ステップファザーにできること

重度知的+発達障害の娘と、二人のやんちゃ息子の父によるステップファミリーの話

生まれた環境がいかに運に左右されてるかという話

昔を振り返るとんぼである、ごきげんよう。

 

最近は過去の自分を思い返す機会が多々あり、昨日は娘の病院受診へ向かう車内にて妻と中学生の頃の話をした。

 

私が不登校になったのは中3だったのだが、あの中学校がいかに過酷だったか今だからこそわかったりする。

 

◆家族の紹介

環境の良し悪し

私は普通の学校で義務教育を受けてきた、と当たり前のように思ってきた。いや、確かに小学校は非常に平和な学校だった。

 

それが中学からガラッと印象が変わる。

 

近辺の小学校から集まったクラスにはいわゆる不良生徒が何人もいて、タバコは当たり前のように吸ってたしかつあげもあった。

 

私の友人も、不良の彼女にちょっかいだしたとかでトイレでボコボコにされた。ちなみに生意気だった別の友人は担任にロッカールームでボコボコにされてた。

 

印象深い出来事はいくつかあるが、不良グループが適当な人を一時的に気絶させてボコボコに殴る遊びをして回っていたのを覚えている。

 

調べたらあった。失神ゲームというらしい。私もやられたぞ。

www.sankei.com

 

他、休み時間に不良カップルがクラス内で皆に見せつけるようにやたらとディープキスをしていた話。

 

妻に話したらドン引きしてたが、当時その場にいた私はどうだっただろう?憧れも嫌悪感も抱かなかった気がする。どうしていいかわからなかっただけかも。

 

誰かが窃盗や万引きで捕まったという話もあったし、暴行事件もあった。

 

ある知人が万引きで捕まった時に、おにぎり盗んで捕まるのはダサいと別の友人が言ってたのが記憶に残ってる。何の万引きならかっこよかったんだろう。

 

こうやって不良がどうとか周りの悪さを書くが、私もそんなに褒められたものではない。犯罪をしたことはないが周りに迷惑はかけている。親も学校に呼び出されてる。

 

今思えば、あの環境で生きていくには二つの道しかなかったと思う。

 

とにかく目立たず騒がず息を殺してやり過ごすか、この環境でのみ通用する価値観に適用して生きていくか。

 

私は前者を耐え抜く精神力はなく、後者を選んで生きていけるほどの強さも持ち合わせていなかった。だから不登校になったと今は考えている。

 

刑務所系のドラマで「絶対に不安を顔に出すな」というやつがあるじゃないか。それに近い。弱みを見せたら食われてしまう世界だった。

 

中にいる時には絶対にわからない。これが正常な社会ではないと。

 

今なら金もらってでも行きたくないし、完全に心身やられる前に不登校になって正解だったと言ってもいいかも。

 

もう少し客観的な指標を書いておくと、私が卒業してから20年以上経った今でもあの中学校の評判はすこぶる悪い。とにかく治安の悪い学校だと言われている。

 

姉はまだ実家近くに住んでいて、今の住居だとあの中学校に娘が入ってしまうことを相当嫌がっている。

 

だから今のうちに別の学校に行ける校区に引っ越すんだと。

 

20年経った今でもまだ変わらないんだ、と驚いている。負の連鎖は続く。

 

そういえば、母から地元を紹介してるYouTuberの動画があると紹介され見たことがある。

 

道路脇にある近隣を紹介する地図が映されていたが、スプレー落書きでほとんど内容はわからなかった。

 

まあ今は思うよ。あの不良たちの家庭は明らかにこじれていた。ネグレクトなのか暴力なのかわからないが、小説に出てくるような家庭環境の子もいただろう。

 

私はまたタイプは違うが、幼少期からゲームと漫画とテレビに囲まれて生きてきた。小学生でも日付が変わるまでゲームをし続けることが日常だった。

 

ベクトルが違っただけで、私が不良になっててもおかしくはなかったよね。

 

まあその世界で生きていけるほどのコミュニケーション能力がなかったから不登校になったわけだが。

世界が全然違う

最近見聞きした子供たちの環境の中に、私が知っているものと全然違うものがいくつかあった。

 

たとえば先日書いた作文の話。

www.rabbitonbo.com

 

ここに出てくる子供たちは、親が子供を歴史的建造物に連れていって過去を伝えたりしてる。

 

あちこち回って、宮沢賢治的な「ほんとうのさいわい」を一緒に考えたりしてる。そりゃ感情豊かな作文が書けるよなと少し嫉妬したりする。

 

最近よく読んでいる齋藤孝さんの書籍では、「僕が中学生のころは常に勝海舟の本を持ち歩いていた」と書いている。

 

えぇ……?そんなことが堂々とできる環境ってあるの?私の学校でも勇気があれば、独自の価値観を持ち続けることもできたのか?

 

また今読んでいる途中の『君たちはどう生きるか』という小説。

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フィクションではあるものの、ここにある女生徒が出てくる。年は15歳程度だろうか。

 

その子が「ナポレオンの英雄的精神に感動したわ!!」と熱弁をふるってて、それをいくらか年下の男の子たちが興奮して聞いてるシーンがある。

 

……そんな世界ある?真面目に過去の偉人に感銘を受けてかっこいいと熱弁して、それが受け入れられる環境なんて過去にあった?

 

そんなん見たことも聞いたこともない。何かに感動したことを周りの誰に言っても馬鹿にされるか聞いてくれなかっただろう。

 

真面目に勉強するタイプの子を馬鹿にするダサ坊という言葉もあったくらいだ。真面目に何かに感銘を受けることはダサいのだ。

 

あー、私もクソ真面目に語らうことが当たり前の環境に生まれたかったな。

 

何か本を読んでそれらを語り合うことが当たり前の、真面目に考えることが当たり前の、何かに感動することが至極当然に受け入れられるような。

 

勉強して知識を自慢し合うことがかっこいいという価値観の世界。

 

まったくもって不公平だわ。

人生100年時代でよかった

思えば、小学校時代が現在の私に近いはずだ。頭は悪いが誰彼構わず優しくしてしまう八方美人人間で、卒業文集でもそこそこの人気者だった。

 

ウソみたいだろ、今ではこんなコミュ障の人間不信なのに。やはり中学がまずかったな。あの環境は無理だったわ。

 

なんやかんやあって38歳になってしまったが、おかげさまでだいぶ自分が感じることを素直に発信できるようになった。

 

真面目な話を聞いてくれる人も周りに何人かいる。妻も、義母も、長男も。友人もそうだし、このブログを読んでくれてる方もそう。

 

あぁ、こんな話をしっかり聞いて理解してくれる人がいるんだという驚きというか、感謝ですよね。ありがとう。

 

子供の頃の環境は、当時の私には如何ともし難いものだったけれども。

 

今は人生100年時代に突入したというから、あと60年近くは自由気ままに自分の思うままに生きていける。

 

そう考えると悪くはないな。あの前半の期間も、何も学ぶものがなかったわけでもない。

 

頑張って周りに合わせて自分を騙して生きてても、何も楽しくないし続けられないことが身を持って理解できたことは収穫か。

 

あの期間があったからこそ、今のステップファミリー生活を送っているともいえる。

 

二度と納得できないことはやりたくない。人生の時間がもったいないから。

余談

最後に、別に自分の親を批判するつもりもないし、不良たちのことも別に嫌いじゃない。

 

何でだろうね、色々あったし怖いから関わりたくはないけど嫌いにはなれなかった。

 

負の連鎖とか親ガチャとか色々ある世界だけど、誰もが楽しく笑って過ごせるようになってほしいと思っている。

 

いじめもそうだし虐待もそうだし、何をどうすりゃ解決するのか。

 

今の私にはそれを提示する力もないが、まずは自分の家族が笑顔で過ごせる世界を作らなければならない。

 

そこから広がって繋がっていくとよいよね、という感じで日々精進します。

 

おしまい。

 

ここまで読んでいただき感謝。

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