ステップファザーにできること

発達障害の娘とやんちゃ息子の父によるステップファミリーの話

教育とはそもそも疲れるものなのだから、の話

色々と動き始めたとんぼである、ごきげんよう。

 

まずはと息子へのストレス対策もやっていて、息子にストレスを感じる瞬間を書き留めている。

 

そこで気づいたことがある。

 

◆家族の紹介

息子へのストレスを語る

息子にストレスを感じる瞬間をいくつかあげてみよう。

 

・買い物や散歩に行く時に手を繋いでくること

・家族での車中、助手席の息子が、わざわざ振り向いて後部座席の私に話しかけてくること

・妻と娘と息子三人で食事中に、キッチンで作業中の私に話しかけてくる時

 

お前は息子が嫌いなんじゃねーかと思うかもしれないが、別に嫌いではない。家族だし、自分の子供だと思っている。

 

何というのかな。

 

私じゃなくてもいいだろって思う時があるわけよ。

 

他にも話せる人がいる状況なのに、あえて私を選び、私だけにくっついてきたり話しかけてきたりするのがストレスに感じる。

 

車がわかりやすいよ。運転してるのは妻、助手席に息子。後ろに私と娘。

 

この状況で、わざわざ首をぐりんと後ろに曲げて、私に話しかけてくるかね?

 

車だしちょっとは黙って休めるかと思ったら、ずっと後ろを向いてなぜか私と息子しか知らないアニメの質問を繰り返す。

 

買い物や公園での手繋ぎも、別にいいんだけど。

 

手を繋がれるとずっとそばにピターっとくっつくことになるから、要は話相手をせんといけなくなる。

 

しんどいなー疲れるなー、くっついてこないでほしいなぁ。話しかけないで欲しいなぁ。

 

これが私の本音な訳です。

 

逆に娘が手を繋いできても何とも思わんどころか、かわいいなぁと感じる。これはきっと、手を繋ぐだけで相手をする必要がないからだろう。

 

娘は私から話しかけても無視する女だからね。今日は話しかけたら引っ掻かれたしね。

そもそもだよ

息子と話すと、色々考えながら相槌も打つし、質問には真摯に答えるし、息子が望むリアクションを模索しながら反応する。

 

そして本気で対応した結果、息子よりも私ばかり喋っていることになりがち。

 

息子から疑問や質問が山のように溢れ出てくるので、一つずつ丁寧に答えていくと当然そうなる。

 

私ばかり喋っているのなら楽しいかと思いきや、そうでもない。息子との会話はさして興味がない話や、今さらこれ話す?といったことが多い。

 

興味深い話もたまにあるが。

 

息子の話相手をするのが疲れるんだなぁ……嫌なんだなぁ……

 

とか思ってたら、気づいてしまった。

 

そもそも、子供との会話って疲れるもんなんだよね。

 

よく考えてみたら、子供との会話ってそれそのものが教育じゃないか。

 

子供は親の言葉遣いを見ている。何をどう表現するかを見ている。自分の言葉に親がどう反応するかを見ている。

 

子供フィルターを通した上で、子供にとって都合のいいところをキャッチしたりもする。

 

親が他人を貶したらそれがOKだと思うし、親が言った冗談を聞いて同じレベルの冗談も言ったりする。

 

当然、親である私は子供たちの前で使う言葉に気をつけるようになる。"親が使っている言葉はOK"という判断基準の子供相手に、軽々しく言葉を使えない。

 

また会話をすれば当然息子が知らない言葉が出てきて、意味を聞かれたら答えないといけない。

 

すでに知っている言葉や例え話を使ってうまく説明するターンだ。興味が途切れないように、短く、簡潔に。

 

他にも、

 

生意気な言葉を使ってきた。

煽ってきた。

調子に乗ってきた。

怒ってきた。

イライラをぶつけてきた。

 

息子のコロコロ変わる気分に、こちらもストレスを感じながらも逐一ベストな対応を模索しながら言葉を返す。

 

……そりゃ疲れるわw

 

こんなに頭をフル回転させて喋る相手は息子しかいない。緊張するわけではなく、ただただ脳に負荷がかかりすぎている。

 

疲れる疲れる疲れる!!

 

でも、この疲労感こそがまさに教育してることの証明なのだと思う。

 

子供を育てるために、この疲労感は必要不可欠なコストなのだ。

 

うーん、当たり前のことを書いたな。

上岡龍太郎

これを書いてて何となく思い出したのは、上岡龍太郎さんの弟子論。

 

弟子をとることで、弟子に色々話しながら自分の考えを再確認できるから弟子はとった方がいい、と何かの動画で話していた。

 

これは子育てにも通ずる話だ。

 

私が常識だと思っていることも、今さらこんな話しても……って感じることも、息子の悩み相談に乗る時も、話しながら改めて自分の考えを再確認し、再構築できる。

 

「この言葉は良くないな」「別の表現の方がいいかも」「この考えは現代にあっていないな」などと頭の中でめっちゃ勉強してる。

 

親にとっても、とてもとても素晴らしい学びの場、なのでしょう。

 

学びということはやっぱり疲れるってことで、だからつまり教育とは疲労感で子供に嫌悪感を抱いて話しかけるなって思ってしまうほどにエネルギーを消費しうる、それはもう大変な仕事ってことである。

 

学校の先生は凄すぎるな。私にゃ無理だ。

 

ただせめて自分の子供にだけは、できる限りパワーを費やしたい。それだけの価値があると思っているので、立ち向かっていくしかない。

 

疲れるからイヤだじゃなくて、疲れるのは当たり前なんだから、じゃあどうすれば疲労感を抑えつつ真摯に向き合っていけるかを考えるのが筋でしょう?

 

例えばリアクションとかはいちいち悩まずに、ある程度、こういう時はこうするって決めてしまった方が楽なのかもしれん。感情抜きに。

 

親のリアクションがコロコロ変わったら不安になるだろうし、一石二鳥では。

 

テクニックで楽になりそうな部分も多いような、そうでもないような。ちと考えてみよう。

 

ここまで読んでいただき感謝。

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