23時を過ぎて困惑してるとんぼである、ごきげんよう。
ちなみに日経平均の大幅下落と円高にも困惑してる。でもメンタル的なダメージを負っていないところを見ると、戦略は間違っていないのだろう。
さて、時間もないので書くことなんてこれしかないぞ。
哲学に触れる
最近ニーチェの解説本を読んで面白かったので、続けて西洋哲学・東洋哲学を紹介する書籍も読んだ。上が西洋、下が東洋。
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この著者の哲学本、あまりにわかりやすすぎる。読んだだけで悟りを開いた気分になれるほどのわかりやすさ。
ニーチェ本もこの著者が書いたやつを読んだのでちょっと偏ってる可能性も考慮し次は別の人の本も読むけれど……わかりやすさではトップクラスの書籍なのは間違いない。
なんせこの本を読めば、"悟り"とは何なのか言葉で説明できてしまう。もちろん私も悟った風にこのブログで偉そうに講釈を垂れることが可能である。
「悟りとはね、こういうことなんだよ」
でも実際は悟ってません。言葉で説明できるだけだし、言葉で説明できないのが悟りでもある。なんかそんな感じの体感でしか理解できないやつ。
哲学に興味がある人はぜひ読んでみてほしい。
西洋の論理を突き詰める思考と、東洋の"悟り"を目指す旅路。最高に哲学が面白いなと思える書籍たちである。
悟りとは苦からの解脱
そういえば20代の頃から悟りに興味があった。おそらくは生きづらかったからだろう。悟ることで無敵のメンタルを手に入れられると漠然と思っていた。
社会復帰して、新しくできた気の合う友人に悟りの話を軽くしたことがあるのだが。
なんとその友人に騙されるように謎の寺に連れて行かれ、見知らぬおじさんの家で新興宗教に入れと数時間勧誘される面白イベントも経験した。
「儀式を受けないと地獄に行くよ」
今思い出しても面白い。よく断れたなと思うが、納得できないものには絶対に入らない主義である。自分の信仰くらい自分で決めたい。
まぁそれは置いといて、今回本を読んで悟りとは苦しみからの解脱だと改めて解釈した。
老化・病気・死。誰もが経験する苦しみからいかに解放されるか、そしてその答えとして悟りがあるようだ。
そのほかにも人生は苦しみばかりだからね、あらゆる苦しみから解放されるのが悟りなのである。
で、書籍で面白かった話として、当初中国で仏教が全然ウケなかったというやつ。
なぜなら中国人のメンタリティでは、そもそも人生を苦しみとは捉えていなかったからだと。苦があるなら楽に変えてしまえばいいじゃないかという発想だと。
たとえば絶対に食べられない毒を含んだ食材があっても、長い長い年月をかけて変態的な調理法によって美味しく食べられる料理に変えてしまう、とか。
この発想、すごく面白くないですか?
人生は苦である、という前提がそもそも違うよと。人生楽しいじゃん、何度もやり直せるなら最高じゃん、それこそが人生じゃん?
そんなメンタリティなら悟る必要がない。そもそも現世は天国なのだから。
西洋的なアプローチ
そこで思い出すのがベネフィットファインディングというワーク。過去の辛かった体験や怒りを抱いている相手に対してよかった点を探すやつ。
だいぶ前に紹介した記憶がある。
強いトラウマ体験であっても(本人が望むのであれば)別の捉え方をすることで成長の糧にできるのだ。
たとえば重い病気にかかったとしても、病気のつらさがわかった、家族の温かみがわかった、健康のありがたみがわかった……などの気づきは得られるはずだ。
どんなにつらいことからでも得られるものがある、と見方を変えることによってつらい体験もプラスに変えていける。
これは有名なベストセラー、ケリーマクゴニガル氏の書籍でも紹介されていた話なのだが。
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ほかにも、ストレス自体をネガティブなものとして捉えるのではなく、ポジティブな一面もあると捉え直すことで様々なメリットがあると教えてくれる。
長生きするとかメンタルにいいとかそういうやつ。
さらにニューヨークの大学かどこかの研究で、ある程度のストレスがないと人生の満足度も低いといったやつもあったね。
ストレスがない人生は満足度も低い。逆にストレスが高すぎる人生も満足度が低い。適度なストレスがあるともっとも人生の満足度が高いというやつ。
ほか、どこぞの民族が非人道的なやり方で大虐殺されたが、生き残った人たちはその経験を糧に芸術的な才能が開花したという説もあった。
……
といったいくつかのストレスやトラウマに関する知見を見ていくとわかるのは、これらがすべて人生の苦を別の見方で捉え直すきっかけになりえること。
今つらいことでも、もしかしたら後に成長の糧になるかもしれない。どれだけ強い苦痛でも、いつか振り返ってみたら自分を構成するかけがえのない時間かもしれない。
もちろん耐え難い苦痛はあるかもしれないし例外はあるのだろうが。
なんていうのかな、人生を前向きに捉えることが悟りとは違うルートで幸せになる道なんだろうなと。
人生は苦じゃない。そういう捉え方もあるんだと。
ニーチェやアドラーも
ニーチェ本での結論は、今に集中して生きろとあった。
アドラー本の結論では、今に集中して生きろとあった。
おそらくはこれが言語的な活動による幸せの結論なのかなと思う。
言語的な活動によって事象を捉えて、言語的な活動によってリフレーミングし、過去と未来への不安から解放された状態で今に集中する。
悟りとは全然ルートが違う感じがするけど、言葉の力も偉大だなと思う。言葉が世界を作ってると言っても全然不思議じゃない。言葉によって世界の捉え方が変わる。
その言葉を使わない世界でしか悟りは体験できないというから、それはそれで面白いのだが。
……などと偉そうに語っているが、哲学入門書を数冊読んだだけの超にわかであるので勘弁してやってほしい。
正直、私はこの人生を苦ではなく、楽じゃないけど楽しいものとして捉えたい思いがある。だから今は悟りにあまり興味がない。
でも経験の一つとしては悟ってみたいね。そんな気軽にできるものではないのだろうし、上の本を読んですでに悟った気分でもあるし。
そんな感じの哲学語り。おしまい。
ここまで読んでいただき感謝。
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