人生のコントロール感がゼロのとんぼである、ごきげんよう。
どうすれば幸福感が高まるのか?
この問いに対する一つの答えとして、"自分で人生をコントロールしてる感覚を持つこと"がある。
我が家でも可能かどうか。多忙さとイレギュラーの多さでちょっと考えるなこれは。こんな無駄話が書けるのは回復した証拠か。
イレギュラー多し
そもそも子供が3人いるだけでコントロールするのは非常に難しい。
子供をコントロールはできないので、子供たちの動きによって生活を臨機応変に変化させる必要がある。
それが能動的ならまだしも、強制的に変化させられるのがもっともつらい。
今日で言えば、娘をデイへと見送ったお昼前に二時間弱のフリータイムがあるはずだった。
最近は掃除が滞っている。せめてどこか少しでも掃除できたらとウキウキしていたのだが、デイ送迎直前に娘がてんかんでダウン。
近年稀に見るてんかんでして、いつも使ってる座薬も効かない。まさかの最後の手段である二つ目の座薬まで使用して、それでもぐったりしてる。発作も続く。
本当にギリギリ、稀に見るギリギリでなんとか発作は止まった。
あと数回発作が続けば救急受診からの入院となっていた可能性すらある。いつもヘラヘラしてる私ですら一切笑えない状況であった。
こんな風に予定通りにいくことなんてまずない。わかっちゃいる。過去に何度も反省してる。
しかしここ何ヶ月も予定通りにいかないことばかり。イレギュラーが多すぎるのだ。
まあ子供が三人いるんで順番に体調を崩すじゃないか。子供たちだけじゃなくて妻も私も体調を崩すじゃないか。
特に私がよく体調を崩す印象が強い。メンタルの問題を超えて体が悲鳴をあげているのだと思われる。近年はあっさりと高熱出すから。
誰かが体調を崩したらスケジュールはすべて書き換えられる。当然と言えば当然だが。
そしてその間にどんどんと仕事が溜まっていく。書類・掃除・家事、すべて山積み。落ち着いても溜まった仕事が終える前にはまたイレギュラー発生だ。
イレギュラーに押し潰されて、想定済みのイベントもかなりきつくなっていく。
土日が押さえれることが多い長男の部活大会、日曜参観も近々ある。娘の学校の説明会やモニタリングに病院受診になんか他色々。次男坊のイベント、うさぎの病院、他定期的に必要な雑務系。
コントロールどころか生活自体が回ってない。
いや逆か?コントロール感を失ったから生活が回っていないのかもしれない。
色々考えてきたが
こんなん書きながらも過去の自分が解決策を見出していたことに気づいている。書きながら頭に解決策が湧いてくる。
例えば、
予定を立てる時に最悪のケースを想定すること
今日なんかも、娘がデイに行ける前提で一日を始めたから余計に疲れてしまうのだ。余った時間に掃除ができる!とほぼ何も考えていなかった。
まさかこんなに発作が続くなんて!と驚いてるレベルである。何年同じことやってんだ。
さらに妻が母の日のお祝いとして、ばぁばとランチを食べにいくことにもなっていた。今週が地獄だった妻の唯一の楽しみも潰れてしまい、妻の機嫌もあまり良くない。
これでは誰だって嫌になる。イレギュラーなんて他にもあるのだ。毎日毎日イレギュラー尽くし、予定通りにいく方が少ない。
でも最悪のケースを想定して先回りで対策を考えておけば、それはもはやイレギュラーではなく想定内の出来事でしかない。
今日が無理なら事前に時間を作っておく、もしくは後日に回すことも考えておく、夜間に少しだけ進めておく……などいくらでも代替策は考えられる。
ただ代替策は事前に考えていないとダメだ。イレギュラーが発生してからでは考える前に精神やられてしまう可能性が高い。
はぁ、また思い通りいかなかった、と。これが先に来る。
他、土日は子供たちと遊ぶだけの日と設定しておく考えも悪くない。この家族形態で土日に何かをしようって発想がそもそも終わってる。
私の人生において1週間は5日しかない。
いや、週に1日は休暇をとった方がいいから、1週間を4日と考えて動いた方がいい。
そんなんを何年も前に書いた記憶がある。
◆個人事業主とんぼ、労働日を週4日間だけに限定することにする
何が何でも仕事をしなければならないと色々やってた時期やね、なつかし。
作家の村上春樹先生は毎日必ず1日1時間は走るから、先生にとっての1日は残りの23時間であるという話に近い。
その削られる時間が人よりだいぶ多めなだけだと考えて、牛歩でいいから少しずつ前に進んでいく。イレギュラーがいくら発生しても焦らず取り返せるような確実なシステムを作る。
とか。以前確かに考えたんだけど、続かなかった。だって7日働きたいから。
解決策は頭にある。実行する気がしないだけだ。
ゆっくり金持ちになりたい人はいない
なかなか今の生活が安定しないのは普通に難易度が高いのもあるが、私が生き急いでいるせいもある。
今38だし、やりたいことがほとんどできていない焦燥感が常に付き纏っている。あっという間に年をとって何もできずに死んでしまうのではないかという恐怖がある。
だから色々やるんだけど、これがやっぱりよくなくて。
過剰なストレスを処理もできてないのに、健康もメンタルもついてきてないのに、イレギュラーの対策もしてないのに。
結局は抱えるものが増えすぎて溺れて死ぬ。
もちろん昨年には次男坊も生まれたし、娘も長男も成長して様々な新しい課題とも向き合いつつなんで何もやっていないかと言えばそうではないが。
うまくいってる感、前に進んでる感がないのは問題だと思う。
「ゆっくり金持ちになりたい人はいない」
世界的に有名な投資家の言葉。
これはお金じゃなくて、人生にも当てはまる。私自身、ゆっくり幸せな人生にしたいなんて微塵も思ってない。
一週間を4日と考えるより7日と考えた方がそりゃいいだろう。ちょっと無理してでも時間を作った方がより前に進めるからだ。
こんなんだからすぐにスケジュールをパンパンにしてイレギュラーに蹂躙されて死ぬ。
あまりにも難しい難易度の人生だと受け入れて、どっしりと構えて土台を作りながら一歩ずつ進んでいく覚悟が必要か。
改めて慎重に生きてみたい
人や自分の心を考えるは好きなのだが、今とるべき行動がわかっているのなら何も考えずに動き出すことも多い。
それらが潰されるのは、私の歩くペースが現実世界と合っていないからだと思う。
これくらいの速度でいけるやろと順調に進んでいたのに、突然生活すべてを破壊するイベントがやってくる。落ち着いた時にはまた振り出しに戻ってる。
2歩進んで3歩戻って、3歩進んで3歩戻る。こんな感じ。
この1歩が間違ってるんだと思う。
一歩進んだら、その一歩を地面の奥深くまでブッ刺して絶対に動かないくらいまでねじ込んで固定してから次の一歩に進まないといけない。
これくらいの慎重さじゃないと、我が家のイレギュラータイフーンは乗り越えられないよ。
例えば最近高カカオチョコレートを食べ始めたのだが、始める前にノートをとって考えるべきだったのだ。
どの商品を食べるのか、いつ買うのか、どこで買うのか、食べたくない場合はどうする、飽きたらどうする、もし買うのが面倒くさい場合は、子供たちや妻が食べたいと言ったら、娘が入院して家に帰れない場合は??
そして食べること自体も習慣になるまでにカレンダー使って数ヶ月はつけてみるとか、カレンダーも娘に落書きされるし破られるのでデジタルするか?など。
これくらい考えればどぎついイレギュラーがあったとしても食べ続けられるはずだ。
こんな感じで確実な一歩を死守していけば、人生をコントロールしてる感覚も取り戻せるんじゃなかろうか。
忙しすぎてね。戦略を考える時間すらもったいない、振り返る時間すらもったいないって思ってしまうから。あともともと大雑把な性格でもあるから。
どうせ失敗するなら、頭がおかしいくらいの対策を考えて一歩ずつ前に進みたい。
余談
怖いのは、この一歩ずつ慎重に生きたいと言う考えも過去にブログに書いてないかってことだよ。ループしてる可能性が大いにある。
足場を固めずにどんどんと新しいことを始めるため、過去の自分がやったことすら覚えていない。たまにブログを見返すと驚くことがある。
ブログと認知行動療法だけは続いているのだが。
人生を短期ではなく、長期で捉える訓練が必要かもしれない。一生物の習慣を一つずつ取得していくような。
ほんと、人生も投資も同じだね。
結局は私の体がボロボロだと家族のフォローすらできないか。疲れでイライラして八つ当たりしてしまう可能性すらある。
自らの人生のコントロール感を取り戻すのは大前提と言ってもいい。
はー、とか何とかグダグダ書いてきたけど、やること多くて頭パンクするわ。ノート活用しよう。
……の前に、娘に台無しにされないノートの利用方法、保管方法をまず考えないといけないのか。ボールペンも奪われるからな。
ホワイトボードに計画書いててもいつの間にか消されているからな。
こういう地味な行動にモチベを破壊されるってのは実際あるよね。
ここまで読んでいただき感謝。
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