勘違いしていたとんぼである、ごきげんよう。
よく言われる"自分にとって何が大事かを意識しよう"とかいうやつ。意識して生活してはいたのだが、それだけではダメだったようだ。
大事なものがあるのなら
私にとって大事なものは何かと聞かれれば、即答できる。
家族
健康
自己成長
……うん、わかっちゃいるんだけど、やりたいことが多すぎる。
家族のサポートだけでも結構大変だが、妻の母親のサポートもしたいし、実家の家族のサポートもしたい。私にとっての家族の範囲は広い。
さらに健康的な生活のためにやりたいことは数多く、成長するためには能動的な勉強が必要だし、加えて心身の健康のためにも娯楽はあった方がいい。
あれもやりたいねぇ、これもやりたいねぇ。私の人生を彩るすべてを愛したいねぇ。やりたことは全部やった方がいいねぇ。
とか思ってたのだが、色々と本を読んで気づいてしまった。
今本当にやりたいこと以外は、捨てなければならないのだ。
人生の優先順位を決める
私は何でもできると思っていた。本当に何でも。自分の人生なのだからやりたいことをやればいいし、そして何もかも実現できると思っていた。
別に間違っちゃいない。やろうと思えば何でもできる。ただ、何もかも一度に手にすることはできないというだけ。当たり前の話である。
つまり私は欲張りなのだ。
家族の幸せも、自分の健康も、自己成長のための勉強もしながら、仕事もしたい、娯楽も目一杯楽しみたい、1人でゆっくり休みたい、ブログも毎日更新したい。
こんなん最初から無理な話だったのである。どう見ても無理なのに、それができないから自己嫌悪してる。課題を抱えすぎだ。
自分が本当にやりたいことにだけ力を注ぎ、他を切り捨てることでしか手に入れられないものがある。
優先順位が低い事柄は、寂しさを感じつつも切り捨てないといけない。そうでなければ、本当にやりたいことができなくなってしまう。
今の私に必要ないものを捨てるのだ。そう、少なくとも"今は"優先順位が低いもの。
今後の人生で、余裕ができた時に拾い集めたらいいじゃないか。
ネット中毒が一瞬で終わった
そんなことに気づいて、最近まで私が苦しんでいた動画中毒が一瞬で治った。
ひきこもり時代にお笑い番組にかなり精神的に助けられたのもあり、お笑い系の動画にかなり依存していまして。
お笑い芸人の動画が私の人生に必要なんだ!!と思い込んでいた。
しかし考えてみた結果、お笑い動画見るよりカラオケの方が気持ちいいし、本読んでた方が次に繋がるし、YouTube見るより小説や映画の方が心動かされる。
寂しいよ。今まで追っかけてきたからすごく寂しい。でも今の私にとっては優先順位はとても低そうだ。実際、お笑い動画で笑ってることはあまりない。
……と気付いた瞬間から、動画を一切見ることなく1週間以上経過した。寂しさを感じながらも、見なくても何の問題ない。
今まではネット中毒対策をしつつも、自分に必要なものを我慢してる感覚だった。今は私にとって不要だから見なくていいという感覚。
習慣で一瞬動画を探しかけて「あ、でも見てもな……」と気づいてやめる感じ。
私に必要なくて、もっと大事なものがあるのだから、もう二度と自ら見ることはないだろう。寂しいよねぇ。
大事なことに繋がるか見定める
笑うことは人生に必要だし、動画を見ながらボケーっと過ごす時間は私に癒しを与えてくれたのだろう。
ただ私にとっての娯楽とは、心身を癒す手段にすぎない。
それなら音楽聞いたり楽器を弾いたり、ガーデニングや散歩、昼寝などの方がプラスになるだろう。終わりのない動画を見続けることはストレスが溜まる。
自己成長という意味でも、まだ読書に時間を使った方が新しい気づきが得られると思われる。
お笑い好きだよ。本当に好き。でもそれより大事にしたいものがあった。
捨てるという意味では、大好きなアイスや美味しいコーヒーを人生から捨ててもいいし、たまにカットに行く美容室もいらなさそう。かっこいい車も不要か。
というわけで、人生に本当に必要なもの以外は積極的に捨てていくつもりである。
……なんかつまらなさそうでしょう?私もそう思う。
でもそうじゃないと、本当に必要なものが手に入らないんだから仕方がないよね。
色んなものに目移りして、隣の芝生をうらやんで、何でもかんでも手をだして目先の楽しみを享受して、気付いたら大切なものが守れませんでしたではちょっとね。
それは困るよね。
ここまで読んでいただき感謝。
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