生活スケジュールを組み立て直したいとんぼである、ごきげんよう。
妻と長男(小5)は仲直りしたものの、結局今日も長男はぶちぎれていたという。長時間この二人が一緒にいることはマイナスが大きいので何とかせねばならん。
かと言って娘(特別支援学校/中1)もいるし、次男坊(1歳)もいて結構手一杯なのもあって。一緒にいられない組み合わせが多すぎる。
とりあえずうまくいく方法を考えつつ、不機嫌の話。
『不機嫌は罪である』を読んで
斎藤孝さんの『不機嫌は罪である』を読んだ。
2005年には『上機嫌の作法』という同じテーマでの書籍が出版されているが、内容的には結構被ってる。読むなら情報が新しい2018年の『不機嫌は罪である』の方がいい。
さて、この書籍では不機嫌さを出すことにメリットなんてないことを教えてくれる。不機嫌さが許されるのは小学生までか、もしくは天才だけ。
我々のような一般人が不機嫌さを表に出しても、気を遣わせて周りの空気を悪くするだけでいいことなし。
数十年前なら不機嫌さが威厳と捉えられたかもしれないが現在では違うのだ。
また不機嫌だと頭がよさそうに見える、逆に上機嫌であると頭が悪そうに見える……なんてイメージがあるがそんなこともないと。
成功者のほとんどがしっかりと知性があるしその上で機嫌がいいのである。
機嫌がいいことは周りに伝播する、という意味で面白かったのは長嶋茂雄監督の話。
太陽みたいな人で、あの人がいるんだからまあ仕方がないか、と全国民を納得させるほどの上機嫌力があると。
なんかわかる。野球全く興味がない私でも、長嶋監督の顔を思い出そうとすると笑顔しか出てこない。不思議なおじいさんである。
また著者の斎藤さんは明治大学の教授で、大学生相手に話をする機会も多いとのこと。そして現代の若者はまさに傷つきやすいと。
昔なら不機嫌さを表明しながら注意してもそれなりに通用したのに、今では想定以上に落ち込んでまったく逆効果になってしまう。
だから上機嫌に注意する……けどやっぱり言葉には細心の注意を払っているんだと。
おすすめしてたのはユーモアを交えること。
授業に必要な本を忘れた学生に「なぜ忘れたんだ」というのではなく、
「この本なしで授業を受けるのはプールに私服で入るようなもんだよ。そしたらみんな大丈夫かよって心配になるだろ?」(原文ママじゃない)
と冗談混じりに言ってみる。すると周りも笑って、本人も次から気をつけようとなる。
何十年も若者を相手にしてる斎藤さんがいうんだから、若者の傷つきやすさというのは年々強くなっているんだろう。
気になったのは斎藤さんが2005年には「私は笑顔で罵詈雑言を言う」と書いてたのに、2018年になると「上機嫌でユーモアを交えて注意を促す」に変わってたこと。
やり方を変えざるをえないほどに学生が傷つきやすくなったのかな?まあ前者は学生相手の話ではないかもしれないが。
とにかく現代の子どもたちに昭和の教育論は明らかにミスマッチで、おそらく平成的な教育も通用しない。
傷つきやすく、承認欲求も強く、他者を傷つけても周りは子どもだからと許容してくれる空気もある。
そんな子どもたちを相手にするなら、不機嫌さはまさに罪なのだろうね。いいことない。
ちなみに、『不機嫌は罪である』にはネットがなぜこんなに炎上するのか、現代版の魔女狩りや踏み絵がなぜここまで横行してるのか?といった話もある。
ブログを書いてる身としては、ある日突然過去のちょっとした発言を掘り起こされて私刑に処されるのは恐怖でしかないぞ。
育児とユーモアと
さて私も不機嫌さを前面に出すタイプの人間だったのだが、親になってからはあまり不機嫌さを出さないようにしてる。
ブログには不機嫌なことを書いてるが、6~7割くらいは本当はどうするべきかという対策や改善案を書いてると思う。
あいつむかつく!あいつが悪い!はい終わり!とはしていないはずだ(多分)。
不機嫌さが隠せなくなったらその場から離れるようにもしてる。
私の心の中はどうであれ、不機嫌に注意しても素直に聞いてくれるとは思えない。成長すればするほどに反発がどんどん大きくなってる印象だ。
疲れが限界にくるまでは、何とか不機嫌さが表に出ないように耐えてはいる。難しいね。
先日も妻と長男が喧嘩して、長男が私のところに相談にきてた。夜だし眠いししんどかったが、不機嫌さは出さずに話を聞いて解決策を一緒に考えた。
そして自分の気分も無理やり高めて、妻のところに一緒に話しにいった。
めちゃくちゃテンションあげたし冗談もまじえながら、何とか二人も少しは笑えるような空気にして、頑張って盛り上げて盛り上げていい感じの空気になって。
でも結局、妻が折れることなく不機嫌さを表に出して、それにつられて長男もまた怒りだして部屋から出ていってしまった。
……さすがにこれには参ったな。頑張ってテンションをあげたのに結局これかいと、上機嫌の反動で私の不機嫌度が跳ね上がった。
うーむ。
今では多少上機嫌を演じることはできるようになった。演じていると少しずつ本当に上機嫌になっていくこともわかってる。
とはいえ、心が折られたらどうしようもないな。
ランジャタイ
お笑いコンビのランジャタイをご存じだろうか。今回紹介した本を読んで、数年前の彼らが出場してたM-1を思い出した。
もともと全力で何度もしつこくふざけつくすのがランジャタイの芸風と認識していたが、彼らはM-1でもふざけていた。
いや、ネタは面白くてしっかりウケていたのだが、審査員からの点数がすこぶる悪かったのだ。低めの80点台も多く出たりして。
普通ね、普通のコンビだったら、この点数を見て死んだような顔になる。悔しくなさそうにしていても虚勢だと見て取れて切なくなる。
そら一世一代の大舞台で人生を変えるわかりやすいチャンスだ。もう二度と出られないかもしれない。ここで結果を残せないなんて苦しいに決まっている。
それがランジャタイは一味違った。
低い点数をめちゃくちゃ笑って喜んでいるのだ。待ってましたと言わんばかりの嬉々とした表情で。飛び跳ねて目を輝かせて笑ってる。
このリアクションに、テレビの前で思わず拍手した覚えがある。
ランジャタイは他のコンビと見据えているゴールが違う。今は確かに売れたかもしれないが、売れようが売れまいが彼らの笑いには何ら関係がなさそうだった。
残念な結果なのは明らかな場面なのに、なんと楽しそうな二人だろう。おそらく彼らが上機嫌の最終形態ではないのか。
日本全国で注目度の高い場面で評価されなくても、それを面白おかしく笑い飛ばせてしまうんだよ。人生を左右する大一番にも関わらずだ。
そんなことができるんだったら、日常のちょっとしたことで笑顔をなくしてしまう私はまったく未熟者なんだなと思う。
見据えるゴールの違いか、今を楽しむ意識の違いか、どんなことにも笑いを見出す視点か。
見習いたいね。
ここまで読んでいただき感謝。
↓のウサギをポチすると、さらにとんぼが喜びます。