長いモラトリアム期間を経て動き出したとんぼである、ごきげんよう。
あれやろうこれやろうと初っ端から考えすぎて気分が悪い。機嫌が悪いとも言う。今まで失敗ばかりだから、何とか軌道に乗せたいところ。
さて、娘の判断力の話。
娘の実態を考える
最近様子がおかしい娘、様々なことに手を出す。その中でも目立つのが片付け。
テーブルに置いてあるもの、目に入った物、誰かが使っているもの、とにかく何でも片付ける。
片付けると簡単に書いてるが、物を片付けるってことはどこかに持っていくってことだ。つまり片付け先がある。
それが近くにいる人だ。というか私だ。
料理してても突然テーブルのレゴブロックを持ってきて押し付けてくる。パソコンを触ってたら水筒を押し付けてくる。鍋を洗ってたらリモコンを押し付けてくる。
片付けたい思いが強く、でも片付ける場所はわからない。たとえわかっていても、なぜか私に押し付けてくる。
別にいいのだが、困る時が多い。だって断っても聞いてくれないのだ。
上で書いた通り、私はきったない鍋を洗っている最中だ。明らかに両手が汚い、濡れてる、何も触れる状態ではない。
それなのにテレビのリモコンを渡してくる。鍋洗いを中断して手を洗ってまで、リモコンを受け取ろうとは思えない。
だってリモコンの次はコップ、コップの次は弁当箱と次々に持ってくるんだ。全部対応してられない。
だからこの時は、試しに言葉で丁寧に断ってみることした。
「今、お鍋洗ってて手が汚いんだ。ほら、みて、濡れてるでしょう?きたないね。だからリモコンは持てないよ、そこに置いててね」
こんな感じのことを丁寧に丁寧に伝えたわけです。
結果、それでも娘はぐいぐいリモコンを押し付けてきて、最終的に私の手を掴んで引っ掻き、叩き、リモコンを振り上げて……
殴られる寸前に濡れた手で娘の腕を止めた。汚いけれど、仕方がない。
どれだけ優しく伝えても攻撃してくるやつ、これがイライラするんだよなぁ。
よく考えてみれば
そもそもであるが、娘に他人がどういう状況か見て判断する力が育っているかどうかという疑問がある。
手が濡れてて汚いとか、今は手が離せないとか、そういうのを見ても聞いても「???」って可能性がなくはない。
それともつながらないのかね??
手が汚い→リモコン触れない
手が濡れている→紙を触れない
〜だから〜できない、といった文脈がわかりづらいのかもしれない。
逆に、〜だから〜しよう、なら理解してくれるかもしれん。
ただ、換気をしてるからドアを開けててほしいといった要望も娘には通用しない。
最近はエアコンぶん回しの季節のため、ドアを閉めていることが多いのが原因か。換気してようがドアは開けててとお願いしようが、娘はドアを閉めないと気が済まない。
ドア閉めたい気持ちが強すぎるのもあるか。
やるならやる、やらないならやらない。ある一つの状況に対して、一つの行動しか許されないような、そんな感じ。
声かけでわかってくれる時もたまにあるんだけどね。
娘の理解力を理解する
娘が何をどこまで理解できているのかを知ることで、無駄なストレスを感じなくなる。そんな理由で何となく分析を始めただけなのだが。
一緒に生活していると、段々と娘の能力を過大評価してしまいがちになる。何でだろうね。何でもわかってくれてると思ってしまう。
でも残念、そんなことはありません。わかっているようでわかっていないことも多い。そんなんだから引っ掻かれる。
何かを伝えるのも教えるのも大事だけれど、娘の状態やレベルに見合ったことでなければ効果が薄い。
言葉で伝えてわかってもらえる理想の形を目指すより、むしろ安心安全に過ごすことを目指す方がいいのではないか。
理解が難しいのであれば、鍋を洗ってても手を洗って手を拭いて、リモコンを受け取って「ありがとう」と言った方がまだ生産的なのでは?
うーん。
最高の対応をしたはずなのに引っ掻かれたからね、考えるよね。
前提として、物を極力置かないようにしようか。
ここまで読んでいただき感謝。
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