こんなん誰が読むのというタイトルをつけてみたとんぼである、ごきげんよう。
しかし自己理解が進むと明らかに息苦しさが減る。そういえば他者理解が進むことでも息苦しさは減っている。
認知行動療法やアンガーマネジメントにも含まれる要素だとは思うのだが、もっとこうコアな部分での変化に気づいたので記しておく。
自己理解と他者理解
最近性格診断について書いた。
この性格診断の信頼性は低いと何度も書いているものの、この診断が私の生きづらさを知覚させるきっかけになりつつある。
それは表面上に出てくる思考ではなくて、もっと奥深い部分での思考。例えば自分でも気付かない好き嫌いが確かに存在するということだ。
無論、見当違いということはあるのかもしれないが、まあそれは自己との対話を続けていけばいずれ修正されるとして。
過去の思い出すことすら嫌なことであっても、そういう好きになれない環境に身を置いたことがそもそもの間違いだったのではないか?と気づいたりもして。
特に若い頃はそうだ。
見栄を張りたかった、周りに嫌われたくなかった、社会の常識に合わせたかった、仲間はずれにされたくなかった。
周りの目を気にして自分を見失った結果がひきこもりルートだったのだろう。どう頑張っても社会に合わせるのは限界がある。
今までは過去の自分の嫌な経験を思い出すたびに自己嫌悪してきたし、迷惑をかけた人に申し訳ない気持ちでいっぱいになってきたが。
どうなんだろう。
ずっと自分のことを恥だと感じてきたが、果たして私は恥ずべき人間なのだろうか。
自分がどんな人生に喜びを感じるのかわからず、もしかしたらわかっててもその生き方を選ぶ勇気がなかっただけかもしれない。
好きなものは好き。嫌いなものは嫌い。
そんな自分の心の声にしっかり耳を傾けて、自分のことを信じる勇気があったのならば。もう少し楽に生きられたのかもしれない。
なら何というか……過去の私にも情状酌量の余地があるよね、と思えまして。別に根っからのクソ人間ってわけじゃなさそうだし。
といった感じで、自分とはこういうやつだったのか!と少しだけ理解が進んだ。
完璧に理解できているとは思っていないが、少しの理解だけでも息苦しさが大幅に軽減されている。自分への怒りも軽減されている。
とにかく自分のことは割と好きな部類の人種かもしれない。そう思えただけでよしとする。
他者理解
自己理解が進むことで大幅にストレスが軽減したことに驚いてると、少し気づく。
そういえば最近、長男(小5)にあまりムカつかなくなったなと。以前は家族への態度にムカついていたはずだ。
長男が変わったのか?と少し思い返してみると、変わらない長男の姿を一つ思い出す。
日曜夜、娘(特別支援学校/中1)が調子良かったので家族で映画を見ることに。
しかし調子が良いというのは完全なる勘違い。娘が映画の途中からサワサワし始めたので少し早いが薬を飲ませることにしまして。
すると薬を飲んでいる最中に発作があり盛大にぶっ倒れた。
コップはすごい音で床に落ちて、さらに娘もバタン!と壁にぶつかりながら卒倒した。
「大丈夫!??」
と妻も私もすぐサポートに入って、娘も強い発作でガクガクしてて。
最近は強い発作が多いとは言え、ここまでの強い発作だとこちらも怖いじゃないか。映画を見てた妻もすっとんできてたのだが。
長男はソファにステイだ。
動くことなく映画を見ている。しかも笑っている。
確かに発作は日常茶飯事とは言え、これだけの騒動だから少しは様子を見るとか、声をかけるとか、そういうのがあるかなと思うじゃないか。
そんなことはない。長男は映画の続きを見たいのである。
……といった出来事があったが、こうやって思い出すまで忘れていた。つまりまったく何も感じなかった。
長男にはこういうところがある。
目の前の楽しみから意識を避けることが難しいのだ。
いつもの長男なら心配そうな顔をしてすっ飛んでくるはずだ。映画を見てる今だけまったく別タイプの人間になってるだけだ。
この楽しみを奪おうもんなら言動と態度も大きく変わったりするし。
このように長男の理解が進んだことでほとんどイライラを感じなかったどころか、忘れていたのだ。すごいことだ。
数年前ならぶちぎれてた案件なのは間違いない。
理解とアンガーマネジメント
そんな二つの理解の話。
どちらも面白いのは理解が進んだこと自体がアンガーマネジメントになりストレスを軽減させている事実だ。
認知行動療法が好きなんで、今でも自分の思考を捕まえてあーだこーだと分析したりする。
あの時はこういう状況だったのかもしれない
いつもは違うからたまたまこの時だけ何かあった可能性もある
などなど。
でもそれって結局は可能性の話でしかない。自分の思考の偏りを矯正しバランスを整えていく、頭の中だけの話だ。
これはこれで必要なんだけど、自分や相手のコアな部分への理解が進めばそもそもイライラする必要がないことも多いんじゃなかろうか。
現実を見るというか、相手にもっと興味を持つというのか。
レッテル貼りはよくないし思い込みも怖いけれども、何が好きで何が嫌いで、ある物事をどういうふうに捉えるのか。
その人を理解することが根源的なアンガーマネジメントに繋がるのかもしれない。
この理解自体も認知の一つとも言えるが。
もちろんそれでもムカつく時はあるはずだから、理解を深めつつ思考のバランスを取りつつ、がベストかな。
人を知る
理解を深めたいとは思っても、やはり知識や経験によってなかなか気付けないこともある。
そんな人間がいるなんて発想がそもそもないのだ。自分自身や長男への理解が長年滞っていたのも「こんな人間がいるはずない」と少なからず思っていたからだろう。
だから学ぶべきは人か。
心理学?発達心理学?人間科学?
わからないが、人への理解を深めることが自分や家族の理解を深めることになり、回り回って家族全体の生きづらさも解消されていくことだろう。
日々勉強ですね。
ここまで読んでいただき感謝。
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