ステップファザーにできること

重度知的+発達障害の娘と、二人のやんちゃ息子の父によるステップファミリーの話

本を読んでも忘れてしまうのは悪いことではない話

本日は娘(特別支援学校/中1)がお休みなので隣に座ってるとんぼである、ごきげんよう。

 

てんかん発作がやや多いのでだるーんとしつつも特に問題なさそう。

 

一緒にいるのはいいのだが、何して過ごそうかなと悩む。とりあえずはワンワンワンダーランドを一緒に見ながらブログを書く。

 

何書こうかな。本の話を書いてみようか。

 

◆家族の紹介

本を読んでも思い出せない

本屋に行くと自己啓発本が数多く並んでいる。その中でも一定の人気を誇るのが読書を学ぶ本だ。

 

本の選び方から効率のいい読み方、記憶に残る読み方、理解度をあげる読み方。多岐に渡る読書本があるので誰もが一度は目にしたことがあるはず。

 

例に漏れず私もいくつか読んできたのだが、読書を勧める筆者がほぼ推してくる手法がある。

 

アウトプットだ。

 

良く見かけるのは本を読み終わったらXやInstagramに感想を投稿しようとか、自分だけの読書ノートを作ろうとか、学んだことは友人や家族に話してみようとか。

 

なぜアウトプットが重要視されるかといえば、前提として本を一度読んだだけでは脳に定着しない事実があるからだろう。

 

1日経てば記憶はおぼろげになり、1週間も経てばもはや内容をほとんど思い出せない状態となる。数ヶ月後には読んだことすら忘れてるかもしれない。

 

だから完全に忘れる前に思い出して、SNSなり周りの人なりに何度か話す機会を意識して作って脳に定着させないといけない。

 

読書法というよりは記憶術に近いが、これが昨今の読書本によくあるアウトプット読書術である。

 

特に異論があるわけではない。私もそこそこに読んできたけれど実際に忘れていることばかりだ。

 

ただこれも絶対唯一の正解ではなさそうだと気づかされる本と出会う。

忘れる読書法もある

落合陽一氏をご存知だろうか。筑波大学の准教授でメディアアーティストとしてテレビにも出てたりする、いわゆる天才と言われるクリエイターである。

 

この方が書いている『忘れる読書』を読みまして。

なんとなく私レベルがこの人の本を読んでも理解は無理だろうなと敬遠してて、実際にこの本もすべて理解できたかと言われれば微妙ではある。

 

あと私とは相容れない気質を持っているように見受けられるので生き方は真似できないのだが、本の読み方だけは強い共感を覚えた。

 

落合氏は読書好きで月に10冊は読んでいて、理解を深めるために繰り返し読むこともあれば過去に読んだ本を読み返すこともあるそうな。

 

しかし記憶に定着させるためにあえてアウトプットすることはない。むしろ忘れるために読んでいるとも書いている。

 

落合氏はなぜアウトプットしないのか?

 

僭越ながら私の言葉でざっとまとめると、

 

覚えていないようでも、引っ掛かってることは脳のどこかに残っている。

 

ということだ。

 

いつか、忘れてたはずの記憶がふっと蘇る時がくる。

 

あぁ、あの本がそういえば同じようなこと書いてたな……とか、あれ?これってあれと同じじゃないか?とか。

 

ふとしたきっかけで点と点が繋がり、新たな思考となって世界が広がっていく。落合氏はそういう読書法を採用してるようだ。

 

これ読んで、そうそうわかるわかる!と唸ってしまった。

 

まあ落合氏は頭の中で2軸のマトリクスをイメージしてるそうなので私とは次元が違うわけだが、そこは置いといて。

 

本を読み漁っていると、突然脳内で繋がりができて新たな視点や新たな価値観が生まれる感覚が時折ある。うおおおおってなるやつ。

 

そしてこれは読書に限ったことではない。

 

数年前に一度見ただけの映像であるとか、10年ほど前に友人から言われた一言だとか、20年前にラジオから流れてきた話とか。

 

あえて思い出すことでもなく、その時にめちゃくちゃ心が動いたわけでもない。完全に忘れていたはずの記憶。

 

でもなんとなくは引っ掛かってたんだろう。その時にわからなかった答えが時を経て火を吹くというのかな。そんな感覚。

 

意識して記憶するのではなく、いつか繋がる時が来るだろうと眠らせておくような読書法だ。

 

記憶に定着しやすい効率を求めた読書が持て囃されるけれど、そんなものはググればすぐに出てくるから意味がない、という意見もまぁわかる。

 

私も忘れてばかりでやはり読書メモが必要か……と思っていたが、こういう読書法もありなんだなと気づかされた。

 

細かい研究内容を覚えるよりこっちの方が私向きかな。感覚的な読書。

 

どれだけ自分の中で引っ掛かりを多く作れるか?が課題だろうか。興味の範囲を広げながら読書を続けていくのが私にとっての最適解と思われる。

自分で完結しないなら

ただこれは(私にとっては)感覚的な話に近いというか、自分のアンテナに引っ掛かった概念を取り込んでいく読書法だ。

 

細かい知識はよっぽど深く心動かされないと思い出せないだろうし、実際に本に書かれたエビデンスなんてふわっとしか思い出せなかったりする。ふわーっと。

 

自分のことなら再読なりググって補完もするが、他者と共有するならあまり使えない読み方かなとは思う。

 

そう考えてみると、読書法の本を書いてる人ってインフルエンサー的な立ち位置の人が多い気がする。

 

自分が読んだ本や、読んで得た知識をシェアするのが仕事の一つというか。そういう仕事をしたいなら当然アウトプットは必須なのかなと思う。

 

ふーむ。

 

誰かに紹介する、誰かと知識を共有する。

 

そういう他者への貢献を考えた時にアウトプットで記憶する必要もあるか。ただアウトプットの方法も、何も知識・情報にフォーカスしなくてもいいのかもしれないね。

 

どんな風に他者に貢献したいのか、そのためにはどういう形で頭に残しておくべきなのか。

 

私の目的と合致するアウトプットがありそうな気がする。少し考えてみたい。

 

ここまで読んでいただき感謝。

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