結局そういうことだよね、と思うとんぼである、ごきげんよう。
何となく書き出したら止まらなかったテーマ。おそらくは自分の人間性を少し把握したことが要因の一つだろう。
強すぎるこだわりの行方は
先日、自分がこだわりが強い人間であると書いた。
死生観や生き方に関してはたまに異常なこだわりを見せる一面もあるけどね、程度の認識だった。
しかし全体的にこだわりに縛られている部分がある。いいことも悪いことも。
芯が強いといえば聞こえはいいが、頑固じじいとなったら目も当てられない。柔軟に思考を切り替えられないとこの先生き残れない。
現状の私にとって、このこだわりはそこそこマイナスの働きをしてると考えられる。
自分の理想を超えられない自分が嫌いだし、理想の自分に近づく努力もできない自分に対してどうしようもなく失望する。
さらにこの理想は他者にも向けられる。
いや、以前よりはマシにはなったか。気に入らんなーとは思うがわざわざ口にすることは減った。
人それぞれ価値観が違うし、生まれ持った欲求も違う。そもそも私の人生じゃないんだから押し付けるのは違う。
だから上っ面では文句は言わないが、それでもやっぱり心の中では気に入らないわけだよ。
長男を認めていない
何度もブログで書いている通り、長男(小5)を絶対に認めない節がある。
◆【毒親】息子(小4)が何かを成し遂げても全然嬉しくない衝撃の話
認めるケースもある。ただ部活と塾(勉強)に関しては相変わらず好かんな。
一応、口先では認めているような声かけをしてて、表情でバレないように就寝前の暗闇でしかこういった話はしないようにしてる。
でも本心では認めていないわけだ。この子の向き合い方は受け入れ難いなと。
そう感じるのは色々と理由はあるはずだが、やはり生き方に対するこだわりの強さが問題なのだと思う。私のハードルを超えていない。
轢かれたレールではなく、自分で考えて道を切り拓いてく。楽じゃないかもしれないが、目先の快楽に惑わされずに自分の望む道を進む勇気というか。
「あの子、まだ10歳だよ」
そう妻には言われたが、10歳だと認識した上で認められないんだから仕方がないではないか。5歳でも6歳でも目標に向かって突き進む人間は存在する。
……とかね。こう書いてると異常なハードルの高さだなと自覚できるな。
理想に突き進むだけが人生ではない。長男にとっては今の状態が一番楽しくて心地よいのかも知れないし、少しずつ長男のペースで成長している。
本人がいいのならそれでいいじゃないか。
うん、そう思えないからこんなん書いてるんだけど。
いやしかし、そもそも認めるとか認めないとか、お前何偉そうなこと言ってんの感もあるのだ。
ださ
長男を認められないのもそうだし、昨日は妻を認めているといった話を偉そうに書いた。
認めるの本質は行動ではなく、存在そのものを認めるのが大事。そんな理想があることはおいといて。
他人を認めるかどうかと値踏みをする前に、私は自分のことを認めていない。自分自身が私のハードルを超えていない。
そしてハードルを超えていない自分が嫌いだし、恥だと思っている。
問題は、自分が嫌いで恥だと感じていることを免罪符にしてる節があること。自分が嫌いだから、私自身はハードル越えなくても許されるのだ。
実際は許されていないから自分を嫌ってるのだが、嫌ってることで現状を変える努力をしなくてもいい。
とても楽な道だと思う。自分を嫌って暗い顔してればOKなんだから。そのくせ、他人がハードルを越えていないと偉そうに認められないと言う。
……
なんか、ださくない?
自分を認めてないし努力も伴ってないくせに、他人を認めるとか認めないとか偉そうに。そういうこと言える段階にいないんじゃないのこいつ。
自分に甘く他人に厳しい。クソ人間じゃないか。
まいったね。
健康になりたくないのか
少し前に考えたのだが、私自身が健康で元気な状態を維持できれば今抱えているすべての問題を解決できると確信した。
育児も金策も家事も何もかも、対策を考えて上手く乗り越えていく自信がある。
そのためには健康な心身が必要。それなのに今の私は不健康で、だるいし眠いし、何のやる気もしない。今週は余裕ができたのに最低限のことしかやっていない。
健康になったら解決するのなら今すぐ健康的な生活を送ったらいい。単純な答えなのだがそうはならない。夜は寝たくないし、早寝すると言いながら寝るのは遅い。
やっぱり腰が重いし、健康になるのがしんどいし、やる気に燃えているわけではない。
ここで思い出すのは『嫌われる勇気』に出てきた一説。
小説家志望の男は忙しさを理由に小説を書かず、何年経っても小説を書き上げて賞に応募をしない。ずっと小説家志望のまま。
なぜ行動しないのか、それは現実を知るのが怖いからだ。本気を出した自分が通用しなかったらどうする?
そんな無意識の恐怖があって、行動をせず可能性の中に生きている。
私も同じかもしれない。健康にさえなればすべてを解決できるという可能性の中に生きている。
いつまで経っても忙しいとか、子供たちが大変だとか、しんどいとか。こんなことばかり言って、ずっと自分のことが嫌いなままである。
夜は8〜9時間の睡眠時間を必ず確保して、健康的な食生活をして、適度な運動をすれば健康な心身はすぐに手に入る。2~3週間も頑張れば劇的に変わるだろう。
そのたかが2~3週間すら頑張れないのが今の私である。
クソだな。
……と、自分を卑下していれば努力をせずとも許されるわけだ。クソ人間のパラドックスと呼ぶ。
他人にどうこう言う前に
長男を認めるとか認めないとか、もはやそれ以前の話だ。他人を値踏みする資格すらないのが今の私である。
何より総合的に見て長男は私よりも頑張っているまである。学校に塾、部活。通い続けているだけですごいことなのだ。
そんな長男を認められない、他人に厳しい自分を変えられないなら、せめて自分にも厳しくありたい。偉そうなことを言う前に、自分が自分のハードルを超えていきたい。
これが理想じゃないことはわかっている。自分も他人も行動ではなく、存在を認めたらいいのだと知っている。
ただ知っていたからと言って、それができるわけではない。
一歩ずつ、まずは自分のハードルを超えて、自分のことを好きになろう。自分を認めて好きになれたらまた違う世界が見えるかもしれない。
自分のことを好きになりたいと言いながら、何年経っても私は私が嫌いなままだから。自己嫌悪で逃げずに向き合っていかなければならない。
心折られることが多いとはいえ、いくら何でもださすぎるんだよな。参ったわ。
とりあえず今日は長男と遊ぶ日なので、それはそれで楽しい時間になるよう努力することとする。
おしまい。
ここまで読んでいただき感謝。
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