ステップファザーにできること

重度知的+発達障害の娘と、二人のやんちゃ息子の父によるステップファミリーの話

死とは何か、生とは何かを考える話

何も書く気分ではないとんぼである。

 

うちのウサギが末期に近い状態なので死について考える。今後どうすべきかは私だけで決めることではないので、妻へ考えを伝える意味合いもある。

うさぎのとんぼ

うちにはロップイヤーの耳たれウサギがいる。名前はとんぼ。このブログで使ってる私の名前もこのウサギからきている。

 

小さい頃に目の病気にかかり右目は失明、それからも元気に活動を続けた。そして数ヶ月前から左目周辺にも膿が溜まるようになった。

 

抗生剤や痛み止めを飲みながら、膿があまりに溜まったら切開して膿を出す。

 

この繰り返しでだましだまし現状維持をしてきて、それでもやっぱり元気に活動してた。

 

でも今回はさすがに厳しいか。左目周辺に溜まっていた膿は眉間にまで達し、反対側の目からも膿がでてくるように。

 

さらに今まで絶対に落ちなかった食欲も半分以下になったため、緊急で病院受診。左頬の周辺だけが切開の対象だったはずが、今回は新たに眉間も切り開いた。

 

施術を終えて帰ってきたとんぼは、もはや元気のかけらもなくなってしまった。食事は一切とらずほとんど動かない。水も飲まない。

 

顔の形も変わってしまった。面影もない。左頬はパンパンで、どこが鼻か口かもわからない。あまりに痛々しい。

 

食欲がなくなったら電話をしてほしいと病院では言っていたので、明日は電話をかけてみる予定ではある。

 

ただ、どうなんだろうな。

 

私としては、このまま逝かせてやりたい気持ちが強い。

一生懸命生きたのではないか

うさぎのとんぼは私の相棒みたいなポジションだった。朝も晩も私が世話をした。どれだけしんどくても見捨てるわけにはいかん。

 

必ず1日2回は小屋から出して散歩させ、水を換えトイレを換えご飯をいれる。たまに撫でると喜ぶ。

 

忙しい時はやることだけやって放置してたが、とんぼはずっと仕事してた。床をガリガリして穴を掘る仕事。

 

昨日病院に行く直前も、食欲も落ちて目の周りも腫れてほとんど見えてないのに一生懸命仕事してた。 

 

とんぼはずっと一生懸命に生きてきた。うさぎだから人間ほど複雑な思考はできないとしても、毎日一生懸命に生きていた。

 

そして体にガタがきて、今では食事も取れなくなってしまった。顔もパンパン。膿は何度出してもで続ける。

 

今回の病院とは無関係に、遅かれ早かれこうなっていただろう。

 

ではまた長いこと時間かけて病院受診して、そこでまた顔を切られるのか?何度顔を切ればいいんだ。その度に苦しんで、抗生剤飲まされて、顔も変わってしまって。

 

完治する未来があるなら治療に耐える意味もあるかもしれないが、治療法はないと言われている。そして現状維持を目的とした上で悪化し続けて今がある。

 

これからさらに切り刻まれていくだろう。今は顔半分がパンパンで済んでるが、状態が悪化すれば眼球が落ちてしまうケースもあるという。

 

そこまで苦しんでも生きることに意味があるのか?と問われたらよくわからない。人間なら、延命でも何でもいいからとにかく生きたいという人もいるだろう。

 

人間なら、人それぞれの思想と意志があるからその人に聞けばいい。

 

だがとんぼはどうだろう。

 

体に限界がきたなら、そこでふっと人生を終えるのも悪くないのではないかと一緒に過ごしてきた私は思う。

 

ここから拷問のような治療に耐えながら生き長らえるよりも、現役引退と共に逝けた方が幸せなのではないのか。

 

明日病院に連れて行くことは、果たしてとんぼにとって正解なのか。

 

私にはわからない。

あっぱれな人生である

病院に行くことで持ち直してまた元気に活動できる期間が長い、とかならわかるのだが。おそらくそれはないだろう。

 

左目はほとんど見えなくなってきてる。足の状態も悪く、斜頸という首が曲がる症状も出てきてる。

 

もうすぐ7歳。ウサギにとっては高齢期。いつ亡くなってもおかしくない年齢ではある。

 

それでも病院に一度は連れて行ってみる、という考えもなくはないのだが。それでどうなるんだ、余計に苦しいだけじゃないのか。

 

私としてはもらった痛み止めだけ飲ませて、このまま逝かせてやりたい。とんぼはウサギとしての生を精一杯やりきったと思う。

 

あっぱれだよほんと。体が動かなくなるギリギリまで働いてたことに私は感動してる。生涯忘れることはないだろう。

 

いや、まだ生きてるんだけどね。

 

最後は近いように見えるが、別にいつもと変わりなく、いつもと同じような日々を過ごすようにしてる。私も、とんぼも。

 

一生懸命に生きた先にある死は、何も悲しいものではない。死ぬまで輝いていたとんぼ、それでいいのではないか。

 

というのが私の見解なのだが。

 

悲しくないわけじゃないぞ。誰よりも悲しんでいるのは毎日一緒にいた私だろうさ。

 

変わり果てたとんぼの姿から死の匂いしかせず、なんとか受け入れようと何が最善か考えているのだ。

 

さて妻はどうだろうか。もうすぐ帰ってくるのでとんぼの頭を撫でながらでも話してみたい。

 

ここまで読んでいただき感謝。

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