最近重たいことばかり書いてる気がするとんぼである、ごきげんよう。
重すぎて妻すら読まないとなると、さすがに軽いやつを書いた方がいいのかなと反省してたりする。
というわけで、散歩中に出会った子供たちを見て「この辺の子供たちはやっぱり挨拶しないなぁ」と無意識に感じてしまったことを軽く考える会。
挨拶の習慣
だいぶ前に学校によって挨拶習慣が全く違う話を書いた。
引越し前に子供たちが通っていた小学校は挨拶が徹底されていて、すれ違う子供たちのほぼ全員が挨拶をしてくれていた。
ちょっとこっちが身構えるくらいの挨拶だったもんで……たじたじにはなりつつも、今考えたら多くのパワーをもらっていた気がする。
引っ越し先の小学校ではガラッと変わって、まったくもって挨拶をしてくる子がいない。登校する子供たちは無表情ですたすた歩いて無視してすれ違っていく。
当時は学校方針によってまったく違うものになるんだなぁと驚いて終わったような。そもそも子供発信で挨拶が習慣化することはないのだから。
私も挨拶しないし
この辺の子供たちはすれ違っても挨拶しないなぁ……と考えている私も挨拶しない。
今でこそ小学校への送迎はしなくなったが、数年前までは正門まで長男を送ったりしてて。その時も私は(あまり)挨拶しなかった。
すれ違う子供たちや保護者も多くていちいち挨拶してたら大変だし、そもそも挨拶が求められている空気でもない。
いや、最初は挨拶しようとしたんだ。
でも挨拶が当たり前の空間ではないからか、こちらから見知らぬ子供たちに挨拶しても無視されること多数。挨拶された子供たちはキョトンとするか無視するか。
そうなってくるとむしろ挨拶するのは空気が読めていないというか、郷に従っていないのではないか?と感じ始めて私も挨拶しなくなった。
そして思う。
この辺の子供たちは挨拶しないなぁ……
うーむ。
挨拶が重要だと考えるのは大人だからであって、子供たちが自ら挨拶は大事、俺たちから挨拶していこう!とはならんだろう。自分のことで精一杯だ。
挨拶とは習慣であり、文化であり、皆が気持ち良く過ごすための最低限の礼儀でもある。
言葉で説明するもんでもない。周りの大人が実践して見せることで教えていくものであって、子供たちからの挨拶を待つのは順番がおかしい。
挨拶の重要性を伝えたいなら、自分から挨拶していくことが大切なんじゃないの?周りの空気に惑わされずに何度無視されても挨拶し続けるのが正解なんじゃないの?
とは思うんだけど、昔と今とでは違うのはある。むしろ他者との関わりがうざったいものとして認識されつつある現代では押し付けにしかならない可能性もある。
昔よりも一生で出会う人数も激増してるし行動範囲も広がって、見知らぬ人の中には不審者までいるという。
どこでもいつでも誰でも構わず挨拶すりゃいいってもんでもないし、時と場合と相手を見定めてから挨拶するというのは非常にハードルが高い気もする。
それでも挨拶が人との関わりの中で重要なのは確かだから、それをどうやって子供たちに伝えていくか?ってことなんだけど。
まあ子供たちもわかっちゃいるはずだ。すれ違う大人も挨拶しないからしない、本当にただそれだけだと思う。
暫定的な答え
現代の挨拶をどう考えるか、と簡単にまとめて終わりにする。
まず前提として、親が挨拶する姿を自ら子供に見せていく姿勢が必要だ。その姿を見て子供は挨拶や人とのコミュニケーションを学ぶ。
あとは、たとえば私がすれ違う中学生なんかに挨拶したら不審者通報されそうだから、時と場所と相手は見極めねばならん。
だからあれかな。
買い物に行ってレジの店員さんに「ありがとうございます」と当たり前のように言ってみたり、外食に行ったら「ごちそうさまです」と笑顔で言ってみたり。
子供たちの友人や見知った顔がいたら軽く手を振ってみるとか、笑顔をむけてみるとか。
昔ほど狭くて親密な人間関係とは違うが、現代に適したその時々の挨拶というのかな。そういうのを見せていけたらいいのかなあと思う。
そういう意味で、次男坊の保育園に迎えに行ったら他の子供達ともタッチしたりバイバイしてる。名前も覚えて軽くコミュニケーションとったりして。
娘が早退でデイにお迎えした時も、他の子と何かしら話す努力をしてる。
その姿を見て何かしら学んでくれたらいいね。
ちなみに長男(小5)の友人は自我が剥き出しすぎてあまり関わりたくないのと、保育園に通う子供たちには笑顔を向けてもその親の目は一切見ないコミュ障なのが私でもある。
その姿からは何も学ばないでほしいね。
ここまで読んでいただき感謝。
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