普通とは違う流れの受容をしているとんぼである、ごきげんよう。
一般的に、子供が障がいを持って生まれたり、何かしらの障がいがあると診断されると親は苦悩するらしい。
苦悩して受容していく過程があるというのだが、私にはなかったんだよねこれ。
障がいを受け入れるってなんだろう
娘が生まれた時、全然笑わないし無表情だし怒ったら反り返るし、ハイハイも遅ければ歩くのも遅いし喋らないし、明らかにおかしかったと妻はいう。
そして案の定、発達障がいと指摘されたそうで、やっぱりな……という感じですっと受け入れたらしい。
おそらく診断された時にはすでに葛藤するまでもなく、受け入れざるを得ない状態だったんだろう。
そして二人目を産んだばかりの妻と出会った私は結婚に至るわけだが、付き合う前から子供が障がいを持っていることは知っていた。
障がいは治らないものという認識もあったし、生みの親である妻が障がい児だというんだから、そりゃそうなんだろうと普通に受け入れた。
初めて写真を見た時も、初めて会った時も、初めて一緒に遊びにいった時も、私の中で娘は障がい児だった。
それを否定したことはない。娘は障がいなんてない、これは治せるもんだ!!って一ミリも思ったことない。
血が繋がってないから、他人事感も少なからずあったのかもしれない。そりゃ今は家族だと思ってるけど、結婚当初はたまに顔を合わせる子供でしかなかった。
正直、障がいがどうとか考える余裕もない。信頼関係がない子供たち二人との共同生活に馴染むのに必死だったのもあり。
それにしても、娘の障がいをしっかりと受け入れていると思っていたのだが。
障がいを受け入れても
でまぁもうすぐ結婚して6年目になる今、娘のこだわりを全然受け入れてないなと気づきつづある。
ドアの開閉にこだわるのも全然受け入れてこなかったし、歯磨きをこちらのタイミングでやらないのも、何事も片付けないと気が済まないのも。
本当に今までよくもまぁこんなに受け入れなかったなってくらいに受け入れなかった。
娘が他者と共存できるレベルの最低限の自立さえしてくれたら……というのが我々夫婦の願いだったのもあるが……
こだわりを修正できると思い込んでいたし、こだわりを一般的な習慣と勘違いしてたのもある。声かけで変わってくれると期待してたのもある。
とにかく変えられないことを受け入れられずこれまでやってきた。
片手落ちだ。障がいを受け入れても、娘の行動やこだわりを受け入れなかったらほとんど意味ない。
障がいがあるのはわかったから、これは直そうね。
障がいがあるのは知ってるよ、でもここは直そうね。
障がいがあるとはいえ、このこだわりだけは直そうね。
これで障がいを受け入れているって言えるかね??
うーむ。過去に専門家とも色々話してきて娘に困っていることを話したことはあったが、共感された覚えしかないのが気になる。
親を責めないことが前提だったのだろうか。お前ら全然受容ができていないと、ビシッと一喝してくれたらよかったのに。
いや?もしかしたら言われたことがあったのにスルーしてきたのかな?自分で気づくのが大事だったんかな?
確かに他人から言われて娘の行動を受け入れられたかと考えると、微妙である。
退化を許容せよ
ということで娘の行動を受け入れる生活を続けているんだけども……
最近思ったのは、今まで娘はレベルに合わない生活を無理強いさせられていたってことだ。
だから娘に合わせて生活していくと、今までできていた(やらせていた)ことができなくなっていくことがある。
これ、結構つらいものがある。せっかくできるようになってたのに。もったいない。
でも無理に背伸びさせずとも、成長すれば勝手にやったりするんだろう。機嫌が良さそうな時に、少し「自分でやってみる?」と声かけて様子を見てもいいかもしれん。
とにかく無理強いせず、子供は子供のペースで勝手に成長すると信じよう。
逆に何でも許容していると、今まで拒否が強かったのものも笑顔でやってくれるようになったりしてる。
今朝なんて、信じられないくらいのご機嫌だったから悪くない方向に進んでいるように見えるが……
娘のありのままを受け入れることで、他者との共存という目標が達成できるかは正直微妙なところ。
それこそ心配しても意味がないってやつか。
娘の障がいを自然に受容できてる自信があったが、その人そのものを受け入れることが今の課題かもしれん。娘に限った話じゃなさそ。
ここまで読んでいただき感謝。
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