新たな発見をしたとんぼである、ごきげんよう。
もしかしたらそうかもしれない。今のところエビデンスもないしソースも不明瞭ではあるものの、これなら私も父親としてやっていけそう。
そうだ、父には父の役割があったのである。
愛情表現の見本は
いわゆるステップファザー(継父)なもんで、娘&息子とは血が繋がっていない。最近生まれた赤ちゃんだけが実子になる。
赤ちゃんが生まれるまでの6年間も今もそうだが、2人の子供たちに自分の子供として接してるし愛情表現もしたい。
問題は、親から愛されていないと感じながら育った私にとって、愛情表現と言っても何をすりゃいいのかわからないこと。要は接し方がわからん。
そこで参考にしたのが妻である。
おはようからおやすみまでハグをしまくり、だいすきーと言って何度もハグをする。喧嘩をしても夜寝る前にはかならずぎゅーっとハグをして寝る。
子供を膝の上に乗せて絵本読んで、歌うたいながら手遊びしてこちょこちょしてハグをする。
こ、これこそが愛情表現か!!!
衝撃を受けた私は妻を真似ることにした。妻以外に見習うべき相手がいなかった。
途中から突然やってきた父親なのもあるし、親から愛されていないと感じる悲しさを知っているのもあり。子供たちにできる限りの愛情表現をしてあげたかった。
愛されていないと感じて欲しくなかった。
だから抱っこしたりハグしたり色々やってきた。足の上に乗せたり、寝る前に抱き締めたり。
…………
ただね、ブログで何度も書いてる通り、ベタベタくっつくコミュニケーションが驚くほどに肌に合わないんだと数年経過して思い知らされている。
普通の会話はいくらでもできるのに、ハグはできないんだよ。ハグをしたくなさすぎて普通の会話もできなくなるくらいにハグが嫌なのだ。無意味な抱っこも嫌いだ。
ちなみに赤ちゃんはいくらでも抱っこできる。かわいいのもあるが、おそらく抱っこが絶対必要な存在だからだろう。
不必要なベタベタコミュニケーションが生理的に受け付けないだけである。
かなり可愛がっている姪っ子ですらくっついてきたら気持ち悪く感じるはずだし、昔飼ってた犬がずーっとくっついてくるのも気持ち悪くて受け付けなかった。
猫くらいサバサバしてる感じが好きだ。
とかなんとか言いつつ、心の問題だから克服できるだろうと頑張ってきた。いやでもこれ乗り越えるの無理っぽいな。
むやみやたらにベタベタしてくること、やたらと距離が近いこと。これらは生涯乗り越えられる気がせん。
無理なもんは無理だと諦めた方がよさそう。
私にできる愛情表現は
別にハグしてギューしてだいすきーと言うだけが愛情表現ではないじゃないか。ベタベタしない厳格な父親からも、愛されてると感じることは可能でしょう?
そうなんだよ。要は子供たちが(母親だけじゃなく)父親からも愛されていると感じてくれるならそれでいい。手段は問わないはずだ。
それなのに、ある種の強迫観念に苛まれている。
ハグをしなければこの子たちは愛情を感じられないのでは?
大好きと言わなければ!!
常に抱っこに応えなければ!!
やらなければ!!という意識だけ強くて罪悪感もすごい。本音はやりたくないけれど、それ以外の愛情表現を知らないからどうしようもない。
しかし、私にもできる愛情表現が別にあるはずなのだ。
くっつかなくても会話はできるし、絵本は読めるし、勉強も教えられるし、ゲームもできる。笑顔で笑って楽しい時間を過ごすことができるのだ。
ハグができなくても、子供ために時間を使ったり、理解し受け入れようとする姿勢があるのなら愛情は感じられるのでは??
厳格で無口で笑わない狩人の父親でも、一緒に狩りにでかけて育てることで愛情を感じられるのでは?
と思うんだが。誰もがハグとかできるわけないしなー。
教育方針を切り替えたい
こんな話をしてたら、妻がインスタで見つけた情報を教えてくれた。
世界的な成功者が多いと言われるユダヤ人の教育は、母親が感情(EQ)を育て、父親が知性(IQ)を育てるのだそう。
つまり大好きーとかぎゅーとかそういう愛情表現は妻に任せて、私はひたすら子供たちに論理的な思考と知識を与えるといいらしい。
そうか!!つまり私は大好きぎゅっぎゅをする必要がなかったんだ!!!
ベタベタしなくてよかったんだ!!!
ってことにします。近々、ユダヤ教育系の本を読み漁って教育方針に組み込みたい。
逃げかなと思わなくもないが、私にできる愛情表現は何かと言ったら、何かを教えて伝えて共に討論し考えるくらいしかない気がするよ。
というわけで、よほど余裕がある時以外はハグをしないこととする。
いやー長年の重荷から解放された。しんどかったなー、目指すべきゴールが間違ってた感すごいわ。
ここまで読んでいただき感謝。
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