午前中、赤ちゃんを抱っこしてきたとんぼである、ごきげんよう。
赤ちゃん暖かい。頭から丸呑みしたい。
さて、この赤ちゃんはまったく私に似てないわけだが。
顔も名前も違うけれど
産まれたばかりの赤ちゃんの顔はどことなく私や父の面影を感じたが、しばらく経って明らかに妻に似た顔になってきた。
目も鼻も口も、何もかもが妻。ただ男の子なので、成長したら大きい妻のような子になると思われる。
私にとっては初めての赤ん坊なのだから、とんぼに似てたらよかったのにねぇと妻と義母は申し訳なさそうにいっていた。
そして赤ちゃんの名前も、結局子供たちと似た名前になった。私色を出すことはせず、きょうだい感を優先したのである。
もし他に子供がいなければ、まずこんな名前はつけないだろう。二人の子供がすでにいるからこその名前であって、より理想的な名前の候補があった。
そして顔も、できれば少しは私に似たところがあるとよかった。おそらく今もどことなく似てるとは思うけれど、もう少しね。
妻に似すぎているというか、ほとんど赤ちゃんの頃の妻の顔と同じだ。
つまり私に決定権がなかった頃につけられた子供たちの名前に寄せ、ほとんど私に似ていない。
なんてこったい。もう少し私の子供感があってもいいのでは??
と思わなくもないが、赤ちゃんにとってはこれがいいのかもしれない。
仲間感はあるよね
娘や息子からすれば、新しく産まれてきた弟の名前がまったく自分達と違うと少なからず異物感を感じてしまうかもしれない。
何も感じないにしても、やっぱり名前が似てた方が仲間であり、きょうだいであり、家族という感覚も強まるだろう。だって名前が似てるから。
顔もそうだ。
娘と息子に私の血は入っていないのだから、3番目の赤ちゃんだけが私寄りだったらそれはそれで異物感が半端なくなるかもしれない。
それに娘も息子も妻似でね。それなら3番目の赤ちゃんも妻に似ていた方がいい。
周りから見てもそっくりだね、弟だね、と一目でわかる方がいいじゃないか。全然上の子と顔が違うねーと言われるたびに、父親が違うと頭によぎるかもしれないし。
娘と息子にとっては、仲間感が強まって受け入れやすくなるだろう。
新しい群れに今から新参者として入る赤ちゃんにとっても、名前と顔を似せていった方がかわいがってもらえる可能性が高まる。
顔も名前も姉貴と兄貴に寄せてきましたよ、オレっちは仲間ですよヘヘヘと全身全霊でアピールしていった方が生存率が高まり、我が家庭における立場も安定していくはずだ。
そう考えると、私に似てるのはむしろマイナスだったと言える。
……などと自分を納得させている。
あながち見当違いということもなさそう。
なんか俺たち違うな、やっぱりお父さんが違うからかな、とかね、普通にあると思うから。
3人それぞれが疑問がわかないくらいに馴染んでくれるとありがたい。
結局は
顔がおじさんだーとか、理想的な名前が別にあった!!とか、実際に抱っこしてみたらそんなことはどうでもよくなった。
とにかくもうお前が生きて存在してくれているだけで十分だ。顔とか名前とか響きとか本当にどうでもいい。
ここに存在してくれることに、大きな喜びを感じている。
そしてこの子がより幸せを感じるためには、娘と息子も同じように愛していくのが必須だ。家族が幸せであるからこそ、この子も幸せになる。
そうしたいし、そうでなければならない。
いいね、ようやっと人生が面白くなってきたかもしれん。
今ならなんでもできる気がすると、柄にもないことを書いてしまうくらいには赤ちゃんパワーがすごかった。顔見ただけでエネルギーが溢れてくるね。
ひ孫を抱っこするまで長生きしたい。
ここまで読んでいただき感謝。
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