ステップファザーにできること

発達障害の娘とやんちゃ息子の父によるステップファミリーの話

大人の学習法(読書)を理解しつつある話

本を読み続けるとんぼである、ごきげんよう。

 

忙しいが本だけは読んでる。家事をしながらオーディオブックを聞くか、図書館から本を借りて寝る前に読むか。

 

途中で興味を失う本もあるので正確には数えられないが、読了したものだけでもこの1年で2~300冊はあるだろう。ここまで読んだのは人生初だ。

 

ということで読書について気づいたことを書いていく。この気づいたことがすでに書かれた本があるんだから面白いよね。

 

◆家族の紹介

学習方法には二つある

さて、面白いくらいに私の最近の気づきが言語化されてたこちらの本。

今読み漁っている明治大学教授である斎藤孝さんの著書。

 

斎藤さんが言うには手に入れた知識には二種類のタイプがあり、脳内での整理方法が違ってくるという。

 

一つが面白いと感じたことを拾っていくカオス型、もう一つが体系的に学ぶ秩序型。

 

カオス型はその時その時で自分が「面白い」と感じたものを拾う。他人から見て興味がない事柄でも、自分にとって興味深いことを頭にいれていく。

 

雑多な知識でジャンルもバラバラかもしれないが、確かに自分の中では繋がっている知識の整理法。

 

一方の秩序型は、すでに体系的に整った知識で、主に受験勉強や資格試験の勉強がこれだ。

 

すべての知識を網羅的に覚えておく必要があり、逆に言えば全体が必要な情報なので興味の濃淡は出てくるだろう。

 

まあ体系的な知識とはそういうものだ。

 

学生時代に体系的な学習が苦手だった人でも、好きなものだけ学ぶスタイルなら楽しく続けられる可能性がある。

 

またクリエイターと呼ばれる人たちは、他者の要望をしっかりと押さえつつ、自分の中の面白さと繋げて作品を作るという。

 

どちらがいいとかではなくて、この本はカオス型で、こっちの参考書は秩序型で、と意識して読み方を変えるといいという説である。

カオス型とんぼ

少し前にファイナンシャルプランナー(以下FP)の資格を取得したのだが、FPの学習は明らかに秩序型であった。

 

年金関係・保険関係、・資産運用・税金・不動産・相続といった人生に関わるお金の諸問題を取り扱っている。

 

資格勉強なので当然のように全体を覚えたしこれはこれで面白かった。ただFPとして働くならまだしも、人生で使う機会がほとんどない知識も多い。(先物とか)

 

それでも体系的に覚えるメリットは理解した。抜けなく全体を把握してるからこそのFPである。

 

さて、私の読書はFPの勉強のそれとはまったく違う。

 

体系的に学ぶ気なんてゼロだ。本一冊を途中で投げ出すなんてザラで、最悪本当に興味があることについて書かれてある数ページしか読まない場合もある。

 

興味が惹かれたもの、面白そうだなと思ったものしか読まないし、たとえ自分にとって必要な知識だと感じても興味が湧かなければ読まない。

 

必要かどうかではない。損得でもない。面白そうだと感じるかどうか。面白いの定義も曖昧なのだが、今すぐ手に取って読みたいなら読む、という感じ。

 

興味がある本を読むと覚えようとせずとも勝手に頭に入ってくる。新しい気づき、新しい繋がりが見えてきて、自分なりの解釈を経て世界の見方が変わる。

 

さらに本の中で紹介された本や言葉、人物、新たな概念を知って、数珠繋ぎのように次の本へと繋がっていく。

 

次に読みたい本が何十冊も待っている。読んでも読んでも終わらない。本から映画や音楽に繋がることもあってどこまでも続いていくだろう。

 

まあこの興味の炎は時間経過で消えてしまったりするのでタイミングも重要かな。鉄は熱いうちに打てという言葉通り、ふと冷めてしまったりする。

 

このような自分にしか通用しない読書法に意味あるのか?と以前は思っていたが……

 

意外や意外に、細かい枝葉は忘れてしまっても重要な根幹部分は脳に刻まれ、正にカオス型で脳に整理されている。

 

以前に落合洋一さんの読み方も紹介したが、あれもそうだ。

www.rabbitonbo.com

 

読んだ内容は忘れたようでもどこかに残っていて、いつか何かのきっかけで蘇る。

 

面白いのは、この興味本位の繋がりは私にしか見えない繋がりなのだ。他人が私と同じ繋がりに気づくことはまずないだろうし、AIにだって無理だろう。

 

おそらくAIから上っ面の知識を聞いたところで世界が広がることはない。自分の経験と結びついた上での理解があるからこその知識である。

 

仕事のための資格や受験勉強の場合は別として、人生を豊かにする読書としてはこのカオス型の読み方が大人には面白いと思う。

 

読めば読むほどに目の前に広がる世界が変わっていく感覚は心躍るものだ。この世界が今まで見えてなかったのかと驚愕してる。

 

おすすめ。

興味はいずれ繋がる

ちなみに興味がない本は読まないとした場合、知識に偏りが出るんじゃないかと危惧するじゃないか。

 

ところがどっこいそんなことはない。

 

たとえば私は歴史があまり好きではない。学生時代から何が面白いんじゃこれはと毛嫌いしててまともに勉強した記憶はない。

 

しかし姪っ子が戦国時代の武将にハマってると話を聞いたので、ならばいつも全然喜んでくれない誕生日プレゼントに今年は戦国武将の本を送ってあげよう!と思った。

 

でもつまらない本を送りたくはないので、いくつか自分で確かめるべく読んでみまして。

 

……これはこれで興味なんだよね。姪っ子に理解しやすくとっつきやすい、喜んでくれそうな歴史本はないか?という純粋な興味。

 

自ら湧き出る好奇心とは違うけれど、他人のために読んでもそれはそれで面白く、学びもあるわけだ。

 

また最近までは東洋医学を完全スルーしてた。気づかなかったが、私の頭の中には西洋的思想がメインで張り付いていたように思う。

 

しかし色々な本で東洋の思想について語られているのを読むと、西洋とはまったく別方向に進んだ人類の知識の結晶であるとの認識へと変わった。

 

今までは何の興味もなかったツボや鍼灸、呼吸や気、世界との関わり方といった東洋思想にまでも興味が湧いている。

 

何の興味もない野球だって、王貞治さんの一本足打法のすごさとか、長嶋茂雄監督の笑顔とか、そういうところから入っていけるかもしれない。

 

入口がいつどこになるかはわからないが、きっと自分でも興味を持てる部分がある。その時に本を手に取ればいいのだ。

 

だから心配せずに読みたい本を読んでいっていい。夏目漱石やドストエフスキーに無理やり手を出さずとも、いつか読みたくなる時が来るはずだ。

 

今興味が湧いた本をひたすら読む。私がたどり着いた、大人の学びの暫定的な答えである。

自分の感受性くらい自分で守れ

もう一つ書いておきたいのは、やはり自分が興味を持ったことや好きなものを素直に認めるのが大事かなと。

 

読書を続けていくと他の経験や知識との繋がりに気づいていくと書いたが、何も繋がりは読書だけに限らない。

 

現実世界の人との関わりから気づくこともあれば、漫画やアニメに映画、テレビ番組、絵画や音楽からの気づきもある。YouTubeやTikTokの動画からだってあるだろう。

 

しかし世間が認めないものに価値を置くのは無意識の抵抗がないだろうか。認められない感じというか、「私は良いと思うけど……」みたいな感覚。

 

私にはあった。割と強くあって、自分の好きを封印したりした。

 

……いやいやそれはおかしい。

 

好きかどうか、面白いかどうかは自分が決める。他人や社会常識に左右されることなく自分で決めるのだ。

 

まったく売れてない誰も知らない漫画のキャラクターのセリフに心が響いたのなら、それは自分にとって大事な言葉として心に刻んでいい。

 

自分が名言だと感じたらそれは立派な名言なのだ。

 

一つ思い出したのは、中学の頃に聴いてたある曲の一節。私にはとても響いた歌詞だったのだが、友達にその話をしたら「どこが?」と言われた。

 

たったそれだけのことでその好きを捨ててしまった。そういえばあの歌詞が好きだったことをさっき思い出した。25年間封印されてた。

 

別に好きなものは好きでよかったのにね。

 

ちなみにその歌詞はこれ。

 

何がいいのか悪いのか誰が決めることなの

そこに落ちてる石ころだってこの世には一つしかないもの

Kiroro 逃がさないでより

この歌詞に惹かれる感性が中学生の私にあったとは驚きだわ。あまり変わってないな。いや、変わったのは私か。

 

自分の感受性くらい自分で守らないといけないね。

資本主義からの脱却と浮世離れ

最後に、上で紹介した書籍で我田引水という言葉が紹介されている。

 

本来は物事を自分に都合よく利用するといったネガティブな言葉なのだが、斎藤さんの別解釈があるので紹介する。(ニュアンスだけ)

 

我田引水とは使われている漢字の通り、自分の田んぼに水を引くこと。

 

何千年も昔から続く大きな大きな川が流れているとイメージしてみてほしい。それは知識の大流だ。

 

川から少しずつ自分の田んぼ(経験)へと水を引いて、先人の知識と自らの経験をつなぎ合わせて、自分の世界を潤していく。

 

読書はそんな我田引水のイメージである。

 

本さえあれば、数千年前のソクラテスさんの思考も汲み取って自分の糧にできちゃうんだよ。すごすぎる。

 

さて、読書によって資本主義に取り憑かれた私の思想も剥がれ落ちつつある。

 

富を求めなくても、凄い肩書きがなくとも、読書を通じて世界の見え方を変えていけばそれはそれは面白い人生が送れることを心から理解した。

 

億万長者になれなくとも、本さえ読めるならばきっと私は最後まで楽しく生きられるだろう。本を読むだけなら大して金もかからん。

 

……とは言え、三人の子供の親である以上バランス感覚は必要だ。

 

このまま浮世離れした社会不適合者になって、家族の役にたたない夢想家になってしまうリスクもある。それはおかしい、私の人生の軸は家族なのだ。

 

家族には金を使いつつ、自らは"足るを知る"生活を意識したい。あとは本を読んで得た知識でいかに社会に貢献していくのかがベースの考え方になるだろう。

 

その報酬として少しばかりのお金があればそれでいいかなと今は思う。私はね。

 

うだうだと育児ブログに似合わぬことを書いてきたけれど、親が成長することは子供にも多大な影響を与えるはずだから。

 

資本主義の呪いにかかった今までの私よりは、いい影響与えそうじゃないかね?

 

ここまで読んでいただき感謝。

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