Twitterを再開したとんぼである、ごきげんよう。
だいぶ前にちょろっと試してみたが思った以上に肌に合わなかった。今後は完全なるブログ更新通知用としてTwitterを使うことにします。
さて、娘の成長を考えてたら自然に療育にたどり着いた話。
療育とは何か
「療育とは」でググって一番上に出てきた文言がこちら。
療育(発達支援)とは、障害のあるお子さまやその可能性のあるお子さまに対し、個々の発達の状態や障害特性に応じて、今の困りごとの解決と、将来の自立と社会参加を目指し支援をすることです。
療育(発達支援)とは何か - 意味と効果・早期療育の重要性 |LITALICOジュニア|より
障がい児の成長を促す支援が療育であると漠然と認識していたが、大きく間違ってはいないような。
最近娘のこだわりについて良く書いてる。
正直なところ、こだわりすらも療育によって改善できるものだと思っていた。
環境を整え、しっかりとした手順を踏んで対応すれば何でもできる。本当にそう思っていたし、それが療育だと認識していた。
それが違うってことなんだよね。
障がいを受容すること
こだわりって治らないんだなーと知って、娘がドアの開け閉めに異常なほどのこだわりを見せても受け入れられるようになった。
拒絶反応が強いものは無理強いしない。成長すれば自然にできるようになるかもしれない。できないものはできないと、受け入れる。
それで娘との関係性も良好になってきたのはいい。ただ気になるじゃないか。
嫌がることはすべて”できないもの”として受け入れた方がいいのか?
最初、やりたがらないもの・嫌がるものを素直に受け入れていた。これも娘のこだわりで変えられないのかと。
しかししばらくやってみると、どうも違う気がする。
娘が心の底から拒絶してる事柄は確かにありそうだ。それは認めよう。
ただ、そうじゃないものもあるよね?
できないわけじゃないけれど、やりたくないことというか。我々で言えば運動や勉強のようなことと書くとわかりやすいか。
うちの息子もYouTubeを見てる時に「宿題せえ」とか言っても絶対やらない。でも宿題に対して絶対にできないレベルの拒絶反応があるわけではない。
タイミングが悪い。環境が悪い。習慣になってない。ハードルが高すぎる……etc
悪条件が重なり、本来はできるはずなのに拒否が強いものがあるのだ。
何が言いたいかってえと、障がいもこだわりも受容はするが、何もかも無条件に受容するとおかしなことになるのではないか?という問いである。
しっかり切り分けて考えないといけない。
これぞ療育である
できないことは受け入れつつ、できることは環境や声かけを工夫して伸ばせるように働きかける。
これがベターな案ではないか。
社会と繋がって生きていくのが人間だし、娘は普通よりも手厚いサポートが必要だ。
少なからず娘が努力して歩み寄ってもらうことは娘にとってもプラスになるし、サポートする側の負担軽減にも繋がる。
できないことは認めつつ、できることは自分のペースで伸ばしていった方がいい。無理強いはしない。ちゃんと娘が気持ちよく取り組めるように最大限配慮する。
最初は面倒かもしれないが、巡り巡って君の人生を豊かにするはずだ。
……
あれ?これって療育そのものじゃないか??
冒頭で書いた通り、何でも伸ばせるのが療育だと思っていたがそうじゃないんだ。
大前提として、その子の特性を理解し、治せないものは治せないと受け入れるのが先。
そして本人がストレスを感じない・気が散らない環境を作り上げた上で、本人に必要な行動で改善できそうなことを戦略を練って少しずつ学んでもらう。
もちろん最初からすべて上手くいくことはない。本人のレベルにも合わせないといけないし、環境づくりと一口に言っても簡単なことではない。
個々の発達の状態や障害特性に応じて、
これかぁ。これが超大事だったんだね。
あー、すっごい腑に落ちた。わかってたようで全然わかってなかったね。
ハードルを下げて取り組もう
今後は、娘のこだわりを受容し続け、「これだけならやってもいいかな」と思えるような低いハードルから何か手をつけてもらおうかと考えている。
少しずつ自信も出てきて、自力でできることが一つでも増えたら嬉しいね。
今思えばちょっと無理があるトレーニングも多くさせていた。親の期待が大きすぎた感がある。申し訳ない。
親が育てたいように育てるのではなく、娘の特性を受容し娘の特性に合わせて育てる。
療育ってのはそういうことかー!!と一人で驚いてた。
とりあえずは以前より理解が増したってことで終わりにする。
ここまで読んでいただき感謝。
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