忙しいのが幸いして自己を保っているとんぼである、ごきげんよう。
次男坊(1歳)の風邪症状が強くて本日はお休み。娘(特別支援学校/中1)もかなり荒れてて悲しんでいる暇もないほどには忙しい日。
この忙しさがありがたいではある。
ただ死と向き合うことは私にとって何よりも最優先にすべき重要事項なので、今回学んだことを書いていく。
なぜ学ぶのか?
愛するウサギ(以下、ウサとする)の死を経験して、なぜ学ぼうとか前向きに考えられるんだ?ひどくないか?
と10年前の私なら言いそうなので簡単に死生観を書いておく。
結構単純で、あなたがいたからこそ今の私がある、という思想が根底にある。
ウサがいてもいなくても私の人生に何も影響がなかった、というのはあまりに耐え難い。
言語化するまでもない些細なことばかりかもしれないが、ウサから少なからず影響を与えられたからこそ今の私があるのだ。
いや、もし私に目に見えて大きな変化があれば、今の私があるのはウサがいたからこそだと強く実感できるだろう。
だからこそウサと過ごした時間からとにかく学んで、今までとは違う思想を持ち、新たな価値観を築き、見える世界を変えていきたい。
これは私なりのウサへの愛情表現であり、弔いであり、ウサと過ごした時間が確かにあったことの強固な証明となる。
実際様々な気づきがあったが、その中でも大きかったものを書いていく。
看取ることはもっとも難しい課題の分離
今回は数日間の看取り期間があり、その時に強く感じたのは看取りとは究極の課題の分離であるということ。
死にゆくものと残されるものではまったく立場が違う。そして残される者としては最大限に相手に配慮する必要がある。たとえ自分を押し殺したとしても。
相手が最期の時間をどう過ごしたいのか。静かに安心して眠りたいのか、いつも通りの日常を過ごしたいのか、強制的に命を止めてほしいのか。
そこに普遍的な答えはないかもしれないが、残された者が心掛けなければならないことがある。
それは自分の足で立って生きていく姿勢である。
時間はかかってもいいが、相手に心配かけて甘えていては安心して死ねないだろう。寂しいからと言って相手にすがりつくのも違うだろう。
寂しさや苦しみに折り合いをつけるのは残される者の課題だ。
相手に今すがったところで、いずれは一人になる。ならば生きてる内に自らの足で立たなければならない。自立する姿を見せるのだ。
気持ち良く死ねるように、満足のいく最期を迎えられるように、課題の分離が絶対に必要である。
まぁ、課題の分離ができずにおろおろする家族を見ながら息を引き取るのも、人によっては一興かもしれない。ここにも普遍的な答えはなさそうだ。
そして我々が今回の看取りで課題を分離できてたかは微妙である。相手は動物なので状態や意思の把握がかなり難しく、少しずつ微調整するしかなかった。
できるだけ安らかな生と死を、とは思いながらも、こちらは別れたくはない。死んでほしくもない。それでも死を受け入れようと耐えている。
もうすぐいなくなる存在を目の前にして、相手を尊重し平静を保てるか。これは後悔の念がどれだけあるかにも左右されると思われる。
当たり前の日常をいかに大事にしてきたかが問われるのだ。
静かに一人で死なせてほしいという愛する存在を笑顔で見送れるか?
ここに課題の分離のすべてが詰まっている気がした。
負担が愛おしさに変わる
これまでに二度、強い喪失感を感じる死を経験したことがある。愛猫と父だ。
ただ当時の私はまだ精神的に大人になりきれておらず、愛する猫とは遊ぶだけで世話をしたことはないし、父も自立したいい大人であった。
それが今回見送ったウサは、完全に99%私がお世話をしていた。毎朝毎晩、数えてみると数千回に及ぶ世話をしている。
ご飯やトイレの世話、掃除、おしっこで変色した漆喰の壁を削ったり、おしっこで変色した床を修復したり、体に良さげな食事をいかに安く仕入れるか考えたり。
お漏らしシーツを定期的に買うとか、水を替えるとか、部屋の湿度や温度や光に気を配ったり、毎日食べる草(チモシー)を乾燥させるためのシリカゲルを管理したり。
定期的な病院受診もそうだし、金銭的な不安もあったし、遊びの時間も作ってあげたかったし、子供たちが怪我をさせないように見守る必要もあった。
これらがもう結構な負担で本当にしんどかったはずなのに、ウサが死に向かい始めた時から印象が変わる。
どれもこれももうやらなくていいんだ、と感じるとその一つ一つが愛おしくなってしまったのだ。
部屋中に散りばった糞をちりとりでせっせと集めることもない。床に新しいおしっこ跡がつくこともない。定期的にホームセンターにチモシーを買いに行く必要もない。
自分の大切な何かがもぎ取られていく感覚だ。
私の座右の銘的なもので、楽じゃないけど楽しい道を、というのがある。学生時代に好きだった詞からきている。
ウサと過ごした時間は、正に楽じゃないけど楽しい道だったんだなと思う。
猫が死んだ時も父が死んだ時にもこれを感じなかったのは、いなくなっても私の生活自体が大きく変わることがなかったからだろう。
おそらくはいつもぶーぶー言いながらやってる子育ても家事も、家族が病気になったり事故にあったりしたら見え方が一変するんだと思う。
もちろん負担を抱えすぎるのは問題だが、今感じている負担は愛おしさと表裏一体であると心から理解した。
この気づきは大事にしていきたい。同じ後悔を繰り返さないように。
寂しさをどう捉えるか
まだウサが亡くなって間もないために強烈な寂しさを感じている。脳もまだ適応できておらず、
「あ、ウサにご飯あげなきゃ」
といった思考が日常の中で何度も頭をよぎる。そしてすぐにもういないことに気づいて苦笑いする。
昨日も書いた通り、ウサがいた部屋のドアを見るだけでつらくなる。部屋に入って遺影を置かれているのを見たらもう耐えられない。気が狂うわこれは。
ただこのつらいって感情、どうだろうと思って。この寂しさは果たしてネガティブなものなのか?と改めて問いたい。
寂しいから目をそらすとか、考えないようにするとか、眉間に皺を寄せるとか、なんか違うなと思って。
だって一緒に過ごした時間があったからこその、この耐え難い寂しさなわけだよ。一緒に過ごした時間がなければ、ここまでの強い感情が出てくるわけがないんだから。
そしてさらに寂しいことに、この寂しさは時が経てば自然と薄れていく。人間が生きていく力はすごくて、数年も経てばほとんど何も感じなくなる。
10年近く前にあれだけ泣いて見送った愛猫のことも、今ではほとんど思い出さなくなった。悲しくなる時はあるけれど、頑張っても涙は出ないかもしれない。
父のことだってそうだ。
だから今感じている寂しさもいずれ消えていくはずで。
この寂しさすら感じられなくなるなんて、こんなに寂しいことはない。
そう考えると、今私が強烈に感じている寂しさもやっぱり愛すべき感情ということである。嫌な顔をせず、全力で噛み締めた方がいいまである。
一緒にいた時間を思い出そうにも時が経てば写真や動画を撮った場面しか思い出せなくなっていく。耳に残った足音も消えていく。
寂しさが強ければ強いほどに、目を逸らさずに大事にしていきたい。
それでも生きてゆく
多分こんなん長々と書いてるからこいつ何も感じてないだろと思われるかもしれないが、信じられないくらいに泣いている。
ふとした時に涙が溢れる情緒不安定野郎になってる。もう人生に何も楽しいことなんてないんじゃないかとすら思ってる。
それでも生きていくと心に決めてるので、自分の足で立ち上がらないといけない。
立ち上がるためには、ちゃんと悲しんで、ちゃんと寂しさに打ちひしがれて、泣くだけ泣いて。
そうしながら自分なりの落とし所を探っていくのだ。その過程がこの記事でもある。
いつか振り返って、この強烈な寂しさがなくなってることを寂しく感じながらも歩をすすめていく。
私の人生はこうありたいね。
また時間と共に心も整理されていくだろうから、愛するウサの死について書くのはこれで終わりにする。だいぶポエミーになってしまったので反省もしてる。
あまりに沼にはまると戻ってこれなくなりそうだし、それは本意ではないので。ありがたいことにまだ私を必要とする人が何人かいるし。
QED
そういえば昨日書いた通り、世界は循環してると感じた時から自然を見る目が変わった。
自然を保護する活動や募金があれば積極的に参加したいし、ガーデニングにも力をいれたい。節電や節水にもお金以外の意義を見出しつつある。
環境保護というほど大げさなことはできないかもしれないが、今後は自然を守ることを人生の軸の一つに据えることとする。
どうだろう、これだけ見える世界が変わったのならば、私の中にもウサが生き続けていると言っても過言ではない。
私の言葉と思想の隙間にウサは隠れている。
そしてウサの影響を受けた私が誰かに影響を与えて、その誰かもまた影響を与えて。小さな影響が広がり続けることを考えると、ウサ永久不滅説まで浮上する。
……くだらない戯言だよね、まあ人は死と直面すると自分なりの世界観を構築するもんなんだと思う。結局、自分が納得できるならそれでいいのだ。
不思議にもこうやって書いてるだけで少しは気力も湧いてくるもんだね、明日からブログは通常運転に戻そう。
ポエミーブログ読んでくれた方に感謝。ウサにも感謝。
またね。
ここまで読んでいただき感謝。
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