忙しいとんぼである、ごきげんよう。
娘が帰ってくるまでにブログを書き、ウサギの世話をして、キッチンを片付けて風呂に入れと妻から言われている。
もう17時だというのに、そんなことが果たして人間に可能なのか。わからないけれど、今朝蹴られてた時に思いついた話。
認識の変容が鍵か
荒れ狂っている娘(11歳)の隣で寝ているために、朝になると毎日蹴られている。
顔をぼんぼこ殴られ、頭皮をぎぎぎーと引っ掻かれ、足が全身に向かって飛んでくる。目覚めと同時に足で押されて対応できずに、ベッドから床に落下したりした。
痛いぞ。
こんだけやられたらムカつくだろうと思うじゃないか。確かにムカつくこともあるけれど、むかつかないこともある。
なんでかなーと蹴られながら考えたところ、認識の違いかなと。
娘はなぜ私を蹴ってくるのだろうか。適当な理由として、私が嫌いだから、邪魔だから、もっと大きくベッドを使いたいから、なんとなく……などなどいくつか思いつく。
んでこれらの理由ははっきり言ってむかつくのだ。自己中心的なクソやろうとしか思えない、ふざけるなよと怒りも湧いてくる。
しかし今の私は、寝起きの娘の攻撃について"どうしようもないストレスが爆発してる"と認識している。
本当はもっと寝たいのに寝付けない、少し寝てもすぐに目が冷める、心がざわざわしてる……などなど、よくわからんが居ても立ってもいられないから暴れているのだと。
そう考えてみると、なら仕方がないよねってなるじゃないか。
だから朝に蹴られまくっても、腕に爪が食い込んでも、顔面にパンチが飛んできても、まぁ仕方がないよねと思えたりする。
うむ、まどろみの中でたどり着いた答えとしては悪くないな。
別に
大層な話のように書いてしまったが、要はリフレーミングの話だよね。同じ状況でも見方を変えることで意味が変わるというやつ。
"バスの中で暴れる子供を放置して座ってる母親"は印象悪いけど、それが実は"最近夫を事故で亡くしたばかりで途方にくれている母親"だったら全然印象変わるみたいな。
まぁそれでもムカつく時はあるんだけどさ。優しく対応したのに顔叩かれたりしたらムッとするよ、人間だもの。
どれほどの高みにいけば、どんな状況で攻撃されても何も感じなくなるんだろうか。
まだまだですね、では風呂入ってきます。
ここまで読んでいただき感謝。
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