ステップファザーにできること

重度知的+発達障害の娘と、二人のやんちゃ息子の父によるステップファミリーの話

83歳で勉強し続けるおじいさんの話

次男坊との朝を乗り越えつつあるとんぼである、ごきげんよう。

 

所詮は1歳児。ステップファザーとなって(当時)ほぼ他人同然の子供たちとの生活を切り抜けてきた私にとって大したことではなかった。

 

……などと余裕ぶってられるのはいつまでか。とりあえず今日は怒らせることなくお互い気持ち良く送迎できた。油断しないでおきたい。

 

さて、勉強しつづけるおじいさんの話。

 

◆家族の紹介

勉強を続けるおじいさん

早速だけどこちらの本を読みまして。

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官僚を経て東大の教授やらスタンフォード大学の客員教授といった経歴あり。ファイナンス関係の書籍をいくつか出版してるらしい野口悠紀雄(のぐちゆきお)さん。

 

この野口さんが書いた上の本なんだけど、タイトルを見た時に少し思うわけだよ。

 

「そんな高齢で勉強して意味があるのか?」

 

偏見も多分に含まれた超失礼な思考なんだけど、客観的に見て平均寿命は超えてるじゃないか。いつお迎えが来てもおかしくない年齢である。

 

それでも勉強が楽しいってどういう思考なんだろう?と興味が湧いて読んでみたのだが。

 

すごいじいさんだった。

黄金時代の到来

野口さんは83歳の現在がまさに黄金時代だと言っている。

 

なぜなら朝から晩まで勉強できるからだ。

 

現役の頃は仕事もあり、付き合いもあり、家族のための時間もあり……となかなか時間が作れなかったが、今なら時間がたっぷり余っている。

 

好きなことを好きなだけ勉強できる、これこそが幸せだ!!

 

みたいな感じらしい。なんかすごいぞ。スマホどころかChatGPTも使いこなしてAIに話し相手になってもらってるらしいぞ。

 

私は漠然と、定年したらメインの人生は終える気がしてた。定年後は余生モードに移るんだろうと感じてた。

 

それが違うんだ、定年してからが人生においてもっとも楽しい時間だと言うのだ。まさに黄金時代だと。

 

この発想はなかった。確かに約60歳から100歳までが最高に楽しい時間と言えるなら、それは現役世代を乗り越える糧になるかもしれない。

 

少し違うかもだが、

 

年齢を重ねるごとに幸せになっていく

 

そんな価値観は確実に人生を豊かにするだろう。

 

さて、上でも少し書いた通り、そんな歳になって勉強して何か意味あるのか?というのは少し引っかかる。

 

野口さんの答えはこうだ。

 

意味なんかない。楽しいからやるんだと。

 

若い頃の勉強には何かしらの目的が付随するが、今は違う。目的がなくても勉強していいのだ。ただ楽しむためだけに勉強できるなんてこんなに素晴らしいことはないと。(とんぼ意訳)

 

うーむ、この人は今を生きてるなと思う。

 

意味があるのか?と私は考えてしまったが、そもそも人生に意味があるのかと問われれば意味がないと言うしかない。どうせいずれは消える命で、消える世界である。

 

83にもなって勉強する意味があるのか?と問うならば、30代の私だって勉強する意味はないと言える。

 

だからそういうことではないのでしょう。

 

今、この時が輝いているならいいのだ。死という終わりに向かっていて、人生に意味なんかなくて、生きる意味すらないのだけど。

 

それでも今が輝いてる。輝いて輝いていつか終わる。それでいいんじゃないか。

 

そう思えないと高齢にもなって勉強しないでしょう?超人じいさんだった。すごいぞ。

誰しも好奇心がある

また一つ面白い話があった。

 

昔、勉強は特権階級しかできないものだったと。勉強する暇があったら家のことを手伝えと言われたし、特に女性は勉強なんてとんでもない!という風潮だったと。

 

だからどうしても勉強したい子供たちは親から隠れて勉強していたと。

 

何となくそんな時代があったと聞いたことはあるが、自然に勉強がしたい!と思えるのって面白い。自分がやりたいからやってる人らが勉強嫌いなわけない。

 

ただ現代は受験勉強があって勉強しろと強制されるもんだから、誰も勉強が好きにならないし隠れてやることもないと。

 

まあ小学校から割と勉強強制だから面白くないのはわかる。興味がない分野も強制されるから私も好きではなかった。

 

おそらくはもっと自由に、興味の向くままに勉強ができる環境があれば誰もが勉強好きになるんだろう。

 

いわゆるモンテッソーリ教育がそういう志向の教育なんだろうけど。

 

あとはやはり好奇心が最強だなということ。

 

好きなものを物凄い勢いで吸収するのは大人も子供同じ。強制的に知識を教え込むよりも、まずは好奇心がなければ始まらない。

 

そういう意味では、現代の何十名かで構成されたクラスに一斉に教えるやり方ではなかなか好奇心を刺激しがたい部分があるのだろう。

 

興味・関心の分野は人それぞれ、興味を抱くタイミングも違うし。

 

アメリカでいうホームスクーリング(親が子供の教師になれるやつ)がベストっちゃあベストだけど、経済的な問題は大きいか。あと友人関係の構築も課題だし親の資質の問題もある。

 

結局、勉強を好きになることは特権階級だけに許されたことなのかもしれない。

 

そして興味のある分野の勉強が好きなだけできるのが定年後なわけだから、現役世代を経てある種の特権階級にランクアップとしたと言ってもいいのかも。

勉強という言葉も悪いか

おそらくは勉強という言葉に付随したネガティブなイメージも悪いなと思う。なんか面白くもない興味もないことを学ばなければならないような。

 

確かにそういう一面もあるが、もちろん別の一面もある。

 

例えば、興味を引いた分野があるとしても小難しい専門書を読む必要はない。漫画でわかりやすく紹介した入門書を読むのだって勉強だ。

 

YouTubeで面白おかしく紹介してる動画を見るのだって勉強と言える。

 

子供の頃はなかなか情報の取捨選択ができないし、自分にあった独学の手法を見つけるのは難易度が高いかもしれない。

 

でも大人になれば自分にとって興味深いことは自分でわかるし、自分の理解度も把握できる。自分にあった独学ルートを見つけることも容易である。

 

見栄はって無理に難しいものからスタートせんでいいし、本は読み飛ばしでいいし、興味があるところだけつまみ食いでもいい。数珠繋ぎでざっくばらんに学んでもいい。

 

もちろん健康寿命も大事だね。這いつくばっては勉強できないので。また経済的な問題や介護の問題など色々あるかもしれないけど。

 

とりあえず、好奇心を素直に受け入れていけばいくつになって楽しい人生を過ごせる、と面白い気づきを得られた本であった。

 

高齢の母への誕生日プレゼントとしたい。

 

ここまで読んでいただき感謝。

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