。ピリッとした強制力がある。
家族だからピリッとしていない方がそりゃいいんだけど、掃除もしてない、食事も用意してないではピリっとせざるをえない。私のやるべきことが手付かずなのだから。
しんどくても疲れてても眠くても、弁当は作るし連絡帳は書くし、とにかく体を動かして片付けもして料理も作り、娘を風呂にいれ、キッチンを綺麗にして洗濯物を畳んでうさぎの世話をする。
この強制力はちょっとすごすぎないか。家族いなかったら、ぜっったいにやらんぞこれ。
家族の視線があるからこそここまで動けるわけだ。掃除してしなかったら妻が嫌な顔するし、弁当作ってなかったら子供たちが困る。やるしかないんだよ。
どんだけきつくても体が動く。何も悪いことばかりではなさそうだ。
家族がいる時に動こう
そこで、どうせ一人になるとだるーんとなるのであれば、家族がいる時の強制力をめいっぱい利用した方がいいと閃く。
やり残した作業がもしあるなら、家族がいる時にやるべきではないのか。
今朝は息子が学童ってんで、朝から弁当作って朝食だして、送迎。娘もデイに送ったあとは何もやる気がしなかったが、妻も休みなのがいい。
なんと妻はどこにも行かずにずっとテレビを見るというから、最高だ。リビングから動かないように紅茶を何度もおかわりさせ、昼飯だしておやつだして、休んでもらった。
せっかく妻という見張り(見てないけど)がいるわけだから、私も遊んではいられない。何かをしないといけない。
そのパワーを利用して、トイレを掃除して、風呂掃除して、窓を拭き網戸を拭き、お金の計算をして掃除のスケジュールを決めてブログまで書きだした。
いいよいいよ。悪くない。
やりたくないけどやらされてる感出してだらだら作業するよりもむしろ、家族がいる時に残った家事をすべて終わらせるくらいがいいよ。
そうすれば、一人になった時もなんのプレッシャーも減る。家事も雑用もすべて終わってれば、心も軽くなる。少しはやる気も出てくるかもしれない。
とにかく、この強制力は利用できる。嫌だし面倒だししんどいけど、やるべきことを減らすことが、メンタルに多大な好影響を与えることもわかってきた。
よしよし、今後はちょっとは無理して、家族がいる時こそ頑張ってみよう。
あと日課にちょっと時間かかりすぎじゃない?効率悪いのかもしれない。全体的に見直してみよう。
ここまで読んでいただき感謝。
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