ステップファザーにできること

発達障害の娘とやんちゃ息子の父によるステップファミリーの話

安心していい。障がい児の育児は簡単に乗り越えられるもんじゃないから。

本日はゴマと油をぶちまけたとんぼである、ごきげんよう。

 

大丈夫なのか私は。

 

さてさて、娘に叩かれて心が折られてしまったので、障がい児の育児はそんなに甘いもんじゃないという話をつらつらと書きたい。

 

普通の精神ではまず無理だ。乗り越えるべきハードルが高すぎて、頭がおかしくなる人がいても不思議ではない。

 

何がそんなに大変なのか、一つずつ挙げてみる。

 

◆家族の紹介

そもそも①普通の育児が大変だ

そもそも話として、障がいの有無に関わらず育児自体がかなり大変である。

 

乗り越えたあと、子育てが終わったあとにはやってよかった!!と思えるかもしれないが、その真っ只中で地獄を見ることがあるのは間違いない。

 

育児ノイローゼという状態があるくらいだから、言葉でしっかりとコミュニケーションが取れる子育てでも悩みが尽きることはないだろう。

 

子供と向き合えないことでてグレて犯罪を犯したり、不登校やひきこもりに発展することもある。8050問題なんてまさにそう。子供時代は普通の子供だったはずなのだ。

 

子供がかわいそうだと過剰に甘やかしてしまう。必要以上に厳しくしてしまう。親の思い通りに支配しようとしてしまう。子供より自分を優先してしまう。

 

親との関係性がすべてとは言わないが、親にも乗り越えるべき課題が多くあり、これらを乗り越えられないケースが往々にして存在する。死ぬまで向き合えないこともある。

 

もう一度書く。障がいがあろうがなかろうが、育児とは大変なものである。

 

ならば、言葉が通じず、理解力が乏しく、円滑なコミュニケーションが難しい障がい児の育児が厳しいのは当たり前じゃないか。

 

また我が家においては、障害を持った姉を持つ弟(きょうだい児)もいる。

 

きょうだい児への対応は、障がい児への対応と同等のエネルギーを使う。しかし気にかけないと後に取り返しのつかないことになる案件、見過ごせない。

 

よほど精神のレベルが高くなければ、簡単に病んでしまうものだと認識した方がいい。

そもそも②介護が大変だ

障がい児の育児をする場合、乳幼児期を超えても下の世話をする場合がある。うちがそうだ。10歳の娘の排泄を毎日処理している。

 

食事介助もそうだし、あらゆる身の回りのサポートをしている。学校やデイなどの外部機関が利用できない時間帯は、ほとんど親が担当する。

 

当たり前のようにやっているが、一般的な感覚では誰もやりたがらないものだ。

 

好き好んで人のうんちを見て、綺麗にしたい人はそういない。叩かれたり拒否されながらも、怒らずに食事を介助し清潔保持のサポートをしたい人も少ないだろう。

 

赤ちゃん時代限定だからこそ我慢できるという人もいるのではないか。

 

介護職が嫌がられる理由も、こういうところからきてる。普通に仕事内容がきつい。よほどの給料でないと割に合わない。

 

いやむしろ仕事の方が割り切れる分マシかもしれない。

 

自宅で、いつまで続くかわからない子供のサポート。昨日はやってくれたことも今日はやってくれない。でも見捨てるわけにはいかず、親以外にやれる人がいない。

 

もちろんお金はもらえず、なかなか成長も実感できないからモチベーションも湧かず、体力的にも疲れる。

 

汗かきながらお風呂に入れてドライヤーかけて着替えさせて、その直後にすぐに排便、再度お風呂に直行するも拒否されて叩かれて。食事をだしたら投げられてそれを片付けて。

 

疲れないわけがない。

 

高齢者と子供の介護を同列には語れないが、親の介護疲れで自殺する人はいる。

 

親を殺して自分も死のうとする人もいる。配偶者を殺してしまう人もいる。もちろん、子供の介護に限界を感じて一家心中を選ぶ人もいる。

 

障がいがどうとかじゃなくて、疲れて死んだ方がマシだと判断する人がいるくらいに介護は大変で、実際に死を選ばせた実績がある任務なのである。

 

何食わぬ顔で十数年も続けられるほど甘いもんじゃないのだから、疲れて完璧にできないからといって自分を責める必要はありません。

成長が感じられない

ん?と思う人もいるかもしれないが、人は成長を感じることでモチベーションを高める。育てる側として、成長する姿を見るとやる気が出てくるもんだ。

 

逆に、成長が感じられないと当然のようにモチベーションが下がる。頑張ってサポートしようという気は薄れていく。

 

生きているだけで素晴らしい。

 

それはわかっている。成長しなくてもいい、ありのままでいい、マイペースでいい。

 

だから長い目で見ながら色々やるけれど、

 

3歩進んで5歩下がる。

少し休んで0になる。

気づいたらマイナスだった。

 

いい。それでいいのだ。自分のペースでやってくれたらいい。

 

ただ人間の心理として、前に進んでいる感覚がなければやる気がなくなるようにできている。そう作られている。

 

例えばだよ。

 

ダイエットで必死に食事制限して運動して外食も控えて、我慢して我慢して1ヶ月。それで体重が変わってなかったらどうする?2ヶ月目も変わらない、1年経って100gくらい増えてるレベルだったら?

 

これでは誰も続けない。苦労に見合わない。意義が見出せない。

 

本人にあった方法ではないとか、レベルが合ってないといった問題はあるかもしれないが、やってもやっても変わらない感覚は療育を停滞させる。

 

療育を続けていくためにはそれなりの戦略が必要だし、子供の小さな変化をキャッチする姿勢も必要だし、子供の成長以外の部分で何かしらの喜びを感じる必要もある。

 

考えて試行錯誤してトライアンドエラーを繰り返して記録を細かくつけるくらいしないと挫折するだろう。

 

そのへんの人にやれって言っても続けられないと思う。仕事なら強制力があるからあれだが、プライベートはかなりハードル高い。

 

自宅での療育は続けられなくてもおかしな話じゃない。続かないのが自然、むしろ療育を続けられないのが人類であると言ってもいい。

 

自分を責める必要はない。私のような一般ピープルにはそもそも難易度が高すぎる。それだけの話。

家庭内暴力を愛で包み込む

夫がDVだと聞いたら、一刻も早く別れたほうがいいと言いたくなるが、障がい児の場合はまた違う。

 

むしろ殴られてるからこそ愛情を示し、殴られているからこそ相手に共感し、殴られているからこそ相手のストレスを軽減すべくサポートする必要がある。

 

殴られても精神的ダメージを蓄積させず、すぐに立て直し、相手にとって次に繋がる有意義な行動をとる。

 

これ、どう考えても人間業じゃなくないか。仏の顔ですら3度までなんだが。

 

殴ってくる相手に優しくできるほど人間は強くない。人類のシステムにこれを乗り越えるシステムが備わってないまである。

 

触らぬ神にたたりなし、と放置することもできない。

 

自分のことが自分でできない。できる限り穏便に済ませたくても、歯磨きも着替えも風呂も食事も至る所に地雷が隠れている。

 

神戸市精神保健福祉センターというところに掲載されている、生涯で出会うストレスランキングを見よ。

ストレスマウンテンより

 

子供からの暴力は、6位である。数多くある人生のネガティブイベントの中で、だ。

 

失業やリストラに会社の倒産、配偶者の浮気、150万円以上の借金……といったパンチの効いたメンツよりも上位に君臨している。

 

つまり子供の家庭内暴力がある親は、リストラや浮気される以上の最悪な気分を毎日のように味わっているということなのだ。(厳密には違うのだろうが)

 

まぁ、普通の精神じゃ耐えられないよね。

 

頭がおかしくなっても別に不自然じゃない。一家心中してニュースになってうちの家庭環境が晒されたとしても、そりゃそうなるよなぁと誰もが思うことだろう。

 

それくらい家庭内暴力はしんどい。一家心中を選んでも誰も疑問に思わない。今生きてるのが不思議なレベル。

 

娘に叩かれたくらいで……なんて、認識が甘いと言わざるを得ない。

 

今後私が「今日娘に叩かれた」と書いたら、「今日妻の不倫が発覚しました」と同じくらいの悲しい記事だと思ってほしい。

周りから理解されない

うちの状況を詳細に知っている人でもギリ、ほとんど知らない人なら親のきつさを理解し共感してくれることはほぼない。

 

発作がある、言葉の発育が遅れている、何かがあると叩いてくるなどと話すと、とてもとても不憫な顔をされる。なんてリアクションしていいかわからないみたいな。

 

そして出てくるのは、その子供はかわいそう、不憫だ……といった感情である。口には出さないが、言わずもがなといった感じ。

 

だが一緒に暮らしてると、とてもかわいそうとは思えない場面がある。明らかに親の方がつらいんじゃないか?ここまでしてやらなきゃならんことなのか??と、涙を流すこともある。

 

でも反撃をしてはいけない。怒鳴ってもいけない。恨んでもいけない。

 

少しでもムカついた話をしてみなさい。

 

「大人気ない、相手は障がい児なんだから。子供がかわいそう」

 

となる。これがまたきっついんだよ。

 

こちとら、ぶん殴られてもお前は文句言えないだろってレベルの攻撃を何度も受けてきてる。それを耐えてんだ、きつくないわけないじゃないか。

 

それなのに親のきつさは理解されない、受け入れてもらえない、責められるまである。だから誰にも相談できない。相談するわけない。

 

障がい児の親は孤独になりがちだ。罪悪感を抱き、この程度のことで困っているなんてという恥もある。もちろん誰とも会いたくないほど心身がやられているのもある。

 

誰にも相談できないが、毎日やるべきことは波のようにやってくる。それでも生きていかなければならないのだ。

 

だから我慢して我慢して、身を削り心を削って生きている。こんなに寂しく、つらいことがあるだろうか。

 

……そしてこんな親自身のつらさを話してしまった時は、他者の顔色を伺うように必ず次の言葉を継ぎ足す。

 

「でも一番つらいのは、私じゃなくて子供なんだけどね」

 

子供も苦しんでいるのは間違いないが、親だってつらい時はつらいといい、泣きたい時は泣いてもいい。

 

せめて自分くらいは自分のつらさを認めてあげなければ、一体誰が認めてくれるというのか。

普通の人間のままでは無理です

これは、私自身に向けて書いた記事である。不快な気分になった方がいたら申し訳ない。

 

何で私は5年以上も一緒に住んで、いまだに娘の問題をうまく解決できないんだ??私は何も変わってないじゃないんじゃないか??

 

そんな自己嫌悪に陥ってしまったので、改めて娘の教育・療育・また共に過ごす時間がどれほどのもんかを紐解いてみた。そりゃ無理だなーと思った。

 

……

 

難しいね、じゃあやんなくていいね、って話ではもちろんなく。

 

どう考えても簡単には乗り越えられない超絶ハードモードの育児だから、普通の育児では絶対にやらないような頭のおかしいくらいの戦略・対策が必要なのに全然やってないよねってことだ。

 

いや、やってきたけどことごとく心が折られてきたってのが正確か。暴力の破壊力半端ないぞ。すべてをぶち壊すぞあれは。

 

豆腐メンタルでは絶対に無理だし、家事くらいでひーひー言ってる体力では絶対無理だし、好きなもん食って好きな動画見てるような自堕落な生活をしてたら絶対に乗り越えられない。

 

世界レベルのアスリートやモデル、ビジネスパーソンと同列のものすごい意識高い生活をしてやっとトントン、それでも娘からの暴力を軽くいなして安定した療育をできるかは微妙なとこだろう。

 

つまり今の私には無理。絶対という言葉は好きではないが、普通の人間のままでは一生かかっても絶対に乗り越えられないハードルだよこれは。

 

とは言え、急に完璧超人にはなれないから、まずは自分のことを責めることからやめましょう。だってこんなに難易度高いんだから、できなくて当然でしょう。

 

周りがどう言おうがきついしつらいし死にたくなるレベルの荒波に揉まれて、それでも前に進もうとしている自分のことをまずは認めてあげよう。頑張ってるじゃないか。

 

自分を許せたら、これからどうするかを少しは考えられると思うんだ。

 

あ、そういえば私の場合は娘と血が繋がってないのもあった。忘れてました。あはは。

 

ただ繋がってたところで……って感じだね。結果が大きく変わるとは思えない。何を今さらだ。

 

ここまで読んでいただき感謝。

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